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2008年5月の21件の投稿

2008/05/30

『蟹工船』 が社会現象なんだそうだ

http://news.nifty.com/cs/domestic/societydetail/mainichi-2008053100m035/1.htm

『蟹工船』といえば小林多喜二の書いたプロレタリア文学。最近いやに書店で平積みになっているから、どうしたことなのかと思っていただのだが、ワーキングプア問題に絡んで社会現象になっているらしい。ずいぶん昔に読んだきりで、はてしなく暗い話だったとしか記憶にないなあ。今読むと違った感想があったりするだろうか?読んでみるのも一手かもしれない。ずいぶん昔の作品だし青空文庫にも入っている。
まあ、ぼくの場合、どちらかといえば愛読していたのは筒井康隆の『蟹甲癬』のほうなのですが(笑)

2008/05/25

『地球樹の女神3火の騎士』(平井和正) 感想

時間的なものでいうと、これで1巻冒頭に戻ったわけですね。誘拐されたヒロイン後藤由紀子を救出する作戦が展開する巻。主人公の四騎忍の正体もその片鱗を見せはじめます。おお、そういえばこの巻の冒頭は由紀子の講演会じゃありませんか。初めて読んだ時、平井氏ってよほど登場人物に講演をさせるのが好きな作家なのかと思いましたよ。『幻魔大戦』の東丈の例もありますしね。あの講演で『幻魔大戦』読むのやめたって人多いんだけど、理由を聞いたら説教臭いからだって言っていた。もったいない。主人公が多弁に語るのだから、それこそが読者たちへのメッセージなのに。(1997/09/07)

『いまひとたびの』 (志水辰夫) 感想

晩年というべき時を迎えた人々の日常を鋭い筆致で描き出した連作短編集。死ぬということと隣あわせで生きるということがどのようなものなのか、しょせん若輩者のぼくなどに実感としてわかるはずはないのだが、じつにしみじみとした気分に浸ることができた。三番目の「夏の終わりに」が好きですね。死期を悟って田舎に引きこもった男と仕事を投げ出してそれを追いかけてきた妻、けっしてふたりとも若くはないのだけど、その間にある時間と空間はむしろ濃密といっていい。年をとるならこんなふうになりたいものですよ。不思議に幻想的な雰囲気さえ漂う佳品揃いの作品集でした。(1997/09/07)

『神々の山嶺』(夢枕獏) 感想

どこまでも写実的に登山という行為にかける人々を描いた物語。山のことはぼくはよく判らないのだけれど、結局のところ男というのは何らかの「山」に登る生き物なのですよ。「そこに山があるから」というのが誰の言葉であるかさえこの物語を読むまで知らなかったけれど、その言葉に妙に納得した気分になってしまうのは、やはりぼくも夢とやらを捨て切れない男のひとりであるということか。夢枕氏がうらやましくなってしまうのはぼくだけだろうか。かなり毀誉褒貶がわかれているようだけれど、ぼくは傑作だと思う。何よりも熱い。忘れていた何かを思い出させてくれるような、そこはかとなく暗い熱さだよな。かつて何かを追い、そして果たせなくて歯噛みして泣いた経験のある男たちならば、この熱さが判るはずだよな。女性たちもまた夢を追うことがやっと可能になった時代だから、自分の中にくすぶる思いとしてこの物語に賛同してくれる女性の方々もいるだろうし、よしんばそうでなくても、自分の傍らにいる男どもの熱さとして感じて下さった女性たちもいらっしゃるだろう。何かを捨てられずにいるということをあほうな男どもは理解してほしいと思っているものなのですよ。これ、そういう意味ではじつに男に都合よく描かれているかもなあ。何にせよ、「書き残したことはありません」という作者の言葉には何の虚勢も計算もないんだろうと思うぞ。写実的にやっているはずなのに、幻想的でさえあるものなあ。ラスト数ページで不覚にも涙があふれてきて俺は困ったぞ。くそう、やるじゃないか。俺もこんなふうに燃えてみたいものだ。ぬるま湯の生活に、しかし見切りをつけられる男たちなど数えるほどしかいないのもまた事実、それだからこそこの物語は男どもにとって大いなる慰めになるのだよ。(1997/09/07)

『ホラー・マーケット』(田島照久) 感想

すばらしい。こういうのが読みたい。こういうのこそホラーである。長い作品でもせいぜい5ページくらいのものであるけれど、このイマジネーションの深さはどうだろう。やたら長くしてスプラッタすればよいというものではないのだ。簡潔な文章による、背筋が凍るような恐怖。余分な説明を一切排したこれぞ掌編小説。久しぶりに掌編を堪能できて、とてもとても満足。作者はコンピュータ・グラフィックの第一人者で、この文庫本にもグラフィックが多数収録されているのだが、これが恐怖に相乗効果を生み出している。元本は1995年出版になっているけど、そちらでは挿画はカラーなのだろうか?もしそうならぜひ入手したいものだ。短編29、デジタル・フォト50点、ぜひ秋になる前に読むべし。(1997/8/24)

『SFへの遺言』 (小松左京) 感想

「小説宝石」に掲載された対談をまとめたもの。対談者は石川喬司、大原まり子、笠井潔、高橋良平、巽孝之、森下一仁の各氏。構成は森下一仁である。
内容としては、小松左京のSFとの出会いから現在までを時系列に沿って紹介していくようになっている。「SFマガジン」創刊当時のエピソードなどは『やぶれかぶれ青春記』や他の作家のエッセイなどで語られているけれど、これだけまとめて読んだのは初めてなのでたいへん興味深かった。小松左京自身がここまで突っ込んだ内容で自分の作品を語っているのだから、資料としても一級である。
一昨年『小松左京選集』(ジャスト・システム)が刊行されているけれど、ぼくとしてはぜひ全集を刊行していただきたいものだと思うのである。(1997/8/24)

※追記
全集の刊行は、オンデマンド出版で小松左京全集 完全版として始まっている。(2008/5/25)

『蒼穹のかなたへ』 (R・ゴダード) 感想

以前に『リオノーラの肖像』を読んで、これはすごい作家だと思った。輻輳するプロットと重厚な雰囲気がゴシック・ロマンという言葉になんて似つかわしいんだと思ったものである。ところが、今回のこの作品、面白いんだけど少々平板なような気がした。『リオノーラの肖像』が変化球のオンパレードだとすると、こちらはかなり直球勝負なのだ。下巻の背表紙にゴシック・ロマンとあるのはちょっと当たらない、どちらかというとハード・ボイルドになるのだろう。とするとどうか?ハードボイルドとしては少々詰め込みすぎかもしれない。で、結果としてはこのプロットからすると長すぎるのかもしれない。ただ、ぼくの場合、読み始める前に『リオノーラの肖像』みたいなものを期待してしまったからこの感想なのであろうな。先入観をもって読んではいけないということか。(1997/8/24)

『グイン・サーガ57ヤーンの星の下に』(栗本薫) 感想

本巻よりイラストレーターが天野喜孝より末弥純にバトンタッチ。何だかカバー表紙のイシュトヴァーンはぼくの好みからすると健康的すぎるような気もするんだけど、みなさまの御感想は?
さて、肝心のストーリーの方ですが、このグイン・サーガのコンセプトである架空世界の三国志ということについて、こんなにはっきり登場人物自らによって語られたのは初めてではないかな?作者はあとがきなんかで何回か触れているけど。ただ、三国の主はこの巻でイシュトが語るようにはならないんでしょうね。ケイロニアの豹頭王グイン、ゴーラの僭王イシュトヴァーン、となると次の展開はパロになるんだろうなあ。はたしてアルド・ナリスの運命やいかに。(1997/8/16)

『夢魔の通り道』 (村田基) 感想

衝撃の長編『フェミニズムの帝国』以外、村田基はまだ短編小説しか発表していないらしい。本書が4冊目の短編集である。この方の作品はもっと読みたいし、できれば長編も、と望んでいるのはぼくだけではあるまい。
夢と現実の隙間から異界の生物が忍び寄る「裂け目」、未知の細菌によって人間が生きながら腐っていく「腐敗都市」、奇妙な家庭教師を依頼された大学生の体験する非日常を描いた「柱時計のある家」、冒頭のこの三作のどれでもよいから立ち読みしてみましょう。背中を冷たい汗が流れていくことにあなたは気づくに違いありません。恐怖を描かせたら一流の作家です。夏の夜にぴったりですよ。(1997/8/10)

『江戸の敵』 (多岐川恭) 感想

江戸の敵とくれば長崎で討つもんだが、表題作は江戸から長崎に流れ着いた男女のお話。男はやくざなヒモで、女はその手から逃れられずにいる。男は自分の出生の秘密をネタにゆすりをやろうという寸法なのですが。お定まりといえばお定まりの物語なのですが、こういうのは作者の料理次第ですよね。でもって、これがまた最高なんだなあ。どの短編もどこかで見知ったような話でありますが、それだけに作者の腕の見せどころになってます。はでな斬り合いもないけれど、ぼくはこういうのは好きですね。以前『色懺悔鼠小僧盗み草紙』が文庫化された時は何となく買わないままになってしまって悔やんでいたのですが、ますます読みたくなってしまったぞ。この短編集でのぼくの好みは「忘れていた女」と「寝ものがたり」。とくに後者はよい。女郎の足抜けの話としては今まで読んだ中ではもっとも後味がいいです。(1997/8/10)

『袖すりあうも他生の縁』 (清水義範) 感想

人と人の縁なんてものほど奇妙なものはない。例えば、今これを読んでいるあなた、あなたとぼくの縁だって奇妙なものなのである。そもそも実世界では顔を会わせたことがない方が大多数だもんね。で、この作品集はそんな人間関係の奇妙さに目をつけて書かれたものなんだな。文通をテーマにした「まだ見ぬ君に」なんていうのは昨今のメール友達の流行もあって笑っていいのかどうか。「夫の親友」なんていうのもよくある話か?なんというか全体的に面白悲しいというか、そこはかとない悲哀が漂う佳篇が多い。最後から二番目の「双子のように」というのが怖いぞ。この作品集ではいちばんのお気に入りである。
それにしても、カヴァーの折り返しから既刊リストが消えているけど、まさか全部絶版にしたんじゃあるまいな。かんべんしてくださいよ、角川文庫さん。(1997/8/3)

月光魔術團vol9メイ猫に遊んで貰った』 (平井和正) 感想

サブタイトルにそうあるのだから、作中に出現したあの美しい猫ネフェルはメイの変身した姿なんだろうか?いや、これはウルフガイシリーズのはずだから、メイはやはり狼人間のはずだと信じていたんだけど。ん?でもメイの通称はライオンヘアだよな。ライオンは猫科ですよね。間違っても犬科の狼とは重ならないか?何だか巻を追う毎に謎が増えていないか?収束するのか?このところ主人公不在だけど、それは単にこのシリーズの宿命か?完結させてね、お願いだから。また十年とか待つのはいやだよ。(1997/8/3)

『勝負の極意』 (浅田次郎) 感想

前半は「私はこうして作家になった」と題し、講演をまとめなおしたもの。後半は「私は競馬で飯を食ってきた」と題した作者の競馬必勝法である。ぼくは競馬はまったくやらないので、後半部分についてははっきり言うとよく判らないのだが、それでも何やら凄味を感じたぞ。何にせよ、賭博でトータルプラスなんていうのは常人の業ではあるまい。特に感じ入ったのは「年収×10%-40万=投資可能額」なる公式。なるほど、ぼくも競馬をやる資格はほとんどない人間であるらしい。前半についてはただただため息。なるほど、傑作というのはこのように生まれるものなのかもしれないなあ(1997/7/27)

『似ッ非イ教室』 (清水義範) 感想

エッセイをパスティーシュした短編小説集。作者自身があとがきで書いているように、基本的に創作なのだが。きっと各編の唐突なまでにでたらめな末尾の文は、これはうっそこなんですよという作者の照れ隠しなのでしょう。単発で読んだ人の中には丸まま信じ込んだ人もいたのかもしれんな。そんなふうに考えながら読むとなお面白い。この人のウソには妙に説得性があって、限りなく真実に近いことが多いので始末に悪い。「単数と複数」なんかはほとんど本当のことで、最後の2ページくらいだけがフィクションだもんね。いやほんとうまいですよね。(1997/7/27)

『最後の娘』(ペネロピー・エヴァンズ) 感想

なんかいやな話だな。J・ファウルズの『コレクター』にも似た世界。でも決定的に違うのは、この主人公の老人の異常さが誰にでもある種類の異常さだということだろう。他人の部屋に断りなく入る、手紙を勝手に開封する。ひとつひとつは些細といえば些細なことなのだが。些細なだけに怖い。もしかしたら老人が独言する通り親切心からの行動なのかと錯覚してしまう部分さえある。『コレクター』なら、読者は異常な行為を自分自身から切り離してしまえるのだけれど、この物語ではそれが容易ではないのだね。面白いことは面白いんだけど、再読したいとは思わないな。舌がざらつくような読後感の残る話です。(1997/7/27)

『日輪の遺産』 (浅田次郎) 感想

競馬場で偶然知り合いになった老人から託された手帳には、戦時中に旧日本軍が隠したマッカーサーの財宝の行方が。というようなあらすじを本の帯で読んだのでそのつもりで買ったのですが、いやはやとてもそんな一筋縄ではいかないですぞ。ストーリーは二転三転、いったいどのように決着させるつもりなのかとドキドキしてしまう。手帳が残されている現在という視点と、過去に財宝を隠そうとしている人々の視点がかわるがわる出てくるわけだけど、その何というか落差のよなものの処理の仕方がよい。終戦間際の日本という現在から見るとまるで異空間のような世界が眼前にすっと広がっていくのですね。
序章に出てくる少女たちの運命はかなり早い時点で暗示されているのだけれど、読みすすめば読みすすむほどどうしてそんなことになってしまうんだろうという疑問にとらわれてしまう。どう考えたってそんなことになるわけないじゃないかと。戦争というものの持っている狂気について考え込んでしまうあまりにも過酷で美しいラストシーンまで気をゆるめることなくひたすらに読むべし(1997/7/21)

『魔天楼 薬師寺涼子の怪奇事件簿』 (田中芳樹) 感想

なんとなく読みそびれていた一冊。『銀河英雄伝説』の文庫化もすすんでいるようなので、未読の方はこの機会にぜひ。ところで、田中芳樹の皮肉が冴え渡る作品といえば、同じ講談社の『創竜伝』ですよね。ぼくは個人的には『銀英伝』よりはこっちの方が好きでして、そういう意味ではこの『魔天楼』も同じようなトーンの話。「ドラキュラもよけて通る涼子」、略して「ドラよけお涼」の活躍、じつに楽しめました。「メフィスト」に乱入予定とのことなので、シリーズ化するんでしょうか?なお楽しみですね。苦言をひとつだけ申しあげれば、単発作品も読みたいことは読みたいのですが、やはり未完のシリーズにカタをつけていただきたいな、と存じます。富士見ファンタジアから出ていた『灼熱の竜騎兵』などはぜひ続きを読みたいのですが。ああ、全然感想になってないかも。(1997/7/13)

『三月は深き紅の淵を』 (恩田陸) 感想

書店で平積みになっている時まず目を引いたのは帯の惹句。「その本はたった一人にだけ、たった一晩しか他人に貸してはなりません。」じつによい。よすぎるぞ。
創作を試みたことがある方であればわかっていただけると思うのだけれど、自分でも満足のいく作品というのは何か自分で創り出したのではないのではないか、と感じることがありませんか?作品はもともとどこかに存在しているもので、創作者はそれにただ触れることを許されたにすぎないと感じることが。この作品のテーマっていうのが、それです。
その本『三月は深き紅の淵を』は、これから書かれようとしている物語であり、すでに書かれた物語であり、また存在しない物語でもあり得る。この作品は4章から成っているのですが、それぞれに独立しているようでもあり、またお互いがお互いに微妙な影響をうけているようにも見えます。4章それぞれでこの本の作者は異なったものとして描かれ、またその位置づけも変化していくのです。そう、これは書物自身の運命の物語です。4つの章から成る迷路に踏み入りましょう。ぼくはこの迷路から出たいと思いませんでした。いつまでもこの場所で迷っていたい、そんな気分にさせてくれるすばらしい迷宮がここにあります。(1997/7/13)

『まどろみ消去 MISSING UNDER THE MISTLETOE』 (森博嗣) 感想

「犀川&萌絵」シリーズ外、しかも短編集ということでどんなものかと期待していたのですが、けっこうよい。「犀川&萌絵」も「ミステリー対戦の前夜」「誰もいなくなった」で登場しているので、完全にシリーズと関係ないわけでもありますまい。「誰もいなくなった」はふたりの関係を端的に表現していてちょっと笑ってしまった。で、この中でもっとも気に入ったのは「純白の女」です。背景が一切説明されない、おさえた表現の心理劇。こういうの好きですね。その次は冒頭の「虚空の黙祷者」。これも淡々としていてよいなあ。どちらも謎らしい謎なんて出てこないんだけど、読ませる。あと、何というか、ちょっとユーモラスな味付けの短編が多いですね。ちゃめっけたっぷりといったところか。「やさしい恋人へ僕から」なんて、わかっているつもりで読んでいて、しっかりやられてしまいました。満足。
ところで、総題の英語はなんでああいう訳になるんだ?MISTLETOEを辞書でひいたら「やどり木」ってなってたけど。あと、次作以降の予定の最後にある「有限と微小のパン」はシリーズ完結作との情報を森博嗣の浮遊工作室ミステリイ工作部から入手。英題が"PERFECT OUTSIDER"ってことはやっぱり第1作とからんだ話なんでしょうか?(1997/7/6)

『詳註版シャーロック・ホームズ全集2』 (コナン・ドイル/ベアリング・グルード解説と註/小池滋監訳) 感想

第2巻は「緋色の研究」「まだらの紐」「入院患者」「独身貴族」を収録。「緋色の研究」は昔、中学生の頃に読んで放り出した記憶があって、以来手にとっていなかったんだけど、なるほどこういう話だったのか。こんなに宗教がかっていたんでは、手におえなかったはずである。宗教っていうのは、ぼくに限らず日本人になじみが薄いのかもしれない。この話のほんとうのあじわいっていうのは、キリスト教徒にしか判らないのかもしれないですね。「まだらの紐」はホームズの中では好きな短編なのだが、この事件を検証する「インドで最も危険な毒蛇」という小論文がよいぞ。こういう遊びはまじめにやるほど面白いというお手本であろうな。(1997/7/6)

『地球樹の女神2鷹は自由に』 (平井和正) 感想

平井作品の大きな特徴のひとつに再話があると思う。語り直しというのだろうか。あるシチュエーション、またはある登場人物に関して、微妙に角度を変えながら何度も何度も語られることがある。『ウルフ・ガイ』しかり『幻魔大戦』しかりである。さて、『地球樹』では登場人物の名前が過去の作品と多々だぶっているのであるが、これはいったいどういう意味を持っているのだろうか?「ラスト・ハルマゲドン・ストーリー」「究極のハルマゲドン・ストーリー」と題しているからには、これらもまた伏線になっている気がするのであるが。読了している方々にはもはや自明のことなのでしょうが、しばし楽しめそうなので、ネタばらししないように。(1997/7/6)

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