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2008年9月の149件の投稿

2008/09/29

『海がきこえる』 (氷室冴子) 感想

「アニメージュ」での連載が1990年~、93年にスタジオジブリでアニメ化か……。そういえば、アニメ見たような記憶もあるな。どんなのだったか……。ビデオが出るようなので機会があったら見てみたいですね。
それはともかく、なんといえばいいんでしょう、女の子と男の子がすれちがう話ですよね。ラブストーリー最大のテーマのひとつ……。この作品を読んだ女の子諸君、男などというのはかくも鈍感な生き物ですよ。いやほんと。たいていは、こんなものです。ええと、それとも最近はちがうのでしょうか?この作品を読んでなんだかためいきがでてしまうのは「わかってないよなあ」というひとりごとがいつのまにか主人公ではなくて過去の自分にも向いてしまうからですよね。そういう意味ではティーンよりもむしろティーンじゃなくなった男性に受ける作品かもしれませんね。(1999/07/04)

『シズコズ ドーター』 (キョウコ・モリ) 感想

「母さんが有紀を愛していることだけは信じて下さい」という言葉を残して自殺した母静子、そのとき有紀は十二歳だった。ほとんど淡々と語られるその後の有紀の日常がとてもよい。父の再婚、継母との不仲、親戚、友人、次々と語られる新たな局面とその問題、しかしながらそれに対する具体的な回答がなされることはない。まるで古い思い出の写真をめくるように、あのときこんなことがあったんだよ、という感じ。それがとてもよいと思う。うまく言葉にできないのだが説教臭くないとでもいったらよいか?わからないことはわからない、うまくいかないことはうまくいかないという、現実に即したクールさ。味わい深い作品です。(1999/07/04)

『そして二人だけになった』 (森博嗣) 感想

海峡大橋を支える構造物の内部に秘密裏に構築された生活空間<バルブ>、密室となったその内部で起こる連続殺人事件……。<バルブ>建造の主導者のひとりである盲目の天才科学者の影武者をつとめる弟と、その秘書にすりかわった双子の妹っていう設定が巧妙。このふたりが交互に一人称で語るという形式なんだけど……。
緊迫感のある展開。何しろ登場人物はこの密室に閉じ込められたごく少数なのであるから、ひとり死ぬごとに犯人の可能性もしぼられてくるわけですよね。でもって題名が『そして二人だけになった』。まったくもって巧妙。
この物語の感想?そうですね。この世には真実など存在しない。あるのはただ事実の羅列のみである。何を選び取るかでその人間にとっての真実は変化する。したがって、真実とやらが重要であるとことさらに声を高めるのは愚かな行為に他ならない、かな?
ここからは蛇足だけれど、だいたい、だれにとっても正しいこと、なんてものはありえないんだから、世の中は単純にはいかない。でも裏返して言えばそれは自分の信じるところを信じてもよいといことだとも思うのだけれど。他の人とちがっているから間違っているかもしれない、なんていうのはほとんど愚の骨頂ですよね。他の人はどうだか知らないけど自分は正しい、ってぼくがいつも言うのはそういう意味なのですよ。(1999/07/04)

『トロピカル 異形コレクション』 (井上雅彦 編) 感想

なるほど、怪奇アンソロジーで<トロピカル>っていうのは題名だけではピンとこなかったのだが、魔境ものに通じる恐怖ってわけだね。たしかに前人未到の地というのはある種の恐怖の根源ですね。だから北原尚彦の「蜜月旅行」なんかはぼくにとっては嬉しい一編です。編者があえて例の物語にまえがきで触れなったのはこの作品をきわだたせるためなのでしょうか?それと早見裕司の「罪」がよいですねえ。都市を覆い尽くした緑、藤子・F・不二雄の「みどりの守護神」をちょっと思い出しました。『ゲゲゲの鬼太郎』にも同じ雰囲気の作品がありましたか?「原始さん」だったかな?トロピカルという意味では飯野文彦の「椰子の実」がよいですね。切れのよい掌編で読後の怖さも抜群。さて、それから今回なんといってもいちばん印象に残ったのは田中啓文の「オヤジノウミ」でしょう。この方『グランドホテル』収録の「ニグ・ジュギペ・グァ」の作者なんですね。さもあらん、ほんとに悪趣味です。最高!!食事前には読まないことをおすすめします。(1999/07/04)

『クロノス・ジョウンターの伝説』 (梶尾真治) 感想

文庫本のための書き下ろし第3話を加えての完全版!!泣かせる短編SFといえばカジシンのお家芸だけれど、まるまる1冊それっていうのはめずらしいかな?いつもは短編集に1編か2編含まれるそれを楽しみにしていたものな。『おもいでエマノン』シリーズがあるけど、あれは別格だろうし。
それはともかく、物体を過去に送り込む機能を持つクロノス・ジョウンターをめぐるこの3つの短編、すごくいいですよね。過去に戻れることは戻れるけど、その反動として「射出時点から遡行年プラス遡行年の二乗の未来」に跳ね飛ばされてしまうっていう設定の妙!!第1話のラストには少々不満があるのですが、もしかするとこれは更に続編が書かれるための伏線なんでしょうか?第2話と第3話は文句なしですね。第2話のほうがより好みかな?とにかくふたつともかなり泣けるラブストーリーです。(1999/06/19)
※Amazonリンクは、この後に出版された増補版です。

『グイン・サーガ66 黒太子の秘密』 (栗本薫) 感想

ついに語られるノスフェラスの秘密。この伏線がはられたのは、いったいどの巻のことだったっけ?手元には全巻ないからわからないけど、数十巻前であることは確かですよね。これこそが、このシリーズのすごいところ。あとはこれらの謎がグインという存在とどのようにかかわっているかですね。
クリスタル公アルド・ナリスはついに行動をはじめました。このあとどうなるかっていうのも、シリーズ読者ならばある程度予想ができるのかな?たしか栗本薫はどこかで……と書いていたぞ。次巻はついにグインその人の本編復帰!!(1999/06/19)

『鉄の絆』 (ロバート・ゴダード) 感想

若くして世を去ったイギリスの詩人トリストラム・アブリーの姉ベアトリックスが何者かに殺害された。現場の状況から古物商のコリンが逮捕されるが、その弟デレクは無実を訴える兄のため行動を開始する。同じ頃、ベアトリックスの姪シャーロットは、トリストラムの伝記作者から、ベアトリックスの遺物のなかに過去のいきさつを示す手紙があるはずだから見せてほしいと頼まれるが……。
ゴダード得意の過去の因縁ですね。おばの死を契機にして、隠されていた過去がじょじょにあばかれていき、これまで信じていた世界を失っていく主人公。ぼくの好みとしては後半にアクションが入りすぎるかなというところです。まあ、謎そのものはかなり楽しめるのですが、うーむ、あそこでやめておいてもよかったんじゃないか?という点はございました。まあ、これは好みの問題でしょう。ひとつぶで二度おいしいと感じる方もいらっしゃるでしょうし、木に竹を次いだようなと感じる方も……。(1999/06/19)

『玉人』 (宮城谷昌光) 感想

なんだか不可思議な作品集。まずは冒頭の「雨」。この作品の題名が「雨」だっていうところが微妙ですよね。けっきょく牛っていうのは何者だったんだろうかなあ。ラストの1行が「雨だけが現実である」ではなくて「雨だけが現実であるのかもしれない」となっているのがますます幻想味をましていると思うのですが。
4編目「桃中図」この短さで淡々と綴られる人の半生、短さのゆえにかえって重いものに感じられますね。桃の木に隠された地図の秘密もさることながら、水浴していた美女は誰だったのだろうと考えるととても味わい深いですね。
表題作「玉人」これはまたとりわけ幻想的な話です。いったいこの女の正体はいったい何だったのでしょう?表題作に限らず、謎の答を直接に記述せず言外に匂わすという作品が多かったようです。わかるでしょう?わかりますよね、という感じ。何度も読みなおすほどに味がでてきます。(1999/06/13)

『謎物語 あるいは物語の謎』 (北村薫) 感想

うーむ、なるほど。ミステリ作家である氏のミステリに向かう姿勢というものがたいへんよくわかるエッセイ集ですね。とりわけ、トリックというものについて作者がどのような思いを持っているのかがよくわかってよいです。ミステリというものについて日頃ぼく自身が疑問に思っていることがひとつあるのですが、そのあたりこういうご意見であれば納得できるのです。しかし、自分の考えを効率よく説明するために、よくこういろいろなジャンルからいろいろな実例を引いてこられるものだと感心することしきりでした。(1999/06/13)

『ウィーンの密使 フランス革命秘話』 (藤本ひとみ) 感想

やっぱり藤本ひとみの歴史ものは面白い。フランス革命ものっていうのはそれこそ星の数ほどあるかと思うんだけれど、なるほどこういう切り取り方もありか。王妃マリーアントワネットの幼なじみでオーストリアの士官である青年の視点で書いてある、ということはこれって政治的にはオーストリアの視点で描いてあるわけだ。西洋史を見るときによく混乱するのが王室の関係なんだけれど、そこのところがすっきりと説明されていてたいへんわかりやすい。けっきょくのところヨーロッパの各王家ってのは婚姻によってかくも密接に結びついているものなのだなあ、と改めて感心。アントワネットがあんまり身勝手な行動ばかりとると、その出自である国まで危うくなるわけだね。
もうひとつ面白いと思ったのはフェルゼンの性格設定、なんだかいかにもありがちで、これって真実にほど近いんじゃないかと苦笑してしまう。いたずらにフェルゼンを美化したりまたはその逆だったりする小説が多いんだけれど、ほんとのところはこんなものだったのかもなあ。このふたりの恋への主人公のからみ方もなんだか微妙で少々生臭くてよい。彼らに限らず、歴史上の人物たちをほんとうに身近に感じられるようによい意味で生々しく描いてあるところが秀逸なのですよね。(1999/06/13)

『サイレンス』 (チャールズ・マクリーン) 感想

うーむ。なんだかなあ。いったいなんだったんだろう。
富豪だが自分を身体的にも精神的にも不当に拘束している夫から逃げようとする妻の話だと思って読み始めたのだけど、途中で混乱してきた。虚言癖があり自己同一性を保てない奔放な妻をなんとかしようと奮闘する夫の物語なわけ?
ぼくは騙されて喜ぶタイプの読者なので、このようにどちらとでもとれる展開だとなんだか釈然としないままで読了してしまうのだな。こまったものだ。ラストもなんだか歯切れがよろしくない。けっきょく善悪の判断は子どもの視点に委ねるしかないのだな。どっちもどっちって解もありかな?(1999/05/30)

『OKAGE』 (梶尾真治) 感想

全国で突然何の前ぶれもなく子どもたちが失踪しはじめる。どうやら、いなくなった子どもたちはある場所を目指しているようなのだが……。マスメディアが「おかげ参り」にちなんでこの現象を「OKAGE現象」と名づけるなか、おとなたちはそれぞれの立場から子どもたちを追いはじめるが……。
世紀末テーマの作品なのだが、ホラーというのとはちがうんじゃないか?あえて分類するならやっぱりSFなんじゃないかと思う。子どもたちは自分の目の前に現れた精霊のような存在「幻獣」に導かれているわけだけど、その設定もやはりSF的だ。しかも現代的だし。夜の街を徒歩で行進する子どもたちが自分たちを元気づけるために合唱する歌とか「幻獣」たちのヴィジュアルイメージとかもよい。
プロローグに登場する霊視能力のある「おばちゃん」についてのエピソードがふたたび語られるエピローグが余韻があって美しい。さらりと「三十年」などと書いてあるが、この物語の中で子どもたちが経験する「幻獣」たちとの交流とその背景を思う時、その「三十年」っていったいどんなものだろうと思うのだ。(1999/05/30)

『黒猫の三角-Delta in the Darkness』 (森博嗣) 感想

森ミステリ待望の新シリーズ。11歳、22歳、33歳の女性が3年前の7月7日、2年前の7月7日、1年前の6月6日にそれぞれ同じ手口で殺された。4年目の6月6日、44歳になる女性に保呂草探偵は護衛を頼まれたが……。
シリーズのメインになる登場人物たちの舌を噛みそうなややこしい名前にはどのような深謀遠慮があるのかというのがまずは気になる(笑)。ぼくはどうもミステリを読んでも本筋とは別のところばかり気になるのだ……。例えば、護衛する時にわざわざ無線機を使うのはなぜかとかね。だれも携帯電話とか持ってなさそうなのはどうしてかとか。きっとこういう読み方は邪道なのかもしれないが、横道が面白いというのが森ミステリを愛好する最大の理由なのだな。
今回いちばん気に入った台詞は第7章末の「その手の嘘は、テストでわざと間違える一問と同じだった」ですね。この「わざと間違える」心理に共感できるかどうかが、この作品をどう感じるかの差になってくるような気がします。(1999/05/17)

『東亰異聞』 (小野不由美) 感想

物語としては苦手な部類になるのだろうか?読めども読めども作者の意図するところがどこにあるのかがわからずてこずる。このタイプのものは最初に雰囲気にはまれればよいのだが、そうでないとけっこう苦しいのかもしれない。そのあたり、読むときのコンディションによるところ大なので、同じようなものでもすっと入れることもあり、どう転ぶかは運というしかない。
現代日本の「東京」とはちがうところにある「東亰」という架空の帝都、その明治時代を背景に魑魅魍魎の跋扈する。物語的にはミステリふうになっているのだが、幻想的にするならもっと怪奇趣味を前面に出したほうが、ぼくの好みではある。だから、ぼくにとって面白かったのは黒衣と娘人形の会話を含め、より幻想に近いほうのところである。(1999/05/17)

『不安な童話』 (恩田陸) 感想

「見えすぎる」ということは、じつは「見えない」というのと同義。これはそこのところをうまく扱った作品ですね。二十五年前に変死した天才画家の生まれ変わりではないかと言われた主人公は、画家の遺子とともにその死の謎を追いはじめるのだけれど……。偶然だろうけど、最近この「前世」というやつを題材にした作品に連続して遭遇しています。高橋克彦の「前世の記憶」とか加門七海の「喜三郎の憂鬱」とかですね。この「前世」の処理の仕方でその作家がどのような方向を向いているのかを推し量ろうとするのは乱暴なのだろうな。「前世」と恩田陸という名前から読む前に思っていたよりはストレートな展開なのにちょっと驚きました。(1999/05/04)

『時間怪談 異形コレクション』 (井上雅彦 編) 感想

異形コレクション第10弾。敢えて、SFとして評価されるような作品は載せませんでした、というのが編者の言葉ですが、だからでしょうか、ちょっと食い足りない気分。きっと題名から先にパラドクシカルなものを扱った作品を期待してしまったからでしょう。
「炎天」を意識したものという倉阪鬼一郎の「墓碑銘」がよい。ここに登場するジョーンズとスミスが何者かとか考えはじめると眠れなくなってしまう。そういえば、「炎天」のバリエーションには水木しげるの漫画もあったか?、あれもビジュアルな分もとより怖かったと記憶している。ミステリファン受けするのは北原尚彦の「血脈」か?「痩身で鷲のような容貌の若い男」に相談していたらどうなっていたのか?思わずニヤリとする作品だった。中井紀夫の不条理な作品「歓楽街」などはとてもよくわかるような気がして不安になる。最後のフレーズがたまらなく怖い。けっきょくのところ、いちばん近しいようでいちばん怖くわけがわからないのは自分自身といいうものではないか?そういう意味でなら今回いちばん怖かったのは加門七海の「喜三郎の憂鬱」。これこそ怪談だろう。昔読んだ怖い作品で広瀬正の「鷹の子」というのがあるけど、あれに類するどこか記憶にひっかかっていて思わぬところで自身の悪夢のもとになるような種類の怖さだと思う。(1999/05/01)

『伯爵夫人は超能力』(ドロシー・ギルマン) 感想

他人の持ち物からその過去や未来を「読む」ことができるマダム・カリツカを探偵役にすえた異色作品。このての能力を持った人物を登場させる場合、力を誇示させるか悩ませるかというのが常套だと思うのだけれど、なんというか能力が生活のごく一部として描かれているところはよいと思う。物語は連作短編風になっていて先行するエピソードのそれぞれが後続のものの伏線になっている。最初は懐疑的だったプルーデン警部補がだんだんと巻き込まれていく過程も面白い。ただ、この作者の作品にしては安易に人が死にすぎるような気もする。もっとも『ミセス・ポリファックス・シリーズ』で死人が出なかったわけではないけれど……。これはマダム・カリツカの能力がサイコメトリ的に設定されているためですね。起こってしまった事件から何かを推論するのがメインになってしまったから……。ちょっと惜しいような気がします。(1999/05/01)

『グイン・サーガ65 鷹とイリス』(栗本薫) 感想

前巻『ゴーラの僭王』を受けてイシュトヴァーンの建国の物語が語られたあと、舞台はふたたびパロへ。表題の鷹はもちろんアルゴスのスカール太子のことであるし、イリスの象徴するのはアルド・ナリスのことなのだね。一別以来、世界の秘密をわかちもつふたりがついに再会を果たすわけです。
と、まあそれはよいとして、どうにも疑問に思っていた点がひとつこの巻で解決されました。やはりリンダは……のままであったのですね。どうもそのあたりが流れ的に釈然としなかったのですよ。だって、あの前後ってどう読んでもおかしかったもの。ということは、やはり作者の用意している最終巻の題名の意味するところは……。(1999/04/11)

『玩具修理者』(小林泰三) 感想

単行本で出版された時から気になって仕方なかった題名なのですが、とうとう文庫化まで読む機会にめぐまれませんでした。題名からどんな話なのだろうと想像を逞しくしていたのですが、表題作はぼくの感想としては意外にスタンダードだなという感じ。少々スプラッタなので読者を選ぶかもしれないけど。クトルフ神話にしてしまったのは余分ではないかとも思いました。あれなしでも十二分に成立する怖さがあるので。
むしろ面白かったのは併録の「酔歩する男」のほう。失われた恋人を巡ってのふたりの男の確執と、それに伴って崩壊していく世界の描写がとてもいい。量子力学がらみの話というのはこのようなくらくらするような感じを与えてくれるので好きなのだが、読後に自分の存在というものがとても不安に思えてきて仕方ない。(1999/04/11)

『花盗人』 (乃南アサ) 感想

作者の直木賞受賞第一作である表題作を含む短編集。ちょっと怖い話が多い。それも女性の怖さというのか。冒頭の「薬缶」というのはごく短い話なのだが主婦の不満ということを題名がじつにうまく象徴していてうまい。しかも耳に?いやほんとうに怖い。ある女性と義弟の不可思議な関係を描いた「愛情弁当」というのもよい。これを愛情だと言われてしまうとなんとももっていきどころがなくなってしまうんだがなあ。「最後の花束」っていうのもそういう意味では女性の怖さを描いた作品ですよね。そう、男が真似ようと思ったってかなうわけはないんですよ。それに表題作もなんというか口の中で砂を噛むような読後感ですね。どうも、なんだかやりきれないような思いに陥ってしまいますよ。こういうのがほんとうの怖い物語です。(1999/04/11)

『秘密』 (東野圭吾) 感想

ミステリであると思って読みはじめた。だから、ぼくは最初からひとつの可能性だけはあるまいと思っていた。すでにお読みになった方にはおわかりのことだが、その解は得られたとは思えない。得られなくてもよいのだと思う。その解を得ることができた読者はもしかしたらいないのではないか?特に男性には……。
ある日突然に妻と娘が事故に遭う。妻は娘を庇って命を落とすが、やがて意識を回復した娘には……。「秘密」とはいったい誰の誰に対する秘密なのだろう?それがこの物語のテーマである。娘の年齢設定の微妙さが、なんともいい。これ以上年齢が上でもまた下でも、この物語は成立しないものになってしまう。とても切ない物語だ。
しかし男というのは、きっと大なり小なりこのような体験をするものなのではないか?これほど特殊ではないにしても。言い方がよくないかもしれないが、この主人公と同じようなピエロを演じる可能性のあるのは常に男のほうであると思う。そして女性は……。そのような読み方をしてしまうから皮肉屋などと呼ばれてしまうのだろう。(1999.04.11)

『夜とともに西へ』 (ベリル・マーカム) 感想

1936年に世界ではじめてイギリス-アメリカ間の大西洋横断無着陸飛行を成し遂げた女性飛行士ベリル・マーカムの自伝。東から西へ向かっての飛行は地球の自転方向に逆らってのものとなるため、ほとんどが夜間飛行となる。しかも逆風で……。
黎明期の飛行士たちの物語は、冒険物語のなかでももっとも胸おどるもののひとつであると思う。リンドバーグの物語やあるいはテグジュペリの『夜間飛行』などを読めばそれは一目瞭然であろう。この物語にもそのようなテイストを求めていたのだが、読みはじめてから期待以上にに驚かされることになった。ケニアでの野生と共に過ごした少女時代、競走馬の調教師となった十代、そして飛行士となっての冒険。ここまででたった30代の半ばなのである。淡々としたおさえた描写がすばらしい効果をあげている好作品である。(1999.04.11)

『ダブル・プレイ』 (ロバート・B・パーカー) 感想

1947年のメジャーリーグを舞台に、黒人初の大リーガーとしてブルックリン・ドジャースで活躍し、注目を浴びるジャッキー・ロビンソン選手。第二次世界大戦で負傷したバークは、そのボディーガードとして雇われる。
シリーズ外作品です。野球には詳しくないので、挿入されているボビーのエピソードとかが、なかなかわかりづらかった。野球好きの方であればもっと楽しめるのか?そもそも、「ジャッキー・ロビンソンという名前を知らないアメリカ人はいない」と解説で触れられているように、それが前提になっている物語である。日本人に彼の名を尋ねて何人が何者か答えることができるか?思い入れという点に関してスタート時点で乗り遅れてしまうのかもしれない。

ちなみに、ぼくがジャッキー・ロビンソンを知ったのは、『栄光なき天才たち』で、サチェル・ペイジが取り上げられていた回でした。舞台は1945年。ジャッキー・ロビンソンが大リーグに指名を受けるところは印象的で複雑な読後感がありました。(2008/05)


『影に潜む』(ロバート・B・パーカー) 感想

ジェッシイ・ストーン・シリーズ第4作。連続して殺人事件が起きる。被害者間には何のつながりもないように思える。が、その手口は小口径の銃で胸を二発撃つという同じもので・・・。
殺人事件と並行して語られるキャンディスのエピソードとともに、人間をモノとして扱うということがテーマなのだろうか。キャンディスの事件に関わった少年たちのメンタリティを押し進めていくと、犯人たちに行き着くのかもしれない。犯人の精神的構造は、いわゆるふつうの人には理解しがたいかもしれないが、この少年たちであればどうなのか?ふたつの事件はけっきょく同じことを語っているように思える。
また、ジェッシーとジェンの関係にも様々な変化が。「彼女が必要な時にはあなたがいる」「彼女が誰かほかの人に会いたかったら、思うままに会える」という言葉に象徴される危うい関係。サニー・ランドル・シリーズの『虚栄』はこのあとのエピソードになるのかな。こちらはいきなり文庫になるので、ハードカバー先行のジェッシイ・ストーンと微妙にタイム・ラグが……。ジェッシイを単行本で読めばよいのか……。(2008/05)

『流星の絆』 (東野圭吾) 感想

ペルセウス座流星群を観に行くため、三人の兄妹は家を抜け出す……その夜、両親は何者かに殺害された。そして14年が過ぎ、兄妹は詐欺師になっていた。ターゲットに決めた洋食チェーンの専務に近づくうちに、その父親である社長が両親を殺したのではないかという疑惑が・・・・・・。
息もつかせぬ展開です。書きたいことを書くと、すべてネタバレになってしまいそうなので、書けません。基本的に読んでいて気持ちいい話で、冒頭の両親が殺害されるシーン以外は、たとえ犯罪絡みであってもなんだかほのぼのとした感じに思ってしまいます。これは、三兄妹が苦労したとはいえ、あんまり擦れた感じになっていないからかも。もっとも、擦れてしまったんではこの物語の重要な部分が成立すらしませんね。その部分、人によってはファンタジーだと言われるかもしれない部分が、あやうい平衡の上に成立していることが、この物語の魅力なのだと思います。そういう意味では、単行本の帯は興趣を削いでいると言わなければなりません。(2008/05)

また、TVドラマになるそうですが、このファンタジーな部分に説得力を持たせることができるかどうかが、成功するかどうかの境目になることは間違いありません。しかしねえ、HPのCASTを見て愕然としましたよ。こういうキャスティングを出すと犯人が誰かまるわかりなので、推理ドラマ、それも連ドラにするのなら、そのあたり気を遣って欲しいものだと思いますよ。どうにかならないものなのでしょうかね……。

『無事、これ名馬』 (宇江佐真理) 感想

『春風ぞ吹く』の続編。といっても、登場するのは五郎太ではなくて、その息子であるたろちゃんこと太郎左衛門である。たろちゃんは、火消し「は組」の頭である吉蔵に「男の道をご教示」してほしいと、やってくる。たいへんに面白く読めた。こういう話は宇江佐作品の真骨頂である。火消しの吉蔵や、その娘のお栄を軸に下町人情ものの涙あり笑いありのストーリーが展開される。さらに続編を読みたいところであるが、このタイムスケールでは無理なのであろうかな?ただ、よくわからなかったのは、たろちゃんをわざわざ五郎太の息子に設定した理由ですね。どうせなら、もう少し前作にからむような話が入っていると、なお楽しめたのだがな、と思ってしまいます。いや、でも前作を読まずとも独立した作品として楽しめたほうがいいということなのかも。幼い太郎左衛門の発言の端々から、五郎太や紀乃の消息が掴めて、おもわずにやにやしてしまいました。(2008.05)

2008/09/23

『慟哭』 (貫井徳郎) 感想

世の中には面白い物語がまだまだあったものだなあ。衝撃的なまでに現代的でしかも息もつかせぬ展開。連続幼女誘拐事件の捜査の展開と並行して描かれる、ある男が新興宗教にはまっていく様子がじつに怖い。淡々とした描写がその怖さを増幅しています。デビュー作にして作者は当時25歳前後?それでこの人間描写ですか?世の中にはおそろしい作家がいるものです。これはミステリというよりは一種の社会小説ですね。そして、あの結末の1行!!衝撃的というのは誉め言葉として凡庸すぎるでしょうか?読み了えたあとに残るのは、なんだかほんとうにやりきれないような思いです。(1999/03/28)

『黄泉津比良坂、暗夜行路』 (藤木稟) 感想

前作『黄泉津比良坂、血祭りの館』に続く完結編。前回の感想で装飾過剰と書いたけれど、この巻はそうでもない。探偵の朱雀が事件を解決しだすので、いらいらしないですむし……。思えば、前巻は謎をこれでもかこれでもかと繰り出しておいて具体的には何も解決しなかったものなあ。やっぱりミステリは解決編まで一気に読まないとどうも……。今度から上下巻とかになっていないか気をつけることにいたしましょう。
しかし、本格推理ってあんまり詳しくないのだけれど、「館もの」っていうのはみんなこんなふうなんでしょうか?だとしたらあんまりぼくには向いてないかも。それと、やっぱり朱雀の性格の悪さはあんまり好きになれない。どうも言うことがいちいち感にさわるのだ。『ハーメルンに哭く笛』のときはあんまり気にならなかったのだがなあ。(1999/03/28)

『緋い記憶』 (高橋克彦) 感想

先月読んだ『前世の記憶』が印象的だったので、シリーズの前作にあたるこの作品集も読むことにしました。これ、ほんとにすごいシリーズですね。もしまだ続けて書かれているなら、次の作品集もぜひ読みたいものです。
古い住宅地図から子供の頃に住んでいた町の記憶が次々によみがえるのに目当てにしたある家だけが見つからないという表題作もおもしろかったけれど、やはりこの作品集でもっとも怖くそして美しいのは「ねじれた記憶」でしょう。思わず何度も読み返してしまいました。そうする価値があるでしょう?例えば現代恐怖アンソロジーを組むなら必須の作品といってもよいですね。あとでカバーの解説をふと見たら直木賞の選考委員が激賞とか書いてあった。あたりまえですね、いやほんと。(1999/03/21)

『サラマンダー殲滅』 (梶尾真治) 感想

未読だった梶尾作品。<汎銀河聖開放戦線>のテロ行為により夫と子供を失った主人公静香は憎悪を人工的に精神に移植することでそれを支えに生きている。しかし、実際に静香が復讐という行為に及ばないよう同時に心理抑制がされていて……。
家族の仇をうつために戦士となる決心をした静香がすることになる選択というのがこの物語のキーになるテーマですが、ちょっとすごすぎる。まるで「おもいでエマノン」の裏返しの物語ですね、これは。しかも梶尾作品の多数を占める叙情性とも、またもうひとつの持ち味であるスラップスティックとも違って徹頭徹尾ハードボイルド。これ発売当時に読んでいたらけっこうショックを受けたかもしれないなあ。
ところで『さすらいエマノン』どこかで文庫化しないでしょうか?(1999/03/21)

『少年時代』 (ロバート・R・マキャモン) 感想

1960年代前半、アメリカ南部の小さな町に暮らす12歳の少年の日々を綴った物語。とはいえマキャモンの作品なわけですから、ストレートな回想譚というわけではありません。ところどころに幻想的なテーマが挿入されていきます。春の朝、牛乳配達を生業とする父親と見た奇妙な殺人事件の解明を縦軸にして、魅力的な少年の日々が不可思議な魔法に彩られていることを実感できます。物語中にはいろいろと実在する、あるいはかつて実在した雑誌などの小道具がふんだんに出てくるのですが、このあたりは自分がアメリカ人ではないことが悔やまれますね。どれかに具体的な懐かしさを感じることができれば、この物語をもっと自分自身のものとして読むことができるのでしょうから。まあ、それぬきでもすばらしい物語であることはまちがいありませんが。とりわけ、夏のエピソードの冒頭で空を飛ぶシーンはよいです。感涙もの。「ふたたび飛ぶのは次の夏だ」か。考えさせられる台詞です。人間はいつのまに飛ぶのをやめてしまうのでしょうか?(1999/03/21)

『前世の記憶』 (高橋克彦) 感想

高橋克彦というと『総門谷』とか『写楽殺人事件』とかそういうイメージだったので、こういう短編集は意外だったのですが、氏の直木賞受賞はこのシリーズの前作にあたる『緋い記憶』ということなので、これはぼくの不勉強ですね。
表題作の「前世の記憶」はちょっとストレートすぎるかなという気がしましたが二番目に収録されている「針の記憶」では思わずうなってしまいました。これはいい。それと「匂いの記憶」がじつに怖くて秀逸。なまじのホラーではこの話のラストシーンにたちうちできないでしょう。思えば「記憶」だけをテーマにしてこれだけ書くというのはすごいことなのでしょうね。ぜひ『緋い記憶』も読んでみなければなりません(1999/02/28)

『グランドホテル 異形コレクション』 (井上雅彦 編) 感想

異形コレクション第9弾。京極夏彦が「厭な扉」で恩田陸が「深夜の食欲」で初登場。ほかには『飛行船の上のシンセサイザー弾き』が素敵だった難波弘之の「ヴァレンタイン・ミュージック」が入っているのがうれしい。物語的には菊地秀行の「指ごこち」が秀逸ですね。今回のテーマは題名からわかるようにホテルだけれど、サブテーマはヴァレンタインなのですね。しかも設定を共有するという贅沢な試みがされていてこころにくい。同じグランドホテルの同じ2月14日をそれぞれの作家が工夫をこらして万華鏡のように切り取ってみせてくれる。これまでの異形コレクションというのはそれぞれ独立した短編として味わってその質が変化しなかったわけだけれど、この巻だけはそうはいきませんね。このアンソロジーに組み込まれてこそ真価を発揮できるわけです。「モザイクノベル」という言い方を井上雅彦が序文でしているけれど、これG・R・R・マーティン編の『ワイルド・カード・シリーズ』がそういう表現をしてましたよね。一般的にはシェアード・ワールドっていうのかもしれない。ひとつの特殊設定をもとに複数の作家が編み上げたひとつの物語。異形コレクションのなかでもう一度くらいはやっていただけないでしょうか?(1999/02/28)

『チグリスとユーフラテス』 (新井素子) 感想

新井素子の最新作、しかも待望のSFである。「広義にはミステリ」という表現をじつにあちこちの読書系サイトで見かけたけれどそれは作者に対して失礼ってもんじゃありませんかね?すばらしい、しかもハード(ミステリでいうところの本格)なSFですよ。
遠い未来、惑星間殖民計画によって開発された9番目の殖民星ナインは出生率の壊滅的な事態に直面している。「最後の子供」として取り残された老女ルナは治療不可能な病気などによってコールドスリープについていた人々を起こすことにするが……。
物語はルナによって起こされた四人の女性の手記からなる。まずはルナの母親とも面識のあったマリア・D、そして最後には移民計画のキャプテンであったリュウイチの妻レイディ・アカリ。それぞれナインの歴史の要所要所を代表するような女性たちの意見を述べるという感じ。同時にたぶん女性がもっているであろういろいろな意見を集約するとこうなるのかな?などと男性であるぼくは感じる。とりわけマリア・Dの章は読んでいて息苦しいようなところもあるほどなのだけれど……。
この物語のテーマって人間が生きていくって何なんだろう?ってことですよね。あなたの人生に意味はありますか?この問いはすごくハードだぞ。四人の女性がそれに対してしている回答もまたハード。そしてその問いかけを象徴しているのだろう物語の題名が「チグリスとユーフラテス」、人類文明の起源を表す河の名を蛍につけてしまうのがとてもよい。まちがいなくSF、まちがいなく面白い。
なんだか安心したような気がする。衰退したとかいわれているようだけど、SFにはこの作品のようにまだまだとどけなければならないメッセージがあるじゃないですか。(1999/02/28)

『グイン・サーガ64 ゴーラの僭王』 (栗本薫) 感想

ついにきましたね、ゴーラの僭王。外伝の1巻『七人の魔道師』を読んでから、いったいどのあたりでここに辿りつくのかと思っていたのですが……。中原はこれから一気に三国時代に突入といったところですね。イシュトヴァーン編は政治的かけひきを中心に事がはこぶのかと思っていたのですが、この巻にきてちょっと魔道の色合いが強くなってきたようです。まあ、そんなことより今回はもっと驚いたことが……。僭王誕生のシーンより、どちらかというとそっちのほうが意外でおもしろかったです。(1999/02/14)

『死んでも忘れない』 (乃南アサ) 感想

父親が朝の満員電車で痴漢に間違われたことをきっかけに徐々に崩壊していく家庭を描いた作品。読んでいる最中に絶えず思ったのは家族ってこんなにもろいものなのかな?という疑問です。この家族の特殊性を考慮に入れてもちょっとこれはひどいのではないでしょうか?家族の崩壊と言ってしまうから違和感があるのかもしれない。この家族にはほんとうの意味でのつながりなどじつは最初からなくて、事件をきっかけにして自分たちが家族というものを演じていただけなのだと気づかされる物語ということかな?それならばわからないではない。これだけもめておいてこの結末というのにもどこか釈然としないものが残るのですが、心の奥底にずっとがまんして溜めていたものをお互いに吐き出したからということですね。これでやっと家族として出発したということになるのでしょう。この先をもう少し読んでみたいという気がします。(1999/02/14)

『水無月の墓』 (小池真理子) 感想

死者との交流をテーマにした短編集といってよいでしょう。生きている、あるいは死んでいるというのがどういうことなのか一瞬わからなくなる幻想的な作品集です。ただ怖いかといわれると、あまり怖くはありません。そういった意味では怪談というには弱いのでしょうが、不可思議な味わいがあって読後感はよいです。
幽霊というのは足がないものとは決まってないようです。「足」の藤椅子から白い足が伸びていて真っ赤なペディキュアを塗っているというのはなんだか幽霊話としてかえって生々しくて秀逸。他には「夜顔」と「私の居る場所」がいい。特に後者はじつに奇妙な味わいのある話ですね。(1999/02/14)

『惜別の賦』 (ロバート・ゴダード) 感想

三十四年前、主人公の大叔父を殺害した罪に問われ死刑になった親友の父親はほんとうは無実だったのか?姪の結婚式にとつぜん現れた昔の親友は父親の無実を訴え首吊り自殺してしまう。その後、主人公の周囲では奇妙な出来事が起こりはじめ……。
ゴダード得意の過去に封じ込められた真実が物語の進行とともに明らかにされていくというパターン。失われた友のために真実を追い求めるという行為が、じつは自分自身や家族を追い詰めていくことになるというところが面白さ。事実がひとつひとつ明らかになっていくに従って事件の様相が二転三転するところもいつもながら見事ですね。謎の女と大叔父の墓の前で話をする「今日」にはじまって、回想の形で事件が語られる「昨日」、そしてふたたび冒頭の続きにもどって「明日」、この女はいったい誰なのかというのがもちろん物語のひとつの焦点になってくるわけです。過去を追求することで主人公がつかんだのが単なる事実よりも重いものです。その重さのゆえに主人公はふたたび「明日」に向かって歩き出すわけですが……。感慨深い結末の物語です。(1999/02/14)

『球形の季節』 (恩田陸) 感想

学校というのは怪談の舞台になりやすい場所である。作者の第1作『六番目の小夜子』は学校という特殊な場において形成された伝説をじつに見事に描いた作品であった。この『球形の季節』においても、学校の中で語られる噂話が物語の重要なファクターとして登場することになるのだが……。日常の延長線上に異世界がある時、それを感知できる者とできない者、あるいはそこに足を踏み入れることができる者とできない者というのはどのようにちがいがあるのだろうか?そして、それを知り得ることと知り得ないことはどちらが幸福なのだろうか?この作品のなかではなんだか夢のように時間が流れているような気がする。そして学生時代の時間というのはこのように流れていたというおぼろげな記憶がぼくにもある。あるいは、その時間の中に存在することこそ、異世界の扉を開くことができる資格なのかもしれない。 (1999/02/14)

『死国』 (坂東眞砂子) 感想

「四国」は「死国」すなわち死者の国に通じるという設定はとてもよい。八十八ケ所を逆打ちに遍路して歩くと死者が甦るとかね。でもどうもそれを生かしきれてないような気が……。残念なことに全然怖くなかったのである。どうしてだろうと考えたのだけれど、けっきょくのところそれはこの物語が生者の都合について語ることにウエイトを置いているからに他ならないのではないかな?主人公の比奈子の人生の都合、逆打ちを行う照子の後継者がほしいという都合、そういったもののほうにウエイトが置かれていて、しかもそれは読者に理解納得できる範囲のもの。莎代里が現世に残している怨みについてもなんだか論理的すぎるんじゃないだろうか?もう少し理不尽な恐怖感というのをぼくは期待しているのですが……。(1999/01/31)

『王女マメーリア』 (ロアルド・ダール) 感想

ロアルド・ダールの洒落た作品集。日本オリジナルとあるけど、要するに訳出されてない佳編を集めた選集ってことですね。新車を運転中に拾った奇妙なヒッチハイカーとのひとときを描く「ヒッチハイカー」を先頭にちょっと毒の効いた作品が並んでいる。傑作はやはり成り上がりの男が雇った執事に言われるままに高価なワインを買い漁る「執事」だろう。それと表題作の「王女マメーリア」器量がよくなかったひとりの王女がある朝目覚めてみると美女に変身しているが……。残酷な寓話だけれどすばらしい。これと対をなしているのが「王女と密猟者」ですね。同じことをテーマにしているのだけれど、ストーリーとしてはやはり表題作のほうがインパクトが強い。(1999/01/24)

『グイン・サーガ63 時の潮』 (栗本薫) 感想

アルゴスの黒太子スカール本編に復活、そしてストーリーの軸になるキャラクターがパロの女聖騎士伯にしてアルド・ナリスの乳兄妹であるリギアとくれば、グイン・サーガとしてはアダルトな雰囲気。ヴァレリウスの件についての展開がこうなったかと思うと、ちょっと意外でもありリギアが可哀想な気も…・・・。それとナリスはもうどうでもいいとか言っているようですが、スカールとナリスが再会するということは、例のパロの古代機械ひいてはノスフェラスの謎の核心にせまるということで、いよいよ物語りも終盤に突入といったところですか。一方では第四話からふたたび舞台はアルセイスにとび、イシュトヴァーンの話に。次巻はついに『ゴーラの僭王』!!物語はたぶんひとつの極を迎えることになるのでしょう。(1999/01/24)

『地球儀のスライス A SLICE OF TERESTRIAL』 (森博嗣) 感想

<犀川・萌絵シリーズ>の番外編にあたる「石塔の屋根飾り」「マン島の蒸気鉄道」の二編を含む短編集。上記二編についてはシリーズのメインキャラクタが多数出演していて楽しめる。うーん、でも帯に「二人のその後」とあるけど、時間的にはシリーズのどこにおさまるのかな?二編とも思わずニヤニヤしてしまうラスト。
シリーズ外では「小鳥の恩返し」が綺麗でよい。これは雑誌掲載時に読んでいたのだけれど、改めて読み返してみてもやはり秀逸。シュールなラストの効いている「片方のピアス」というのが面白いのだが、アイデンティティをテーマにしたものとしては「僕に似た人」のほうがぼくの好みである。思わず何度も読み返してしまったけれど、未だ不可思議なまま。
ところで、最大のミステリは「噂の新シリーズキャラクター」ってどこに登場しているのですか?うーむ、謎だ。やっぱりぼくってミステリ向きではないのだろうか?(1999/01/17)

追記:電悩痴帯のふーまーさんが日記で「僕に似た人」にはしかけがあるはずと書いておられて気になっていたのだが、そのことについてメールをいただいた。「まあくんは○○○、まあくんのお母さんは○○○○○、お父さんは○○○」。そうか、そうだったのか。気に入って三度も読み返してこの最大のしかけに気づかないとは(笑)。ミステリ向きな頭をぼくが持ってないことをはからずも証明してしまいました。ということは、上記の記述には大きな誤りがあるのですが、まあこのままにしておきましょうか?みなさんはおわかりになりましたか?(1999/01/22)

『魔術師の物語』 (デイヴィッド・ハント) 感想

不思議な雰囲気を持った物語である。主人公は全色盲の女性写真家ケイ。彼女が被写体としてだけではなく友人としてつきあっていた男娼(ハスラーと呼称される)のケイが、ある日バラバラ死体となって発見される。その犯行は、かつて彼女の父を辞職へと追いやった一連の連続殺人事件にパターンが酷似していた。警察とは別に友人のため犯人を追い始めたケイだが……。
霧に包まれたサンフランシスコの雰囲気、更に全色盲の主人公というフィルターを通して見る景色にしばしば幻惑されそうになる。ケイの過去を追っていくうちにだんだんと明らかになっていくその過去というのも、耽美というか幻想的なものだ。とりわけ、この中で語られるマジックは刺激的だし、それが殺人に至る過程のうちに果たした役割というのも奇妙に倒錯していて秀逸だし、本当の犯人の真実の動機というのにも唸ってしまう。耽美で猟奇ものがお好みの方にはよいのではなかろうか?(1999/01/17)

2008/09/17

『QED-百人一首の呪』 (高田祟史) 感想

奇しくも百人一首にまつわるミステリがふたつ同時期に出版されたことになるのだろう。『百枚の定家』は正統派の歴史ミステリだったが、これは百人一首をモチーフにしたパズルのような物語である。なるほど、百人一首をこのように読むこともできるのかと感心する一方、ここまでやっておいて殺人事件など起こすことはないのにとも思った。木に竹を継いだような感じがするので、そこのみ不満。ただし、作中で語られる百人一首の読み方なるものには感心してしまいました。歴史ミステリの醍醐味のひとつに教科書的ではない生々しさというのがあると思うのですが、その点では充分に満足できる作品だと思いました。(1998/12/26)

『月の物語 異形コレクション』 (井上雅彦 編) 感想

異形コレクション第8弾。「竹取物語」をしたじきにした梶尾真治の「六人目の貴公子」が面白い。思わずニヤニヤしてしまうカジシンのユーモアテイスト爆発といったところか。横田順彌の「落葉舞」はおなじみの明治幻想シリーズであいかわらずいい味を出している。眉村卓で月というとぼくが思い出すのはビジュアルなラストシーンが頭から離れない短編「青白い月」なのだが、今回収録の新作「月光よ」もまことに奇妙な一編。このアンソロジーをぼくがお気に入りなのは、このように思わぬ方の思わぬ新作を読むことができる点である。北野勇作「シズカの海」は先般インターネット上で流れたとある噂をバックボーンにしているのだろうか?思わず何度も読み返してしまった。都市伝説というのはこのようにぼくたちの頭の中に確かに構築されていくのにちがいない。今回もっとも秀逸に思ったのは菊池秀行の「欠損」である。どこがホラーなのかと問われると困るのだが、確かにホラーのようでもあり、しかもそうではない。妙に心にすっしりと重い一編である。(1998/12/26)

『虚空』 (ロバート・B・パーカー) 感想

スペンサーシリーズ第22作。スペンサーの友人であるボストン市警のフランク・ベルソン警部の新妻リーサが失踪する。更に調査をすすめていたフランクまでもが銃撃される。調査を引き継いだスペンサーの前にあらわれはじめるリーサの過去。めずらしくサスペンスタッチですすむ物語を監禁されたリーサの視点から語られるシーンが緊迫感を盛り上げている。『告別』においてスーザンに去られ、さらに『キャッツキルの鷲』において監禁された彼女を救助するという物語の、これはある意味で再話とも読めるが……。誰かと出会うことで、あるいは誰かに去られることで、人はいったいどれほどのことを学ぶことができるのだろうか?(1998/12/27)

『歩く影』 (ロバート・B・パーカー) 感想

スペンサーシリーズ第21作。スーザンが理事を勤めるボストン近郊の港町の地方劇団で主演男優が射殺される。スペンサーはスーザンからの依頼で調査をすすめるが……。事件と並行して語られるのは新しくふたりが週末を過ごすために購入した農家のことである。うーむ、贅沢。それとも外国ではこのように別荘を持つのはごくふつうのことなんだろうか?事件の舞台となる港町ポートシティの下町もまた現実の反映なら、このような贅沢もまた現実の反映なのか?貧富の差がとても明確な国アメリカ。矛盾に満ちた生活のなかで自分というものを堅持していくのはむずかしいものだ。(1998/12/27)

『百枚の定家』 (梓澤要) 感想

面白い!!最近読んだミステリの中では群を抜いて面白い。まあ、ぼくは歴史ミステリが好きですので、そのあたりのひいきは入っているかもしれませんがね。小倉百人一首のオリジナルである藤原定家の小倉色紙の真贋をめぐる謎。主人公は美術館のキュレーターとくれば、その手の作品が好きな方にはこたえられないでしょう。ストレートな歴史ミステリなのが何よりうれしいです。どうも歴史ミステリと銘打っていても妙な具合に設定に凝っていたり、首をひねりたくなるようないわゆる名探偵が登場する作品が多い中、これは思わずうなってしまう作品です。文章のバランスも、美術的知識がない読者にも無理なく読むことができるだろうし、説明も具体的かつ親切ですね。あとがきに準備に3年との著者自身の言葉がありますが、その成果がいかんなく発揮されています。1500枚、飽きずにしかもじっくり読むことができ、読書したんだなという満足感にひたることができます。唯一の不満は、宗祗の臨終にはじまるプロローグにあれだけ凝ったのだから、エピローグももう少し長くてもよかったのじゃないかというところ。まあ、もう少し余韻にひたりたい気分なのに、ちょっと唐突に終わりすぎかなあと……。この作家の著作は他に2冊出版されていると帯にあるのですが、ぜひ続けて読んでみたいと思います。(1998/12/13)

『黄泉津比良坂、血祭りの館』 (藤木稟) 感想

現時点でストーリーについて何かコメントするのは尚早なのでしょうね。何しろ購入した時点ではまったく気づかなかったのだけれど、どうやらこの本は上下巻のようですから。作者紹介欄に小さく続編の刊行予定があったりして……。あー、なんだかな。
それはともかく、特に前半部分だけれど漢字の使い方がいちいち感にさわる。べつに漢字表現してルビふる必要はないんじゃないだろうか?ちょっと装飾過剰のようにぼくには思える。雰囲気を出したいのならかえって失敗してるような気もするんだがなあ。後半に入ってストーリーが展開しだしてからは、けっこういいかもしれない。あるいはなれただけだろうか?
ただ、これだけの仕掛けをしておいて、どうして探偵なんていう凡庸な存在が必要なのかとそれはとても気になって仕方なかった。しかも、この探偵は頭のほうも凡庸みたいだし。けっこう何度も途中で読むのやめようかと思いましたよ、正直な話。しかし、どうやら凡庸だったのはぼくの頭のほうみたいですね。あたりまえか。
上記のように感じている方がもし他にもいらっしゃるなら、とりあえずこの巻の末尾までは読み通しましょうね、とだけ言っておきましょう。しかし、それで次巻を読む気になるかどうかは…………にかかっているのかなあ。(1998/12/06)

『夏のロケット』 (川端裕人) 感想

サントリーミステリー大賞の優秀作品賞。でもミステリではなくて、むしろ青春小説といったところ。かつてバイキング計画に魅せられ高校時代を天文部ロケット班のメンバーとしてすごした主人公は、ある事件をきっかけに、かつての仲間たちがロケットの打ち上げをもくろんでいることを知って……というストーリー。
読んでいると自分も計画に参加しているような気分にもなってきてうれしい。主人公たちはぼくよりいくつか年上の設定。すなわち社会人として一応中堅どころに差しかかっている年代である。彼らが高校時代からの夢のロケットを打ち上げようと考えるまでにはいろいろとあるはずで、そのあたりもいろいろ想像できて面白い。登場人物がぼろぼろになったブラッドベリの『火星年代記』を持っていたり、ミュージシャン氷川の作った曲名が「わたしを火星に連れてって」だったりする小技もいい。
「火星」というのはやっぱり魅力的な星で、SFを読む人間の大半は何らかの思い入れを持っているのではないだろうか?いろいろな物語がこの赤い惑星を扱ってきた。この物語もそれを継承するにふさわしい一作だと思う。(1998/11/23)

『ペイパー・ドール』 (ロバート・B・パーカー) 感想

スペンサー・シリーズ第20作。このシリーズにしては凝ったプロット。妻を通り魔らしき人物に殺害された名家の当主が、犯人を見つけ出してくれるようにスペンサーに依頼。ところが捜査をしていくうちに事態は二転三転して……。
スペンサーの事件の落着のさせかたはいつも独特であるように思う。例えば人口に膾炙しているだろうが『儀式』にその典型を見ることができるだろう。このシリーズの場合、善悪とはスペンサーにとってのそれであり、しばしばいわゆる常識からは逸脱している場合がある。しばしばそれはスーザンをも本当の意味では納得させることはできない。今回は?今回もそうだろうとぼくは思う。釈然としない結末である。しかし、これ以外には結末のつけようはないようにも思う。さて、読了して考えたのは、今回はスーザンがその方法と決着のさせ方に異議を唱えていないことだ。しかし事件の軸となったトリップ家への対処は、何だかいつものスペンサーらしくないような気もするのだが……。この一件、完全にふたりの外側の世界のこととして描かれているのはどうしてなのだろう?(1998/11/23)

『ダブル・デュースの対決』 (ロバート・B・パーカー) 感想

スペンサー・シリーズ第19作。興味深い一作、やはり『晩秋』でひとくぎりと思ったのは正しかったような気がする。これまで文庫化を待っていたこのシリーズを古書とはいえハードカヴァーで読んでもいいかな、と思った理由のひとつはこれだ。
前作とは一変して、今度はスーザンとスペンサー自身の物語が軸になる。スーザンのほうからある提案がなされるのである。それと対照して黒人スラム街の治安回復を行うホークと彼のガール・フレンドの姿が描かれる。はたして、女性はスペンサーやホークのような男といっしょにいることで幸福を得ることができるのか?というのが今回のテーマのひとつだろう。シリーズもここまで来て何をいまさらと思われるかもしれないが、ふたりにとっては「息子」を独立させた後の自身のみの暮らしの問題である。もちろん、ふたりの生活はかなりふつうとは変則的なものだから、物語も変則的に描かれるのだけれど。そして、ふたりの下した結論は……。
また、人種問題がわりとストレートに押し出されている点もホークとスペンサーの息の合ったコンビネーションを見てきたがゆえに奇妙な気分になる。ある意味やはり転回点となる作品なのだろう。(1998/11/23)

『晩秋』 (ロバート・B・パーカー) 感想

スペンサー・シリーズ第18作。シリーズはじめの佳品として名高い『初秋』の続編にもあたります。『初秋』で気弱な少年として登場したポール・ジャコミンはその後ダンサーとしてある程度の成功をおさめ、シリーズの随所に姿を見せたり、またスーザンとスペンサーの会話に登場したりしています。本作では結婚を考えはじめたポールが姿を見せなくなった母の行方を捜索してくれるようスペンサーに依頼するところから始まります。
ポールの母親をさがす話を軸として、これまで語られなかったスペンサーの生い立ちが次第にスーザンに明らかにされはじめます。スペンサーはどうしてこのような男になったのか?それはかつてポールに対してやるべきこととして示されたものをスペンサー自身がどのように獲得していったかの物語りでもあります。そしてこのスペンサーにとって家庭とは何かというテーマは次作に継承されていくのですが……。
やはりこの作品でひとくぎりがついたと考えるのが妥当かもしれない。すなわち、シリーズ初期でであったスーザンとスペンサーは結婚こそしなかったものの、それに相応する経験をしてきて、ここに「ひとり息子」ポールをほんとうの意味で送り出したということだろう。いわば、これはスペンサーが過去を振り返るという意味の作品なのだろうと思う。(1998/11/23)

『東京ナイトメア-薬師寺涼子の怪奇事件簿』 (田中芳樹) 感想

『魔天楼』に続く「ドラよけお涼シリーズ」第2弾。権力を茶化す氏の筆の冴えはますます鋭利になっているようである。感覚的にはやはり『創竜伝』に通じるものがあると思う。読んでいてとても面白いのだけれど、作品としては作者の中では特殊な位置にあるものになるのだろうか?というのは、他のシリーズものは軸になるストーリーがあって結末に向かって進んでいることが判るし、単発作品は単発作品でその長編ごとに完結しているわけだが、これはそのどちらにも属さないような気がするのだ。よくある永劫回帰型のシリーズものになるのだろうか?キャラクターそれぞれが魅力的なので今後に期待したいと思う(1998/11/15)

『チャイルド 異形コレクション』 (井上雅彦 編) 感想

子供の目というのは大人とはちがう世界を見ているものだと思う。ぼくたちもかつてはそれを見ていたのだろうが、今となってはどのような世界であったのかを思い出すことはとても困難だ。子供にまつわる怪談が多いのはそうした事実によるのではないだろうか?子供たちが垣間見る「異界」が、ぼくたちの知らない間にひそやかにどこかで息づいているのだ。
収録作品ではいわゆる学校の怪談に属する「マリオのいる教室」(山口タオ)、活字では表現しがたい奇妙な怖さのある「帰ってくる子」(萩尾望都)、思わず唸ってしまうような黄昏の感覚で描かれた「愛児のために」(飯野文彦)、書物に魅せられた子供を描く「屋根裏のアリス」(本間拓)などが面白いが、もっとも目を魅きつけられたのは「少女倶楽部」(宇野亜喜良)である。単に活字による物語だけではなく、こういう作品に出会えるというのはほんとうに嬉しいものである。(1998/11/15)

『クロスファイア』 (宮部みゆき) 感想

同ノベルズの『鳩笛草』に収録されている「燔祭」の続編というか、この短編のほうがプロローグ的な役割を果たしているといったほうが今となってはよいのか?「燔祭」の結末には釈然としないところがぼくには残ったのだが、この長編では問題の正義では何かというテーマがさらに掘り下げられている。しかし、やはりまだ釈然としない気分が残るのだ。示された解答が予想通りであるからだろうか?悲しいような気分になってしまう。
例えば池波正太郎の『仕掛人藤枝梅安』という作品があるのを御存知だろう。TVドラマ「必殺シリーズ」の原案でもあるこの作品は有名だと思う。ドラマでもそうだが、仕掛人たちは自分の正義というものを信じてはいない。自分という存在を世の生んだ矛盾であると思い、それでも何かに突き動かされるように「仕掛」をするわけだ。ここが『クロスファイア』の主人公淳子とはちがうのではないかと思う。淳子は自分が正義だと信じたがっている。正義というのはじつに判りやすい立脚点だが、崩れやすくもある。視点が変われば正義の意味も変化するからである。これは危険なことだ。
何のために戦うのか?淳子が「装填された一丁の銃」ではなくなる時それは改めて問われることになる。疑いつつそれでも裁くことができるか?いや、そもそも裁かねばならないのか?必要ないとすれば彼女の特殊な力は何のためのものなのか?
他人とは違う力に何らかの意味を見出すことはとても難しい。違えば違うほど難しい。彼女は最後にそれを見出せたのだろうか?(1998/10/31)


『探偵物語』 (小鷹信光) 感想

探偵の名は工藤俊作。そう、これはあの松田優作主演で今もなお伝説のように語りつがれているドラマの原案となった物語である。ドラマと物語は別のものであるから、あのドラマのもつテイストをここに求めても、それは詮ないことである。それは判っているのだが、やはり心魅かれて買ってしまった。物語はスタンダードなハードボイルドで、ミステリとしては少々食い足りないような読後感があるかもしれないが、このような雰囲気を楽しめる人にはよいだろう。偏見かもしれないが、和製のハードボイルドミステリというのはどうもぼく自身が苦手なのである。雰囲気に素直に酔えないのだ。いつも和製のものを読むと違うんじゃないかという思いがどこかに残る。しかし、そういった意味ではこの作品はよくできていると思う。違和感がないのだ。物語中盤からは、ぼくはこれがドラマ原案であることはまったく忘れていた。(1998/10/25)

『地下街の雨』 (宮部みゆき) 感想

都会の片隅で起こるちょっと奇妙な物語を集めた短編集。表題作は事情があって会社を辞したOLが新たに勤めはじめた喫茶店で知り合った女性客との関係の顛末。苦いような甘いような不思議な読後感の短編である。主人公の女性がこのあと恋人とどうしたのかが妙に気になってならない。「混線」はいたずら電話をテーマにした一種の怪談である。ラストシーンの情景を頭に思い描いてみるとぞっとした気分になる。この集のなかでもっとも面白かったのは「ムクロバラ」。主人公のデカ長がだんだんと職場である警察やあるいは家庭で知らず知らずの間に心理的に追いつめられていき、疲れがたまっていく様子が怖い。「この椅子の背もたれは、デカ長が本当に絞めあげてやりたいと思っているものの代わりにそこにあるのだった」などというフレーズは勤め人一般の共感をおおいに得るところのはずである。人間というのは怖いものであるということを見事に描いていると同時にそれを救うのもまた人間であることにほっとさせられる作品でもある。(1998/10/25)

『屍者の行進 異形コレクション』 (井上雅彦 編)

異形コレクションの第6巻。詩的な感じのする安土萌の「春の妹」。学園ホラーの秀作『転校生』の雰囲気を思い出した森真沙子の「楽園」。同窓会で会うはずのない者に再会する中井紀夫の「三次会まで」。秋に読むと恐怖が倍増するであろう鈴虫をテーマにした加門七海の「虫すだく」。屍者への恋をストレートすぎるほどストレートに描く村田基の「黄沙子」。恐怖の人口調製をテーマにした岡本賢一の「死にマル」。いつもながらレベルの高い作品がそろて揃っている。その中にあっても異彩を放つのは小林泰三の「ジャンク」と津原泰水の「脛骨」だろうと思う。前者は死体を部分的に再利用することがふつうになった世界において、人間を狩るハンターとそれを追うことを生業にするハンターキラーの戦いを描いている。西部劇風の味付けがしてあり、結末には思わずにやりとしてしまう心憎い仕掛けがほどこされている。後者は売れないバンドマンを主人公にしたちょっとかわった恋愛物で怪奇さは低いのだが、読了後に結末の一行が胸にずっしり残るという逸品である。(1998/10/25)

『グイン・サーガ62 ユラニア最後の日』 (栗本薫) 感想

イシュトヴァーンの覇業もここにひとつのクライマックスを迎えるわけですね。タイトルにばっちり書かれているわけだから、これについては解説不要ですね。内容としては、途中ケイロニアに場面が転換する箇所があって、アキレウス大帝とランゴバルド侯ハゾスの間でグインとシルヴィアの消息や、ゴーラの動向とからめてオクタヴィアの話が出てくるのが興味深いですね。63巻の題名は『時の潮』、64巻は『ゴーラの僭王』とのことですから、ついに中原は三国並び立つ時代に突入するわけです。長い長いイシュトヴァーンの戦いの日々がこれからどう移り変わっていくのか楽しみです。(1998/10/18)

『有限と微小のパン THE PERFECT OUTSIDER』 (森博嗣) 感想

犀川&萌絵シリーズの完結編(?)なんだろうなあ。英語の副題からもわかるようにシリーズ第一作『すべてがFになる THE PERFECT INSIDER』の続編である。長崎のヨーロッパ風テーマパークを友人たちと訪れた萌絵の前で起こる不可思議な殺人事件。すべては『F』の事件後に姿を消した天才エンジニア真賀田四季博士の手によるものなのか?
例によって大掛かりなトリックを堪能できるところはシリーズ末尾を飾るに秀逸この上なし。以前から気にしている人間関係のほうはどうかというと、どうなんでしょう?結論づいたようにもそうでないようにも読むことができますね。完結などと言わずにどこかでシリーズ復活してほしいものですが……。
ところで、今回はなぞなぞが多出していますが、みなさんすんなり解けましたでしょうか?ぼくは素直にだまされて喜ぶタイプの読み方なのであんまり気にしないのですが。「A・E・H・R・Tでできる文字列」なんてのは面白いですね。どこかに原典があるのでしょうか?それともすべて作者の頭の中からなんでしょうか?
それと最後にもうひとつ、確認したわけじゃないんですが、今回の各章冒頭にひいてあるのは、シリーズ各同じ数字の巻で登場人物たちが述べた言葉なんでしょうかね?それぞれ誰の台詞か探してみても面白いかと思いつつ、きっとやらないでしょう。(1998/10/18)

『屍鬼』 (小野不由美) 感想

猛暑の夏、小さな山村である外場に奇妙な死者が発生しはじめる。徐々に村に浸透していく死の陰りは、まるで人々との交わりを断つかのように突然移築されてきた洋館に住む者たちに由来するものなのか?
この物語の怖さは集団というものに対する幻想にある。人間たちの社会にマイノリティとして隠れ住む屍鬼たちに対する恐怖にあるのではないだろう。人間は生活していくうえで自分が属している社会のルールにしばられているのだが、逆にいえばルールが許せば何でもできるということでもある。人間は「社会」に忠実な生き物なのだ。属する集団が屍鬼に変わろうが、この基本的なルールは変化しない。語弊があるかもしれないが、たいていの場合は人間というのは「自分自身」では判断しない生き物なのである。それは己の属している集団のルールに知らず知らずに因っているのだ。これが法律等の明文化されたルールであればそのことを意識するのは簡単なのだが、慣習となると事は厄介だ。もっと言えば「常識」という言葉を持ち出されるがいちばん厄介だ。「どうして~しなければならないのか」「どうして~してはいけないのか」その問いをすること自体が少ないだろう。なぜならば昔からそうなっていたのであり、そうすることが「常識」であるからだ。そのことに疑問を持つ者は集団からはじきだされてしまう。
ここに登場する人々の言動を、今自分が属している集団にあてはめてみるといい。親類でも会社でもいいだろう。そうしてみたときに初めてこの物語の真の怖さがわかるのではないか?永続的な日常の繰り返しとその中でのみ通じるルールだけを頑なに守る人々。彼らが異常な事態に目をつぶってまで日常に固執する様を、ぼくは決して笑うことなどできないのである。人間、自分に都合の悪いことはえてして見えないものであるし、また見えていても無視しがちなものであるのだから。(1998/10/11)





2008/09/16

『グイン・サーガ120 旅立つマリニア』 (栗本薫) 感想

物語は舞台をパロに移しているのだけれど、なんだかまだまだタイスの後始末を引きずっている感じです。フロリーとスーティが表舞台からいったん退場するわけですが、あとでどうしようとしているのでしょう?昔のあとがきに『グイン後伝』なんていう文言が出ていたことがあったけれど、あながち冗談ではないのかも。グイン・サーガには、外伝という時間を飛び越える武器もあることだし、成長したスーティを見てみたいものですね。(2008/05)

『孤宿の人』 (宮部みゆき) 感想

単行本刊行時に読めずにいたもの。新書化したので買ってきました。
四国の小藩である丸海藩を舞台に描かれる、置き去りにされた少女「ほう」と、罪人として幽閉された「加賀殿」の物語。
厳しい話であります。この物語のテーマはすなわち大人の事情というやつです。幕府の事情、藩の事情、お家の事情。ひっくるめていえばすなわち大人の事情ですね。子供の目には、この大人の事情が了解できない。真実などというものは、事実をどの方向から見るかによって定まってくるものであり、ながめた方向、ながめた人間の分だけの主張しうる真実とやらがあるということです。大人の事情によってバイアスのかかったそれを真実といっていいものやらどうやら。子供の目はそれにまどわされない、ということでもありますが、その、まどわされぬということがはたして幸せであるかどうか?それが、思うところの厳しさです。ハッピーエンドになりえない筋書きながら、これではあまりにもあまり、と感じる人も多いのであろうな、とも思います。しかしながら、この結末は必然でありましょう。それもまた人生の真実なのではないでしょうか?(2008/05)

2008/09/07

『8(エイト)』 (キャサリン・ネヴィル) 感想

宇宙の法則を司る伝説のチェス・セット<モングラン・サービス>を巡る物語。ファンタジー風味の冒険物語であり、ふたつの時代が交互に描かれる。ひとつは1790年代フランス、フランス革命前後であり主人公はこのチェス・セットが隠されていた修道院の見習い修道女ミレーユ。もうひとつは1970年代アメリカ、主人公はコンピュータ・エンジニアの女性である。このふたつの物語がチェスの白と黒の攻防のように描かれ、やがて物語という盤面の上で交叉していく。チェス用語を少し知っているなら、目次に目を通してみると興味深いかもしれない。逆にストーリーのいくばくかに想像がついてしまうという難点はあるが。ファンタジックな<8の公式>という設定がもう少し書きこまれているとよいのにと残念に思った。ここまでやるなら、ぼくとしてはあとひとつオカルティックな味付けが欲しかったところなのである。それとも、チェスをぼくよりもっと深く御存知の方々には何か他に感じるところがあるのだろうか?ルールを理解できる程度のぼくの知識では及ばぬところがあるのかもしれない。(1998/09/27)

『塗仏の宴 宴の始末』 (京極夏彦) 感想

「宴の支度」の続編である。「支度」が六つの独立した中編で構成されていたのに対し、こちらは長編の形態をとっている。当然、「支度」で逮捕されてしまった作家関口を中心にストーリーは展開するのだろうと思っていたらさにあらず。物語はさらに錯綜の態を見せる。結局のところ「始末」での最大の謎は消失してしまった村と登場人物たちの関わりなのであるが……。シリーズの今までに登場した人物たちを無理なく配してあり、彼らのその後を知ることができるという点では面白いのだが、逆に独立した物語として読んだ場合はどうなのだろうとふと疑問には思った。その点では「支度」のほうが面白く読めたかも。幻のような様相を呈していた世界が、この世に不思議なことなどないという京極堂の言葉で解体されていき、読者が思ってもみなかったような真相が現出するのがこのシリーズの魅力なのだが、その軸にあるものはやはり不思議なのではないかという思いがぼくにはあるのだ。京極堂の言葉で理詰めで判ったような気にさせられている事件のそれぞれは、それでもやはり考えてみると不思議なものばかりだ。そういった意味でも今回はその不思議の部分が少し弱いような気もする。まあ、関口が物語の軸になるだろうと勝手に思い込んでいたぼくがよくないのではあるが。いや、どうも待たされすぎたので素直には読めてないらしい。(1998/09/27)

『グイン・サーガ外伝15 ホータン最後の戦い』 (栗本薫) 感想

シルヴィア王女救出を主題にした外伝6冊のシリーズ完結編。これからもシルヴィアを巡ってはいろいろあるのだろうな、と思う。シルヴィアと結婚してグインがケイロニアの豹頭王となることは周知の事実だけれど、まだまだ波乱があるのにちがいない。外伝1巻『七人の魔道師』で予告されている「売国妃シルヴィア」とこの不幸な少女シルヴィアのイメージにはまだまだ遥かな隔たりがあるからだ。グイン・サーガには勇敢な女性が数多く登場するのだけれど、どちらかというとふつうの女性であるシルヴィアやアムネリスなんかは運命に翻弄されつづけで時に可哀相になってしまう。どのような事情でか売国妃シルヴィアが歴史に名を残しグインがケイロニアを去るにせよ、つかの間の平穏をこのぎこちない恋人たちにと思う読者はぼくだけではあるまい。(1998/09/17)

『純情漂流』 (夢枕獏) 感想

カラー写真を多数掲載したエッセイ集。作者の山に対する思いが綴られていて興味深い。『聖楽堂酔夢譚』はどこまでがフィクションなのかと迷うところであったが、こちらは現実に即したエッセイである。フィクションがあるとしてもそれはカットされているという程度なのではないか?プロレスは最強という幻想をかつて支えていたのは猪木の肉体のリアリズムというような話が冒頭に出てくるけれど、あの作者の描く膨大な幻想的物語のリアルさがどこに根差すのかをこの作品は教えてくれるような気がする。
ただ、キマイラのあのシーンはこの旅のこの場面をもとにしているのだよ、などと告白されてしまうと複雑な気分になってしまうことも事実だ。(1998/09/17)

『フリーマントルの恐怖劇場』 (ブライアン・フリーマントル) 感想

フリーマントルというと諜報機関もの、いわゆるスパイ小説の作家というイメージがあったので、このような短編集はめずらしいと思いました。スタンダードな怪奇ものからかなりひねった異色のものまで幅広く入っています。前者では女性の執念が結末に込められていて怖い「ウエディング・ゲーム」や「愛情深い妻」が面白かったです。後者ではCIA局員とKGB局員の幽霊があの世に行くために<魂>をさがしにきた地上で出会う「魂を探せ」がフリーマントルっぽいという点ではもっとも興味深いところです。他に生前認められることのなかったコメディアンが死後にシナリオ・ライターとして成功する過程を描いた「ゴーストライター」や未来を知ることのできる妻の幽霊を降霊会で呼び出して株の売買を行う「インサイダー取引」が面白いです。単純な怪奇小説でなく、そこにある種の皮肉や悲哀がこめられている点、面白く読むことができました。(1998/09/17)

『三つの願い』 (バーバラ・デリンスキー) 感想

三つの願いと聞いてまず思い出す有名な話というと、訳者のあとがきにも触れられているW・W・ジェイコブズの「猿の手」だろう。悪魔とか魔神とかからさずけられる三つの願いというのはそこに代表されるようにじつに皮肉な結果に終わることが多いものである。願いのかけ方というのにもじつにさまざまな作家が挑戦していて興味深いところだ。
この明確にロマンスと銘打たれた物語に手をのばしたのは、もちろんそこで展開される願いというものに興味を持ったからというのが理由のひとつだ。食堂に勤める主人公の女性は雪の夜に交通事故に巻き込まれる。彼女は誤って自分を車ではねた男性とやがては恋におちるが、事故で意識を無くしている間に光輝く何者かに三つの願いを授けられているというのがストーリー。結末に納得いきかねる部分がぼくにはあるのですが、それをのぞけば面白く読むことができました。この物語が「ロマンチック」であるかどうかは賛否の分かれるところではないかとぼくは思うのですが……。(1998/09/17)

『幻色江戸ごよみ』 (宮部みゆき) 感想

怪異譚をおりまぜた時代物の短編集。古道具屋を舞台にふたつの行灯の奇妙な由来を主人が語ってきかせる「春花秋燈」、不器量なお信に降ってわいたような良縁がきたわけ「器量のぞみ」、迷子の家を探し訪ねたが家族はなく子供はそこの者ではないという「まひごのしるべ」、娘の買ってきた古着をほごしてしまった母の語る奇妙な体験談「小袖の手」など。
いずれも江戸の風俗を折り込みながらたくみに語られる好短編。主人のひとりがたりの形式をとった「春花秋燈」などを読んでいると特に思うことだが、この作者の時代短編は落語の人情噺のようなあじわいがあってとてもすばらしい。そういえば怪異譚だって落語ではよく語られるテーマですね。淡々としているようで深いこのような短編はなかなかえがたいものだと思います(1998/09/06)

『スキップ』 (北村薫) 感想

17歳の少女がある時めざめてみると42歳になっている、夫も娘もいるようで、しかもその間の記憶は一切ないというお話。人生の時間の中で10代後半から30代後半くらいというのはいったいどのように位置付けられるものなのだろうか?まだ30代前半のぼくとしては、自分の通ってきたばかりのその時間にまだまだ客観的に判断を下せるような立場にはない。しかしながら、それはとても大切な時間であることには間違いないのではないか?きっと大多数の人にとっても恋をし、結婚をし、子供ができてという時間のはずである。
さて、この作品のなかで作者が言いたかったことは、17歳のように感じることができれば、たとえ肉体という器が42歳であっても17歳のように生きることができるということだと思うのだがいかがだろうか?主人公は過去という時間を失ったわけではない。主人公にとっては42歳の今は17歳の昨日に連続した日々だからである。論理的な解決も示されてはいるのだが、それはどちらでもいいことなのではないだろうか?問題は主人公が感情的に自分というものに納得できるかどうかである。いつの間にか17歳のように生きることを忘れてしまったのかもしれないぼくには、主人公の考え方に少なからず新鮮な驚きがあった。(1998/09/06)

『イン・ザ・ミソスープ』 (村上龍) 感想

外国人観光客相手に歌舞伎町などで夜の性風俗店のガイドを勤めるケンジのもとに、アメリカ人フランクと名乗る奇妙な男から依頼が。その顔は奇妙にマスクめいた肌に包まれ、その振る舞いは無気味な色を増していく。ケンジは彼が数日前に起きた女子高生バラバラ殺人の犯人ではないかと疑うのだが……。
日本という奇妙なミソスープ的空間に異質な人物を混入させ、その反応をみるという趣向はおもしろい。ミソスープ的なあなあの日本社会は暗黙の了解というやつなしでは成立し得ないのだが、それが通じない相手がいるとすればどうだろうか?フランクの求める「セックス」とはけっきょくはコミニュケーションということであろう。しかしながら、日本人はこの意思の伝達という行為が果てしなく下手なのである。そういった日本人がつくりだしたこの奇妙な社会はいったいどうなっていくのだろうか?(1998/08/30)

『家族の時代』 (清水義範) 感想

49年連れ添った両親が大祖母の三回忌の席で突然に離婚を宣言、仲がわるくなったわけでもないふたりがどうしてそのようなことを言い出したのか判らない家族は大騒ぎという物語である。
長男、長女、次女それぞれの家庭の事情を時には鋭く時にはコミカルに描き出しながら遺産相続という問題に焦点をしぼっていくやりかたはいつもながらに思わずうなってしまうほどうまい。この三つの家族というのがいかにもありそうな日本の今日的悩みをそれぞれにかかえていてとてもリアルなのである。それでいて深刻にはならないところもじつにいい。
この夫婦の考え出した作戦とその甘くほろ苦い結末には思わずニヤリとしてしまう。(1998/08/30)

『快傑ゾロ』 (ジョンストン・マッカレー) 感想

どうやらスピルバーグが再映画化するらしいです。原作はジュブナイル版をずいぶん昔に読んだきりだったので、楽しめました。18世紀末、いまだ北アメリカが植民地である時代、スペイン領カリフォルニアの総督の圧政に叛旗を翻した黒いマスクの男ゾロ。その特異な剣さばきで敵の額にZのマークを書き込む技はあまりにも有名ですね。ゾロの正体なんかはストーリー的にかなり見え見えなのですが、それでも充分に活劇として楽しめます。
ただ、ぼくのかんちがいかもしれないのですが、訳文でときどき使われている「村民」あるいは「村人」っていう言葉、これもともとは別の訳語だったのではないでしょうか?時代にあわせて訳文を変更するのはよいのですが、どうも前後がつながらないような感じがする部分があって面白い物語だけにそこがとても惜しいと思いました。(1998/08/23)

『ハルモニア』 (篠田節子)

脳の機能障害によって言葉を失うが音楽に特異な才能を示す女性と彼女にチェロを教えることになった青年の物語。何かに才能を示す者が総合的に人間としてみた場合あきらかに欠けたところがあるというのはよくある話ですね。ちなみに、これを読んでいてぼくの頭に浮かんでいたのはモーツアルトとサリエリを描いた『アマデウス』でした。先天的な才能というものを持たない人間は、不断の努力によって自分の望む方向に活路を見出していくのですが、血がにじむほどがんばっても何かを得られるとは限りません。そこに自分が求めても求めても手に入れられないものを実現させてしまっている人間が現れたら…。この物語の主人公である青年は、自分にとっては閉ざされた道を開くための才能を「育てる」機会を手に入れるわけですが、それは悪夢のはじまりでもあるわけです。自分が否定的に考えているチェリストの音を複写し再現していく彼女へのいらだちは、じつは自分自身の音楽へのいらだちに他ならないのでしょう。この物語の結末が特に否定的だとはぼくは考えていません。このふたりの音楽は例えそれが一瞬であったにせよ完成されたのですから。(1998/08/23)

『ドラゴン・ティアーズ』 (ディーン・クーンツ) 感想

安定した面白さを楽しめるクーンツ作品。主人公の刑事たちが冒頭のシーンで出会うとある犯人はエルビス・プレスリーの曲名でしか話をしない。対する説得もエルビスの曲名だけで行う。この何ともいえない不可思議な会話センスが素敵ですねえ。こうしたユーモアっていったいどこからやってくるんだろう?『ミスター・マーダー』のスタートレックねたは、ぼくは残念ながらあんまり乗れなかったのですが、今回は笑わせていただきました。あと、ホームレスの母子の飼っている犬の視点で展開していく場面なんかはほんとに秀逸です。犬っていうのはもしかすると、こんなふううに思考しているのかもしれないと妙に納得してしまいます。少なくてもクーンツを読んで不安にならないのはこのどこかにある健全さなのかもしれません。(1998/08/16)

『隣の家の少女』 (ジャック・ケッチャム) 感想

肌に合わない物語というのはやはりあるものだ。どうにも生理的に受け付けず、読んでいる最中に気が滅入って仕方なくなり途中で放り出すことも何度か考えた。それでも最後まで読んだのは少女の運命の結末が気になって仕方なかったからなのだが……。
この物語の最も恐ろしいところは怪物もエイリアンも出てこないことにある。人間の人間による恐怖の物語だ。例えば、どこかの見知らぬ街で連続殺人事件がおこったとして、ぼくたちはテレビのニュース解説を見て何かがわかったような錯覚に陥ってはいないか?それは、その犯人たちが「まともな人間」とは違った精神状態にあるのだということを自分に納得させることで安心してしまうからだ。スプラッタムービーが趣味なんてまともじゃないよ、というわけだ。しかしながら、この物語はそうした錯覚を根こそぎにしてくれる。まるで剥き出しの神経を逆なでにするような不快感が連続でおそってくる。それは、自分自身がこの主人公の少年と同じ立場に立たされたらどうなるかということを無意識に考えてしまうからだ。すべての「ふつうの人間」は加害者たりうる。主人公はごく平均的な少年であろうとぼくは思うのだ。特別の悪意を持たない代わりに、特別の勇気も持っていはしない。たぶん、誰でもが彼であり得るのだ。だからこそこの物語は暗澹とした気持ちにぼくをさせずにはいられないのだ。(1998/08/11)

『じっとこのまま』 (藤田宜永) 感想

ジャズのスタンダードナンバーをサブタイトルにした短編集。ミステリ仕立てなのだが、帯で山本周五郎や藤沢周平をひきあいに出してあるように、そういった「市井小説」である。どちらかというとイメージとして似ていると思ったのは下町を舞台にした半村良の諸作品である。表題作「じっとこのまま-ルート66」はかつては俳優を志望した男が今は下町でネオンつくりの職人をしているのだが、そこへ自分が昔結婚の約束をした女性と逃げた男が訪ねてくるという設定。その他の作品も靴みがき、フライパンつくりなど職人さんが主人公となっている。哀愁の漂う感じのよい作品集。(1998/08/01)

『僕を殺した女』 (北川歩実) 感想

ある朝目覚めてみると、女性になっていた。しかも記憶にある日付よりも5年が経過していた。これはまたスリリングな設定である。これをSFにせずに破綻なく解決してみせるという、久し振りに読み出したらとまらない作品にめぐりあったようだ。
記憶消失ものというのは数あるし、男性が女性になってしまうというのも『転校生』はじめ諸作品あげられるけれど、これをミックスしたところがよい。主人公の混乱した意識の流れの描き方がじつにうまいと思った。何か書くとネタばらしになってしまうのでこれ以上は詳細に触れないが、ラストの1行までノンストップで読むことができることうけあいである。事件の全体像の奇妙さは最近ぼくが読んだミステリ作品のなかでは群を抜いたものだと思う。もっとも、これ単行本は1995年であるから、今さら何を言っているのかとおこられそうでもあるが。(1998/07/26)

『聖楽堂酔夢譚』 (夢枕獏) 感想

はてさて、この類の本の感想を書くというのも、自分でやっていて何と野暮な行為であることかとにやにやしてしまう。SFというのは良い意味で法螺話の最たるものだとぼくは思っているのだが、この何でもありながらにそれでも一筋だけルールが貫かれている世界が結局のところやっぱり気に入っているのである。このルール、そういうのが悪ければポリシーとは、「面白い」ということなのだ。まじめな顔をして小難しい科学用語をちらつかせながら、人を煙に巻いて喜ぶという、まともな人間から見るとなんということをやっているのだという世界、これがSFなのである。
さて、そのような世界に棲む作家の方々のなかでも、しぜん気に入りのランクのようなものが自分の読書傾向のなかにできあがってくるのであるが、夢枕氏は当然のように上位を占めていることになる。すなわち法螺話がうまいのである。この本を上下左右にひっくり返してみても、どこにもこれがエッセイだともノンフィクションだとも書いてはいない。眉につばをつけながら読むのが正しいのである。
ここが嘘だよ、と巻末で「最低限のネタばらし」をしてあるのだが、それで安心してはいけない。あのネタばらしそのものが法螺でない保障がどこにあるというのだ!!「ネタばらし」を念頭におきながら、再読するのもまた一興だと思うのである。(1998/07/26)

『グイン・サーガ61 赤い激流』 (栗本薫) 感想

どこかで見たようなタイトルだな、という漠然とした疑問はあとがきを読んであっさりと解決。そうか山口百恵なんだなあ。いったいあれ何年前だ?
まあ、ともかく。本編はイシュトヴァーンのゴーラ僭王への道を着実に更新しているようですね。巻頭にリンダ姫の言葉がひいてあるけれど、ほんとリンダとイシュトヴァーンが将来を誓った草原から、何と遠くまできてしまったのでしょうねえ。感慨無量。外伝はあと1巻でキタイ編が完結とのことだし、何やらスカール太子も近く登場とか。楽しみなことです。(1998.07.20)

『数奇にして模型』 (森博嗣) 感想

シリーズ第9作。なぜ死体の首を切らなければならなかったのか?これはミステリでは興味深いテーマというかモチベーションだと思う。現場が模型交換会の会場というのもよい。ぼくもかつてはコミケなどに出入りした人間であるので、こういった会場の妙な熱気は少しはわかるつもりだ。作者が模型を趣味にしているのは有名な話だし、そういう観点から読んでみても面白いかもしれない。
ただ、気になるのは、これがシリーズ全体としてどこに向かおうとしているのか、未だによく判らないところである。次がシリーズ完結巻というのはすでに予告されていることなので、この巻くらいでもう少し何かがあるのでは、と考えた人は多かったにちがいない。そういう意味では見事に肩すかしを食ったわけだし、エピローグの解釈は人によってかなり様々になるだろうし、うーむ。(1998/07/20)

『暗夜を渉る』 (ロバート・B・パーカー) 感想

パーカーの新シリーズである。今度はアメリカ東海岸の小さな町パラダイスで警察署長を務めることになったジェッシイが主人公。年齢は30代半ば、もとロス市警の殺人課に勤務していたが、女優を志す妻に去られて酒びたりになり職を辞したという設定。パラダイスを牛耳る行政委員長ヘイスティは自分の邪魔にならない存在として酒浸りの主人公を雇ったが……というわけ。
まあ、本筋のほうはよい。いつものパーカー節であるし、好きな方にはたまらないだろう。むしろ気になるのは、どうしてもこの物語のヒロインが別れた妻ジェニファーと読めてしまうことで、ラストシーンには唖然とした人もいらっしゃるにちがいない。でもね、男と女なんてけっこうこんなものかも。たとえば、この物語を『キャッツキルの鷲』の再話として読んでみるのも面白いだろうと思う。ジェニファーはスーザン・シルヴァマンとはまったくちがうタイプだけれど、主人公ジェッシイとスペンサーにはどこか通じるものがあると思うし。けっきょく、主人公たちは愛されることも重要だけれど、自分が愛しているのだということがより重要だと言ってるわけだよなあ。これを男性のエゴイズムと読むかロマンチックな行動と読むかでずいぶん評価が変わってくる作品ではなかろうか?ぼくはけっこう好きですよ、この主人公。(1998/07/20)

『水妖 異形コレクション』 (井上雅彦 編) 感想

異形コレクション第5弾。テーマのせいだろうか、クトルフ神話を裏モチーフとしたものも見かけられて嬉しい。日本でクトルフをやろうと思うと道具立てが苦しいせいか陳腐なものになる確率が大きいようなのだが、さすがにこのアンソロジーに入っているものはそんなことはない。また、海とか沼とかに恐怖を求める作品と、水槽にそれを求める作品に分かれるような気がするのも興味深い。前者は深淵への恐怖であるのだが、後者は閉じた異世界をイメージするものなのだろう。作品としては倉阪鬼一郎の俳句連作ホラー「水妖記」、不条理な恐怖を感じる村田基「貯水槽」、ブラックな味わいの中原涼「乾き」、子どもたちの閉じた世界を描く早見裕司「月の庭」などがとりわけ楽しめた。(1998/07/05)

『おばちゃまはヨルダン・スパイ』 (ドロシー・ギルマン) 感想

「ミセス・ポリファックス・シリーズ」第13弾。前回『アフリカ・スパイ』の感想を書いているのが96年の12月だから、およそ1年半ぶりの新刊である。前回の感想にも書いたことだが、主人公を「おばちゃま」に設定する必然性がうすれてきたように思うのが気になるといえば気になるところ。ただし、この主人公には多分に作者自身が投影されているだろうから、そういう視点で読めばなるほどと思うこともある。
今回の舞台は中近東。イラクの反体制作家の遺稿を受け取りに行くというストーリーである。むしろ、そうか文学というのは世界的視点に立てばこのような使い方をされているのだな、という今更ながらのことに驚いてしまった。平和ぼけといわれても仕方あるまい。物語を物語としてだけ純粋に楽しめる国というのは世界にどのくらいあるのだろう?
また、外国の街並みや自然の描写が見事なのはシリーズを通じてかわらないところで、今回も異国情緒たっぷりで楽しめる。安定した面白さを楽しむことのできる好シリーズであろう(1998/07/05)

『逆説の日本史6 中世神風編 鎌倉仏教と元冦の謎』 (井沢元彦) 感想

「元冦」の時の神風体験がその後の日本の防衛音痴の原因となっているという後半部分も面白いが、個人的には前半の鎌倉仏教の解説部分がとても面白かった。いつも思うことだが、中学高校と日本史を習ったはずであるのに、自分はまったくさっぱりそれを理解していなかったのだということである。井沢説をとるかどうかは別にして、自分の歴史観の再検証をしてみるという意味がこの本にはある。
特に小乗仏教と大乗仏教の差異とか念仏、題目、禅、密教のわかりやすい説明がよい。今まで判ったような判らないようなという感じだった部分が時系列で説明されているので、なぜそのような宗教が成立したのかという根本が理解しやすい。読んでいて思ったのは、前半のこの宗教解説部分は逆説でもなんでもないということである。つまり、それほどに学校教科書では宗教についての説明がおざなりだということなのかもしれない。あるいはぼくがきちんと歴史教科書を読んでいないだけなのだろうか?(1998/06/29)

『ミスター・マーダー』 (ディーン・クーンツ) 感想

結局のところ「自分」というのはいったい何者を指し示す言葉なのだろうか?この物語を読了して最初に考えたのはそのようなことだ。瀬名英明氏による解説というか小論文を読み、その疑問は解消されるどころかますます深くなった。この物語の主人公で作家のマーティには作者自身が投影されているのだが、その「片割れ」についてはどうなのか?「片割れ」とはありえる可能性の一部なのだろうか?そうなり得たかもしれない自分というのを想定するのはとても怖いことだ。それは悪魔でもなければ怪物でもない。自分自身である。自分とはこのような人間であると信じることが、もはやできなくなってしまう。そのような内的な葛藤は、大なり小なり誰しもがふと感じたことがあるのではないだろうか?これは、そんな不安感を「片割れ」という形で独立させてみるという試みなのだろう。物語を読みすすむにつれて、ぼくたちは否応なく自分自身の闇の部分にも目を向けさせられることになる。ジキルが主でありハイドが従であるなどとは誰にも言えまい。その逆転の可能性こそが、この物語のスリルなのである。(1998/06/29)

『グイン・サーガ外伝14 夢魔の四つの扉』 (栗本薫) 感想

シルヴィア姫救出行もこれにて5巻目。この巻ではまたもグイン・サーガ最大の謎の一端に触れることができます。グインの故郷ランドックとはいかなる所か?この物語はいったい時代設定をどうしているのか?
まさか、あそこで×××××が出てくるとはね。このシリーズがそういう設定だったとは思いませんでしたよ。でも充分にあり得ることだったのかな。神様の名前とか一部それだものね。ということは時代としては超未来になるのかな?しかも我々の生きる時代と連続性があるってことに。よもや栗本作品『×××××』ともつながりがあるってことは?あれこれ想像してはいるのだが、どうなっていくのでしょうね。(1998/06/14)

『ハーメルンに哭く笛』 (藤木稟) 感想

ハーメルンの笛吹き男の伝説をバックボーンに戦前の帝都を舞台に描く妖異な物語。雰囲気はたいへんによい。すばらしいです。難をいうとこれだけの舞台を用意しながら、最後のほうは単なる推理小説になってしまうところだと思うのです。いつも思うことですが、魔界の雰囲気を持った物語というのは終局までそうであってほしいのです。人間界の理屈で謎が解けるのはそれでよいのだが、でも割り切れぬ何かが読後に残ってほしいと思ってしまうのですよ。まあ、これは好みの問題なのでしょうね。
間違わないでいただきたいのだが、面白くないんじゃありませんよ。かなり高得点をつけてよい面白さです。これ、シリーズ2巻目なのですが、ぜひ1巻の『陀吉尼の紡ぐ糸』も読んでみたいと思います。(1998/06/14)

『混沌の城』 (夢枕獏) 感想

新書版で出版された時にこの本を購入しなかったのは、これが夢枕獏でいうと雰囲気的に『魔獣狩り』のような作品だと思い込んでいたからである。もちろん、そういうのも嫌いではない、いや大好きなのだが、その頃はそういうものを読む気分じゃなかったのである。それから今まで機会を逃していた。
それで今回、何気なく解説を読んでいて驚いてしまったのだ。以下抜粋だが、
「本書は、いつの間にか、三部作として予定されていた『月に呼ばれて海より如来(きた)る』の三巻目的な性格を持つことになった」
ということだ。晴天の霹靂なのである。『月に呼ばれて』は続編を長く待ち望んでいた作品だったのである。あの夢枕獏の螺旋に関する物語の続編がこのような形になっていたとは!!
もちろん、伝奇バイオレンスとしても十二分に面白いのだが、螺旋の物語を今回も堪能することになった。この続きはいったいどうなるのか?そして『月に呼ばれて』と『混沌の城』の間をつなぐ話はどうなるのか?じつに興味深いところである。
そういえば、螺旋の力を持つ螺人たちの闘いのシーンって短編「超高層ハンティング」とオーバーラップするけど、何か関係あるのでしょうかね?(1998/06/14)


『地球樹の女神6 狼の足跡』 (平井和正)

輪廻転生というのは平井作品ではしばしば扱われるテーマですね。もっとも有名なのはもちろん『幻魔大戦』です。この『地球樹の女神』もいわゆる過去世というか、過去の自分というものを見つめるという話に今回からなっているようです。どうも登場人物の間からカルマという言葉が聞こえてくると、やはりこれもハルマゲドン・ストーリーなのだな、という気がします。『幻魔大戦』ではカルマを乗り越えるのにはどうすればよいのか、カルマとはどういう意味があるものなのか、というのが根本テーマのひとつになっていたと思いますが、今回はそこまではまだ深化していないようです。付録インタビューで五鈴が作者にけっこうやりこめられていますが、それはこの登場人物がそういったものにきわめて流されやすい性格に設定されているからでしょうか?全然タイプがちがうはずなのに、なぜか久保陽子を思い出してしまうのですが……(1998/06/14)

『覆面作家の愛の歌』 (北村薫) 感想

覆面作家シリーズ」第2弾。第1話「覆面作家のお茶の会」のオチを読んでちょっと唸ってしまった。そうだよなあ、苦労するんだよなあ、でもあんなにころころ変更することないじゃないか(ってこれはネタばれになるのか)
設定が奇抜なのでシリーズ化しているのかと思っていたら、第3巻で完結なのだそうだ。なかなかに楽しめるので、あと1冊かと思うと少し残念な気もする。(1998/05/31)

『春高楼の』 (清水義範) 感想

『三四郎』のパスティーシュと解説にある。清水義範なのだから、まあそうした分類はけっして間違ってはいないのだが。もっと単純に楽しめる青春小説だといったほうがよいと思う。『三四郎』未読でももちろん十分に楽しむことができる作品。むしろぼくにとってはオーバーラップするのは清水氏自身の自伝的作品『青山物語1971』とか、予備校を舞台にした『学問のすすめ』三部作の方だった。
明治33年頃を背景に、地方から上京したひとりの帝大生を主人公にその日常を描くといったもの。当時の風俗が丹念に描かれていて興味深い。(1998/05/31)

『理由』 (宮部みゆき) 感想

宮部ミステリらしからぬ語り口に驚く。これ、インタビュー形式になっていて、ノンフィクション・ノベルのようなのだ。気分が乗るのにずいぶんかかってしまったが、100ページをすぎる頃にようやくなれてきた。
この物語、じつは「一家四人殺し」というセンセーショナルな部分はじつはどうでもよいのだろう。むしろ「なぜ起こったか」の方がメインになっていることが、読みすすむにつれて徐々にわかってくる。事件に関わった様々な家庭を、そして家族を「インタビュー」しながら微に入り細を穿って分析していく。現代にあって家族とは何なのか?家を買うとはどのような意味を持っているのか?淡々とした描写の中にやがて、思いもよらないような現実が浮き彫りになっていく。
無気味な物語である。そして、この無気味さが身近かなものであるだけに、いっそう怖い。理解することがけっしてできない隣人たちが、ぼくのすぐそばにも住んでいるに違いない。そして、彼らから見るとぼくのことが理解できないのに違いない。判りあえる何かの基盤を現代人は失おうとしているのだろう。
悪くいうと平板な展開の物語なので、賛否の分かれる作品になるのではないだろうか?形式においてかなり損をすることになった作品かもしれないが、内包しているテーマはかなり重いものなので、じっくりもう一度読み込みたいと思う。(1998.05.25)

『六の宮の姫君』 (北村薫)

文庫化まで待とうと思っていたのだけれど、誘惑に負けて買ってしまった。『朝霧』の横に平積みになっているんだもんなあ。まあ、ハードカヴァーで買っても後悔はしない作品だと思いますよ。
卒論に取り組むことになった《私》はテーマに「芥川龍之介」を選ぶ。ふとしたことでアルバイトすることになった出版社で芥川についての謎めいた逸話を聞かされるという筋。今回の謎は、その逸話の真実ということなのだが、そこに至るまでの当時の文壇についての調査、作家間の交流といった事柄がとても面白く読める。つまりは芥川についての作家論といった感じで文章が展開していくのだ。この「円紫さんと私」のシリーズでは異色の作品となっているような気がしますね。(1998/05/17)

『エイダ』 (山田正紀) 感想

この文庫本を読んで、やっぱり山田正紀にはこうした本格的なSFをこそ書いてほしいものだ、と思うファンは星の数ほどいるはずである。最近はミステリ畑に進出しておられるのでそちらで有名なようであるが、ぼくにとってはやっぱり『神狩り』の作者であり、『宝石泥棒』や『神獣戦線』の作者であるのだ。それらの作品をはじめて読んだ時とほとんど同じレベルの感情の高ぶりを、この作品はふたたび味あわせてくれる。「物語」世界が「現実」世界を侵食していく物語。登場人物はバイロンの娘にして数学の天才エイダ、『フランケンシュタイン』の作者メアリ・シェリー、コナン・ドイル、そして衰退していくSFというジャンルを嘆く作者本人を思わせる「作家」。これだけの仕掛けが揃っていて面白くないはずはない。(1998/05/17)

『審判の日』(五十嵐均) 感想

キリストの再臨という興味深いテーマを扱ったミステリーである。そして、これはSFで長い間に渡って問い続けられてきた疑問「クローンとはいったい何か」に挑戦した物語である。クローンによって作り出された個体は果たしてオリジナルと同じものといえるのかどうか?生物学的に同じ要素を持つからといってそれが何になるというのか?もしキリストのクローンが可能だとして、そのクローンを再臨といえるのかどうか?問題は信仰の対象にではなく、むしろ何を信じるかという心そのものにあるのかもしれない。
この物語においては、再臨したといわれるキリストが本物かどうかということは、じつはどうでもよいことなのかもしれない。それが可能だとして、信じることができるのかどうかという迷い、彼に最初からかかわりながら信じ切れずにいる主人公の迷いこそが人間という生き物の心のミステリーとなっているのだろう。(1998/05/10)

『改訂決定版笑説大名古屋語辞典』 (清水義範) 感想

共通語からの逆索引までついた本格的な辞典である。ここまで言葉に思い入れられるというのはすごいですね。考えてみれば、氏自身が語るように、こんなことはべつに名古屋が特別なのではなく、各地方地方で成立する範囲のことである。まあ、だからこそ名古屋出身ではないぼくが読んでも、自分の出身地の何かと照らし合わせてニヤニヤするから面白いのでしょう。でも、やっぱり、ここには名古屋人しかわからない微妙なアレとか言外に匂わされている絶妙なソレといったものがあるのではないのか?名古屋に生まれなかった人間としては清水義範の語るそのような面白さを真には理解できていないのではないかと、ちょっと複雑な気分になってしまうのである。(1998/05/04)

『ひと恋しくて-余白の多い住所録』(久世光彦)

人名録である。何かに連載されていたのだろうか?ぜひに連載で読みたかったという気がする。俳優、作家と氏の交友を通して描かれる人々の横顔は、たとえばテレビを通してみるものとは微妙にちがっていて面白い。もっと面白いのは交友があった人ばかりではなく、作品を読んだ、あるいは見て感動したという人々についても触れている点か。現実空間からははみだした広大な交友録というわけである。どのような順番で書かれたのかといろいろ考えてみた。連載で読んだらわかったろうか?ちなみに三人目には向田邦子、最後から二番目には昭和天皇について記されている。(1998/05/04)

『悪魔の発明 異形コレクション』(井上雅彦 編) 感想

書き下ろしホラーアンソロジー「異形コレクション」の4巻。こういったアンソロジーは巻数を数えるにつれて質的にどうかなあと思うような事態に陥ることも多いのだが、心配無用のようである。むしろますます興味深い作品がふえてきていて楽しみだ。今回はテーマからか山田正紀、梶尾真治、堀晃とSF畑の作家が多く名を連ねているのも嬉しい。
「星月夜」は横田順彌の<押川春浪・鵜沢龍岳シリーズ>。2巻の「花菖蒲」を楽しんだ方ならばぜひ続けて読みたいものである。
「よいこの町」(大場惑)は日常に潜む日常的恐怖を描いている点で秀逸。女性読者にはピンとこないって?男性諸氏は皆心底恐怖したと思いますよ(笑)。
「決して会うことのないきみへ」(森岡浩之)はパラレル・ワールドもの。このアンソロジーの中でもっとも気に入ったものである。市販の日記帳を買ってきてこのまま書き写し、そっと誰かの机に忍ばせたいという誘惑に駆られる。平井和正の短編で「次元を駆ける恋」というのがあるが、ちょっとそれを思い出した。読み比べると面白いかも。
「32」(斉藤肇)は怖い。このアンソロジーの中ではもっとも怖かった。ラストまで読んで、それから題名についてじっくり考えてみる。ほら、あなたは大丈夫ですか?(1998/05/04)

『魔性の子』(小野不由美)感想

自分には本来ほかに属するべき世界がある、というのは夢見がちな少年少女なら誰でも一度は考えることではないでしょうか?しかし、それがもし真実だったら…。
教育実習生として母校にもどった主人公広瀬は自分がうけもつことになったクラスで皆に避けられている少年である高里に出会います。彼の周囲では次々に奇妙な事件が起こり、死者が次々に出ます。本人さえ意識しないうちに起こりつづける奇怪な事件、ホラーの王道とでもいうべきストーリー展開ですね。
この物語、じつは「十二国記」とかなり濃い連続性をもった話です。それを知って慌てて購入したというのがほんとうのところなのですが。読了後、奥付けを調べてどの物語が年代的に最初に書かれたのか思わず調べてしまいました。「十二国記」の全体構想というのはいったいどのくらいにあらかじめ考えられているのでしょうか?(1998/04/26)

『朝霧』(北村薫)感想

「円紫さんと私」シリーズ第5巻。じつは『六の宮の姫君』は未読のままなのであるが、なんだか心魅かれて読んでしまった。三編の短編から構成されているのだが、奥付けを見ると雑誌発表は1年に1編。じつに贅沢な発表のされ方である。物語りの中においても前作からみて2年ほどが経過していることになっている。
そしてやはり嬉しいのは、これが死人の出ないミステリだということである。なんだかほっとするというと妙だろうか?魅力的な謎というのは別に殺人事件を起こさなくても作ることができるということだ。たとえば表題作は暗号がテーマになっているが、祖父の日記に記された謎の言葉という形がこころにくい。しかも、単に謎解きではなく、主人公の心の成長に呼応するようにしつらえてあるのがよい。未読だった『六の宮の姫君』も増刷されたようなので、思い切って購入しようかと考えている。(1998/04/26)

『「日本」人民共和国』(井沢元彦)感想

題名からも作者の意図は明らかですね。もしも日本が北朝鮮のような国家になっていたらという仮想の歴史小説です。新聞記者である主人公は取材先で原子力発電所の事故に巻き込まれ、もうひとつの日本の歴史に迷い込んでしまうというパラレル・ワールドSF仕立て。井沢作品にしてはエンタテイメントということも手伝って少々悪乗りしすぎた部分もあるように思ったけれど、このような国家がごく近所に実在しているのだと思うと暗澹とした気分にもなります。もう少し政治的背景を突っ込んで書いてあってもよいのではないかとは思ったけれど、逆に井沢作品への入門書として読むのなら案外よいかもしれないなあ。ブラックな味付けの興味深い作品でした。憲法9条の問題については、『逆説の日本史』『言霊』などのノンフィクションで触れてあるので、この作品からお読みになる方はそちらも参照されるのがよいと思います。(1998/04/19)

『サリンジャーをつかまえて』(イアン・ハミルトン) 感想

『ライ麦畑でつかまえて』の作者サリンジャーの評伝。しかしながら、サリンジャーという作家が出版社嫌いというのは知っていたけれど、これはすごい。「隠者」なんて言われてるんですねえ。ほとんど推測的な資料しか残してないサリンジャーの軌跡を追って伝奇作家が資料収集する過程は下手なミステリよりよほど面白い。この本の初稿はサリンジャーの告訴、出版差し止め請求を受けるのだけれど、作者は2度にわたって書き直しを行い、ついに裁判にも勝つことができるのですね。
作家論というのは、物語を研究する上では作品論とは両輪となるべきものだから、この著作が世に問われるまで、ひとりの有名な作家が厚いミステリアスなベールで覆われていたこを考えると妙な気分になります。(1998/04/19)

『瑠璃の方船』(夢枕獏) 感想

夢枕獏自身を主人公にした「私小説風」の物語。もちろん「風」とついているくらいで「嘘やでっちあげをたくさんちりばめてある」のだそうだが、どこからどこまでがフィクションであるのかと考えながら読むのも面白い。もちろん、氏の数々の作品を知らなくても充分に楽しめる物語なのではあるが、ここはやはり氏の代表作は読んでからの方がいっそうよいであろう。作品そのものについて触れられている箇所もあれば、おや、これはかつて夢枕作品のどこかで遭遇したシーンだぞ、と思うこともある。とりわけ、『風果つる街』の読者であれば、かなりどきどきしながら楽しむことができる。これはもちろん主要登場人物のひとり河野とのからみにおいてであるが。あと青春時代のエピソードについていうならば初期のファンタジー系列の作品を読んでいればなお興味が増すにちがいない。
いや、くどくどしいことは言うまい。格闘物でもないし伝奇ものでもないが、これは間違いなくひとりの男の闘いの記録であり、文句なく面白いのだ。読むべし。(1998/04/12)

『グイン・サーガ60 ガルムの報酬』(栗本薫) 感想

前巻にてモンゴールの軍師アリの所業はすべてイシュトヴァーンの知るところとなったわけであるが、これはその始末編。ちょっとあっさり片付きすぎたような気はするけれど、外伝の『七人の魔道師』でグインがちらりと口にしたイシュトヴァーンの行いとのギャップはこれで埋まることになった。そうか、なるほどこうつながるわけであるな。どうも『七人の魔道師』で触れられるイシュトと今までうまくつながらなかったのですよ。納得納得。
まさにヤーンの何とやら。これだけ長い物語を綴っていて破綻らしい破綻が見られないといのは、ほんとうにすごいことだと思う。
それに、今回のあとがき!!速筆の方だとは思っておりましたが、よもやここまでとは。いくらワープロ使っているからといって、すごすぎます。(1998/04/12)

『幻夢エドガー・ポー最後の5日間』(スティーブン・マーロウ) 感想

五日間の謎の失踪の後に死んだエドガー・アラン・ポーの物語。歴史ミステリというよりは幻想小説に近いものがある。まるで万華鏡のように様々の変化を見せるポーの回想は、現実の空間のみならず、彼自身の生み出した架空の領域にまで陥っていく。
人は死ぬ瞬間に生まれてからそれまでのことをすべて回想するというが、ポーのような幻想作家の場合、そのパノラマ視現象はただ、自らの人生にのみ及ぶものではないのかもしれない。徐々に錯綜していくストーリーは読者を不可解な混乱へと導いていく。
ポーの作品をもっと読み込んでいれば、楽しみも倍増してかもしれないと思うと少々くやしい。ポー全集は手元にあるので読み返してみてからもう一度というのも一手かもしれない。(1998/04/12)

『今はもうない SWITCH BACK』(森博嗣) 感想

ミス・リーディングである。でも最初からある程度検討がついた方は多いのではないだろうかなあ。むしろ、興味をもって読みすすめていたのは、そのことがいったい何を意味しているのか。犀川と萌絵にどのようにかかわっているのかである。最初のうちは確信に満ちて読んでいたのだけれど、名前の賭けをするあたりで揺らいできてしまった。あれえ?違うのかなあ?おかしいなあ?という感じ。まさかあんなところに落とされようとはなあ。あちこちの読書感想に、やられたという意味のことが書いてあったけれど、ぼくも同感。予測をつけたくらいではやはりだめなのである。読了してからしばしにやにやしてしまった。しかしですよ、みなさん。最後まで読んでからもう一度考えてほしいのですが、そういうふうに解決するのならば、21ページ(ノベルズ版)の萌絵の言葉の真意はいったい何のことを意味しているのでしょう?これこそが今のぼくにとっては最大のミステリイなんだが。何か見落としたかなあ。誰か教えてたもれ。(1998/04/12)

『リング』(鈴木光司) 感想

モダン・ホラーはあまり読まない。キングでさえ読まないのだ。どうもスプラッタというか、生理的嫌悪感をさそうことを目的に描かれたものが苦手なせいだろうか?ぼくにとっての恐怖小説とは、そういうものとは一線を画した精神的恐怖をさそってくれる物語である。
そういう意味ではこの『リング』、とても面白い。好みとしては少々サスペンス的方向に傾きすぎているような気はしないではないが、十二分に怖い。読んで夜眠れなくなる人が出てくるのも判るような気がする。ここで語られるのは現代的な一種のフォークロアなのかもしれない。都会という闇の中に潜む人間という名前の怪物。それがここで語られるような形でいつか自分の背後に忍び寄って来ないと誰に言い切ることができるだろう?(1998/04/05)

『塗仏の宴 宴の支度』(京極夏彦)

「宴の支度」「宴の始末」で上下巻になるそうで、下巻は7月刊行である。とはいえ、各章がある程度独立していて連作の形式をとっているので上巻だけの感想をUPしてもまあよいだろうかと思うのだ。
「塗仏」というのは「ぬらりひょん」のことであるようだ。まあ、「名が違う限り一緒にしてはならない」ということなのだが、ぼくにはこの方がなじみなのだ。記憶に間違いなければ、この妖怪の正体は「よくわからない」ということを水木しげるが書いていたと思う。「妖怪の総大将」などとされながら何をする妖怪なのかよく判らないらしい。
さて、この『塗仏の宴』という物語、つまるところ様々に分化融合していて根が同じだかどうだかよく判らない話をミックスして入れてあるということか?事件の背景を各章で追っていくと、たしかにつながっているような、それでいて何の関係もないような奇妙に不思議な心持ちがする。今までにシリーズに登場した人物たちが、それぞれの章で主要な役割を果たしているのも興味深い。そして、幕間のようにはさみこまれる関口の意識。やはり、関口がメインで動いてくれると、あの何ともいえない不安感が最高に高まって心地よい。
まあ、事件はいまだほとんどが推移中なので、詳しく語るのは下巻の感想UP時に譲るとして、今回も不可思議な道具立てが様々に揃った作品に仕上がっていることだけを申しそえておこうか。消失する村、幼い子供を攫っていく薬の行商人、記憶の改変、女予言者、これだけ謎を投げかけておいておあずけはつらいぞ。下巻の刊行、早くはなりませんかね?(1998/04/05)

2008/09/06

『地球最後の日』(フィリップ・ワイリー&エドウィン・バーマー)

驚いた。何が驚いたといって昔々に読んだジュブナイル版は抄訳なんてものではなく、この物語をベースにした創作といってもよいくらいのものだということが今になって判明したのだ。ジュブナイル版では主人公はブロンソン教授の息子で、終始彼の視点で物語が進んでいた。あの、ブロンソン天体のデータをライオンの剥製とともに旅客機で運ぶシーンとか全くの創作だったのだ。まあ、主人公たちの三角関係的あやうさについてはジュブナイル版でもそれとなく触れられてはいたが。
まあいい。そういうわけで日記で触れていたような訳の差異なんていうレベルの話ではなくなってしまったので、まったくの新しい物語を読むつもりで臨めた。パニック小説として秀逸であるし、SF的な設定の部分も色褪せた感じはまるでない。人類という種の保存という観点に立って淡々と作業を進める人々の勇姿はすばらしいものがある。へんにセンチメンタリズムに流されないところも秀逸。そっけないほど突き放した結末もパニック小説によくあるようなお涙頂戴とは一線を画している(もちろんジュブナイル版では180度変更してあったが)。
惜しむらくは「種の存続」というものを最大課題とした場合の男女の反応を主人公のふたりを通してしか描いていないところだろうか。繰り返し語られるこのテーマが続編『世界が衝突した後』ではどのように帰結しているのか興味のあるところなのだが、続いて訳出されないものであろうか?(1998/03/28)

『今夜もべルが鳴る』(乃南アサ) 感想

電話の向こうで喋っているのはほんとうに自分のよく知っているあの人だろうか?そんな不安におそわれたことはないでしょうか?これは一口に言うとそんな物語。電話で話しているうちに知っているはずの人のことが判らなくなってくる。だんだんと自分の知らない人間に変貌していく。実際に会って話をするといつもと変わらない人に見えるのだけれど……。ネット社会になってくるとこういうこと増えるのではないだろうか?電話ならまだしも電子メールとかチャットでやりとりしていると、このような不安におそわれる機会も増えてくると思います。(1998/03/28)

『キマイラ吼シリーズ14 キマイラ縁生変』(夢枕獏) 感想

じつに4年ぶりのキマイラである。読みはじめたのが高校生の時だから最早15年近いおつきあいとなる。ストーリーは13巻「梵天変」を受けて久鬼麗一の「父」玄造が過去を語る形をとっている。舞台は遠く海を越え敦煌へ。どうやらキマイラのルーツに近づいていくようである。はじめて本編で「獣から、千年に一度、希に黄金の人、誕生す」というくだりが現れるのが興味深い。すでに我々は「神話変序曲」において大鳳吼が辿る運命の一部を知っている。九十九三蔵が、真壁雲斎が、そして久鬼麗一があのシーンに追いつくにはあと何巻が費やされるのであろうか?「もう少し早い速度でキマイラを出してゆけるようにしたい」という夢枕氏の言葉に期待したいと思う。(1998/03/28)

『緋色の記憶』(トマス・H・クック) 感想

老境にさしかかった弁護士の胸に去来する少年の日々。それは憧れていた美しい女性教師に訪れた悲劇についての記憶だった。断片的な記憶が、まるで雲母を薄く薄くはがすかのようにほんとうに切れ切れに語られる。読者はただ象徴的に触れられる「悲劇」という言葉に導かれながら核心には近づくことすら許されない。去っていった日々というものは残酷なまでに美しく甘美であり、また目を背けたくなるほど醜悪である。それが両立しうるというところこそ人という生き物の持つ記憶という機能の不可思議なところではないのか?誰が何を為し、あるいは誰が何を為さなかったのか。大なり小なりそれは人間すべてが胸の奥底に隠し持った問いかけであろう。淡々とした情景描写を背後に、静かに静かに語られる秀作。(1998.03.25)

『変身 異形コレクション』(井上雅彦 編)

ホラーアンソロジー第3弾。冒頭を飾るのが倉阪鬼一郎とくれば、これはまたも前2冊にまさるともおとらない濃い内容である。「きれいになった」(中井紀夫)や「生きている鏡」は女性の変身というテーマを扱っていて秀逸。前者は男性の視点、後者は女性の視点で描かれているのだがどちらも怖い。女性は魔物という言葉もこのような作品を読んだ後なら首肯せざるを得まい。「痩身術」(太田忠司)は題名の通りダイエットという変身を扱った作品。黄昏の世界にあっては痩せるのも命懸けである。「いつの日にか、空へ」(草上仁)はこのアンソロジー中もっとも気に入った作品。ホラーというよりはむしろSFに属する作品であろう。わずか数十ページの中に悠久の時間を閉じ込められていて、すばらしい味わいがある。「転身」(安土萌)には、思わず、やられたと声をあげてしまった。変身が行われる時、それがいかなるものであれ、ぼくたちは自分の理解の及ばない人外の境地を見ずにはいられないのである。(1998/03/25)

『花迷宮』(久世光彦)感想

幻想的雰囲気のエッセイ集。エッセイなのではあるが限りなく物語に近いものがある。それは、語られる主題が黄昏の時間についてであり空間についてであるからだろう。向田邦子と語り合う子供の頃に読んだ父の本棚、兄や姉の本箱からこっそりと盗み出して読んだ少年小説や少女小説。禁断の香りに触れたような乱歩や横溝の世界。驚くべきほど幼い頃までその記憶は溯り、やがて現実空間から遊離したような感覚に陥る。それは少年という日々の煌きが放つ幻惑なのか?それとも昭和のはじめという時代の昏さが残した虚像なのか?そして作者の妖しい記憶とともにいつも在る金木犀の香り。逸品とはこのような物語にこそ捧げられる言葉であろう。(1998/03/15)

『天皇になろうとした将軍』(井沢元彦)感想

井沢元彦の歴史ノンフィクション。表題は足利三代将軍義満のことである。なぜ戦乱記を『太平記』と呼ぶのかという謎を発端に室町幕府の成立事情と後醍醐天皇の建武の新政の関わりを解きほぐしていく。いつも驚くのは氏の眼にかかると高校まで日本史で習った時には何も感じなかった数々の事柄に新たな疑問が起きてくることである。本書でも「鹿苑寺金閣」、「平等院鳳凰堂」、「聚楽第」という時代の異なる建築物の持つ意味の解析など思わず唸ってしまう部分が各所にある。本書の成立は『逆説の日本史』に先行するものではあることは承知しているが、『逆説の日本史』では語り切れない細部について他でも各論的な研究書が著されると面白いかもしれない。(1998/03/15)

『グイン・サーガ外伝13 鬼面の塔』(栗本薫) 感想

魔都ホータンにおけるグインの戦いを描くシルヴィア姫救出編の続きである。グインの出自に関わる謎は今までも小出しにされてきたけれど、今回はそれにまたひとつ重要なアイテムが加わることになる。かつてグインの王冠に飾られていたという瑠璃がそうである。あと碧玉と琥珀があることになっているが、今回は名前のみ。うーむ、ランドックっていったいどこにある国なのでしょう?なんだかこれでまたもや謎が深まったような気もするのだ。それにしても次巻ではシルヴィア姫成るのでしょうか?(1998/03)

『精神集中剤』(眉村卓)感想

これまた久し振り、眉村卓の短編集である。表題からしてSFなのかと思ったら、必ずしもそうとは言えない。むしろSFテイストのサラリーマン小説というところか。そこがちょっと寂しい気もするが仕方ないのだろう。
主人公たちはごくごく平凡なサラリーマン、それもけっして若くはない、どちらかというと中間管理職が多い。彼らがふとしたことで奇妙な世界と触れ合う物語が集められている。奇妙な世界といっても、そういえばそんなこともあるのかなと納得できる範囲であるところがうまい。自分の力を社外の評価ではかってみたい男、人づきあいが下手な男、リストラの対象にされそうな男、ほんとにひとごとではないのである。彼らが「会社」という組織の中でどのように苦境を乗り切ろうとするかは、むしろ平社員のぼくなどより管理職の方々の共感をより多く呼ぶだろうことは容易に想像できる。(1998/03/15)

『タイム・シップ』(スティーブン・バクスター)感想

タイム・トラベルSFの古典であるH・G・ウエルズ『タイム・マシン』の公認続編。
物語は「時間旅行家」が最初のタイム・トラベルから戻り、エロイ族の少女ウイーナを救うべく再び未来に旅立つところから始まる。もちろん、読者である我々は「時間旅行家」がふたたび『タイム・マシン』の語り手である「作家」のもとには戻らなかったことをすでに知っている。果たして彼の身に何が起きたというのか?
タイム・トラベル小説というと、やたらに小難しいパラドックスを扱ったマニアックなものになるか、逆にどうしてタイム・トラベルにしなければならないのかと首を傾げたくなるような冒険小説まがいのものも多いが、この作品はそのような凡百のものとは一線を画していてじつに楽しめる。タイム・トラベルその他の道具立てとストーリーの起伏のバランスがとれているのだ。エロイ族とモーロック族の確執を通して人間社会の進化方向を考えるという原作の意図もパラドックスを用いて上手に処理してあり好感が持てる。なんだかずいぶん久し振りに「面白い」と断言できるSFを読んだような気がする。(1998/03/15)

『月光魔術團vol12満月集会』(平井和正)感想

祝、第1期月光魔術團完結!!
でも『幻魔大戦』ではこの第1期完結のあとおおいに待たされることになったからなあ。と思って刊行予告を見ると”第2期月光魔術團はPDFでインターネットのみでの販売”と書いてあるではないか。ううううううううむ。英断だとは思うけど、それはパソコンを持ってない人には平井作品の新作に触れる権利がないってことではないですか?
昨今の出版事情を嘆く平井氏のコメントは既読なので反対はできないけど、まだまだパソコンは高価な玩具だと思うよ、ぼくは。特に平井作品に接することの多い若い世代にとっては家庭の事情というやつが左右してくるしね。それとも中高生へのインターネット普及率はぼくが思っているより進んでいるのかな?前回『ボヘミアンガラス・ストリート』のネット先行発売時にはパソコンを持ってなくて悔しい思いをしたので、ちょっと過敏になってしまう。今回のファンのみなさんの反応はどうなのでしょうね?ぼくとしてはメインがネット販売であっても、今のところ一般の書籍形態での供給を断つべきではないような気がする。内容の感想になってないけれど、常に新しい出版の形態を模索しつづける平井氏の頭の中はきっとすばらしい計画でいっぱいなんだろうと信じて感想に代えることとします。それではみなさん、2月下旬からBitCashだけでなくクレジットカードでも対応しているようだし平井和正ホームページ "Moonlight Campus"に早速DLしにいくことにしましょう。(1998/03)

『闇に浮かぶ絵』(ロバート・ゴダード) 感想

ゴダードはどうも当たり外れが大きいような気がしているのだが、これは間違いなく「当たり」のほうである。
舞台は19世紀終わり頃のロンドン。自殺したと思われていたひとりの男が突然かつての家族と婚約者のもとに姿を現す。が、家族たちはみな彼を詐欺師として扱い認めようとはしない。とりわけ男の代わりに准男爵を受け継いだ弟と、彼のかつての婚約者と結婚している男性にとっては、その存在は彼らの居場所そのものを危うくするものであった、というのがストーリー。
物語は三人称で語られる部分とかつての婚約者の夫トレンチャードの一人称の手記が交叉するように書かれている。錯綜するプロットは最後まで飽きさせないし、冒頭の謎めいた男の出現シーンからラストの劇的な結末まで息を詰めるようにして読むことができる。ただ、何となくこのもと婚約者の女性の行動ってのがどうかと思うぞ。いくらかつての婚約者と思われる男性が突然に現れたからといって、あれはないんじゃないかい。いずれにせよ登場人物たちの中でいちばん可哀相なのはトレンチャードであることに間違いないですね。世の「夫」というやつの存在意義を問いかける(笑)目的で書かれたのではないだろうが。ぜひ女性の方々の御意見をお聞きしたいところです。(1998/03/08)

『地球樹の女神5 聖母の宝石』(平井和正)感想

さて、この巻では後藤由紀子の提案により奥吉野山奥ツアーが行われるわけだが、作者自身がかつて大峯山参詣をしていることなど思い出すと興味深い。このあたり犬神一族の聖地でもあるしね。
ところで、ツアー参加メンバーには面白い名前がならんでいるのだ。巨漢の生徒会長鏡。小柄な生徒会書記長横田、林石隆、佐藤正明、妻木美夜、土屋薫、響明日子、安西律子、ちょっとページを繰っただけでこれだけ出てくるのだ。丹念に拾い上げたらいったい何人いるのだろうか?これらはすべてかつての作品の登場人物と同じ名前なんだよなあ。まあそう言ってしまうと後藤由紀子自身がそうなのであるけどね。さてどの人がどの作品でどのような役割をしていたか、すべて答えられるならあなたもぼくと同類ですね。(1998/2/15)

『記憶の果て』(浦賀和宏)感想

第5回メフィスト賞受賞作。妙にところどころひっかかるような読みにくさのある文章なのだが、計算してやっているのだとすると効果は大きいと言わねばなるまい。自殺した父親の部屋に残された奇妙なコンピュータ。そこには<裕子>という意識を持っているのではないかと疑うような奇妙なシステムが残されていた。高校を卒業したばかりの主人公は<裕子>の謎を探るうちに自分自身に隠された謎にいつしか心ならずも辿りついて、というストーリー。なんだか釈然としないラストだし、そこまでいくまでに用いられた膨大な量の言葉に比してもどうかと思う。最後の50ぺージほどはそれまでにくらべてとばしすぎではないか?もう少しバランスがとれていればもっと面白く読めたかもしれない。ただ誤解なきように言っておくけど、粗削りな中にも奇妙にひきつけられるもののある物語であることは確かだ。次作に期待といったところだろうか。(1998/2/15)

『再生の朝』(乃南アサ)感想

夜行バスに偶然乗りあわせた様々な年齢、様々な境遇の人々。不意に起こった殺人事件から、彼ら本来は言葉を交わすはずもない人々が行動を共にするというストーリー。登場人物たちすべての視点に描写は万華鏡のように切り替えられ、見る立場の者が次には見られる立場になっているという技法が面白い。これを読んで思うのは、人というのはなかなか理解などしあえないものなのだな、ということである。誰かのひとつの行動も、どのような立場でそれを見るかで見方が変わってくるのだから。物語がはじまった時に読者に見えていた登場人物たちの姿が、終盤ではかなり違った様相をそれぞれに見せるところがたいへん興味深い。特に殺人者である女性にかかわる部分のラストシーンには思わずあっと言ってしまったぞ。(1998/2/15)

『敵』(筒井康隆) 感想

75歳の妻に先立たれた男の頭の中に徐々にその姿をあらわしていく「敵」。それを恍惚という言葉でかたづけることができるのだろうか。主人公は日常生活をごくふつうに送っているつもりでだんだんに何かとずれを生じていく。もどかしいまでに、しかし、ではどこがおかしいのかと指摘できないところがじつはこの物語の怖いところではないのか?ひとつひとつの行動はごくまともなのである。だが、その1行を読むだけでは現れることのない何かがページを連続して追ううちに行間から立ち上っていく。はたして、この物語を読んでいる自分自身の足元はたしかなものなのだろうかと、それさえも途中から疑いだしてしまう。恍惚とはこのような幻想空間へのボーダレスな移行を言うのであろうか?恍惚状態に陥っていく者の意識の流れを執拗なまでに緻密に追うという物語が他に存在しているのかどうか知らないけれど、この物語ではそれがかなりリアルに描かれていると思う。もしそのような状態の方がこの物語を読むことができるなら、そうなんだ自分の状態はまさしくこの通りなんだと納得するような奇妙なまでのリアリティ。これはそういう意味でまことに怖い物語ではないだろうか?(1998/2/15)

『たまご猫』(皆川博子)感想

幻想小説の作品集を選ぶのはとても難しい。ぼくの場合いわゆるファンタジーというやつはどうも苦手で、どちらかというと恐怖小説のテイストをもった作家のものを好む傾向にあるようだ。そういう意味ではこの作品集は大ヒットである。妖しい現実の狭間に見え隠れする異界の物語。女性の静かな妄執を語った「をぐり」には男なら誰でもぞっとするだろうし、「春の滅び」に登場する雛人形たちのイメージには、あの日本家屋に染み付いた何か不可思議な業が妙にすっと納得できる。また「骨董屋」は時間という業を見事に描き出した逸品であると感じられた。そして何といってもぼくが気に入ったのは座敷牢をテーマにこの業というものを描いた「朱の檻」である。この物語を読むと幻想小説とはただただ怖いだけではだめなのだということがよく判る。なぜなら、人が恐怖という感情をもっとも強く感じるのは、じつは自分がその異界に魅かれているのだということをほんとうに不意に理解する瞬間だからである。その異界の妖しさゆえ、美しさゆえにそこに足を踏み入れる瞬間にこそ、ほんとうの恐怖がぼくたちのもとに去来するからなのである。(1998/2/15)

『侵略!』(井上雅彦 編) 感想

『ラヴ・フリーク』に続く恐怖アンソロジー第2弾。テーマのせいかも知れませんが、今度はSF寄りの作家が多く収録されていて嬉しいです。
「地獄のはじまり」(かんべむさし)は子供たちとインベーダというSF普遍のテーマを扱った秀逸な作品。このラスト・シーンはほんとうに怖いです。
「赤い花を飼う人」(梶尾真治)も、人類の間にはすでに人類ではない者どもが紛れて暮らしているという普遍的テーマを扱っているのですが、この奇妙な味わいは何といったらよいのか。とにかく一読の価値あり、です。
「命の武器」(草上仁)では、すでに人間の世界は侵略されてしまっています。絶望的状況の設定の仕方とそれに対抗する方法というのがじつにSF的ですばらしいです。ここに登場するエイリアンの恐怖は女性にはより感覚的に理解できるのでしょうか?
『アロマ・マジック』(村田基)。題名から判るように香りをテーマにした恐怖小説。この方の作品はもっと読みたいものです。このアンソロジーに次々登場してくださることを期待したいです。
『子供の領分』(菅浩江)。なんだか初期のディックの短編みたいな感じがしました。淡々とした世界の中に描かれる奇妙なる世界。侵略はけっして外部からのみ行われるものではないのですね。詩的なまでに美しい作品です。
『花菖蒲』(横田順彌)。このアンソロジーのラストを飾るにふさわしい逸品。押川春浪をメインに据えた味わい深い作品です。古典SF研究家である氏には他にも明治時代を舞台にしたSFが数々あるので、興味を持たれた方はぜひ読んでみるとよいでしょう(1998/01/31)

『グイン・サーガ59 覇王の道』(栗本薫) 感想

ここで言う覇王というのはもちろんイシュトヴァーンを指しています。ゴーラの僭王イシュトヴァーン、それが実現されるまでにはまだ数多の人々の血が流されるのでしょうね。ついにアリによって行われた非道の数々は彼の知るところともなりましたし。
けれど「覇王の道はただ一人でゆかなくてはならない」というのはイシュトに向けてヴァレウスが述べる言葉ではありますが、その脳裏にあるのは、もう一人この道を今選ぼうとしているアルド・ナリスのことなのでしょう。パロ王家の第3位王位継承者にしてクリスタル公であるアルド・ナリス。しかし彼の心はきっと何によっても満たされることはないのかもしれません。まさにイシュトとは陽と陰の関係にあるのですね。しかし持たざるイシュトより、すべてを持つ(かのように見える)ナリスの方がより不幸なのかも知れませんね。(1998/01/31)

『ラヴ・フリーク』(井上雅彦 編) 感想

編者の序文にもあるように、日本ではあまり例を見ないアンソロジー。外国ではよくテーマ・アンソロジーが編まれていて、そこに名だたる作家が参加していたりするのだけれど、日本ではどうも既存作品をテーマによって選ぶという方向にあるようだ。
この『ラヴ・フリーク』は書き下ろしホラー・アンソロジーの第一弾ということで、テーマには「恋愛」をとっている。異形のものとの恋、「現代の<人でなしの恋>」なのである。
倉坂鬼一郎や津原泰水をはじめとして、ホラーファンならぜひとも読みたいという気分にさせる名前が揃っている。そして、作品の質もかなり高い。既存作品から集めたならば作品の質は高くなって当たり前なのだけれど、書き下ろしで一定の水準を保つのは難しいに違いないのだが。第2巻『侵略!』にもおおいに期待できそうである。
「逃げ水姫」(早見裕司)、「アドレス不明」(友成純一)、「REMISS」(久美沙織)の三編が特に秀逸。(1998/01)

『見知らぬ遊戯-鑑定医シャルル』(藤本ひとみ)感想

現代のフランスを舞台に描く犯罪心理をモチーフにした<鑑定医シリーズ>第一弾。ふだん、この作家は面白い、ぜひ別の作品もとか言いながら結局のところずるずる時間が経ってしまうのだけれど、無事に次の作品を読むことができました。とはいえこの本ハードカヴァーは93年の出版なんだから、ファンの方々ならば「今さら何を言うておるのか」という感じなんだろうなあ。
主人公シャルルの人物造型がちょっと少女漫画風でぼくとしてはひっかかりをおぼえるのだけれど、ストーリーはしっかりしていて楽しめる。もちろん『羊たちの沈黙』とかが意識されているのかもしれないけど、気の強いヒロインというのもお決まりパターンではある。すごいと思うのは、例えば映画で見るならばともかく『羊たちの沈黙』などの異常心理ものというのはかなり取り付きにくいものなのに、この作品は抵抗なく読めるということ。心理学用語などが散りばめられた作品は読みにくくても当たり前なのかもしれないのだが、この作品ではそのあたりがとても巧妙に処理してある。深く考えなければ読者は雰囲気だけ、あるいは犯罪心理小説のエッセンスだけを味わうことも可能であろう。肩の力を適度に抜いたすばらしい仕上がりと言える。ここで展開されたストーリーが2巻にどのように続くことになるのかじつに楽しみである。(1998/1/25)

『童貞』(酒見賢一)感想

中国史には詳しくないので、これが何かを背景に描かれた作品かどうかは判らないのだけれど、どうなのだろう?母系社会においてひとりの少年が「男」であることに目覚め、女性たちに跪くのをよしとせず「女」の象徴である黄河を治水するという夢を抱くという物語である。『後宮小説』以来、古代の中国を舞台に数々の作品を発表してきた作者だけれど、これはまた思い切った昔を描いていてちょっと面食らってしまった。まあ、けっきょく男性は女性にはかなわないということは、この作品を最後まで読むとよくわかることですね。(1998/01/18)

『コキュ伯爵夫人の艶事』(藤本ひとみ)感想

藤本ひとみというとコバルト文庫で「漫画家マリナシリーズ」とかやっていた方だ。このシリーズはかつてとても面白く読んだ記憶がある、借りてだけれど。そのつもりでいたので、別の出版社から著書が出はじめた時も少女小説テイストのものかと思って買わずにいたのである。「テーヌ・フォレーヌ」とか「鑑定医シャルル」のシリーズですね。ところが、先日ふとしたきっかけで読んだ『ブルボンの封印』と『逆光のメディチ』がえらく面白かったのだ。かなり本格的な歴史小説風の作品であった。
というわけで、今度何か文庫になったらぜひ読んでみようと待っていたのである。そして入手したのがこの短編集。フランス革命前後を舞台に描かれているのだけれど、ここまでくるとかなりアダルトなテイストのものになっている。しかも下手なミステリ短編なんかは足下にも及ばないストーリー展開の妙。おもわず唸ってしまった。「令嬢アイセの秘事」のあっと驚くラストシーンもすばらしいし、「農夫ジャックの幸福」は舞台を日本に置き換えたらまるで山本周五郎みたいに読める好作品だし。これは他のシリーズものにも手をのばしてみるべきかな。(1998/01/18)

『眼球綺譚』(綾辻行人)感想

幻想怪奇短編集。どちらかといえばオーソドックスなものが多いか。連作というか、すべての作品に関連性はないものの由伊という同名の女性が出てくるという趣向。
一編目の「再生」は死体復活テーマのバリエーション。モチーフは梅図かずおの作品等に既存と著者のあとがきにあるが、それにしてもこのラストシーンは怖いものがある。ぼくはどちらかといえば怪奇小説の古典「猿の手」を思い出した。二編目「呼子鳥の怪魚」は作品集中もっともファンタジー色が強い。意外なラストが秀逸。三編目「特別料理」はもちろんエリンの同名の短編を意識してつけられた題名。つまりは幻想ホラーを愛する人には題名だけからそのテーマが判ってしまうのである。それを敢えてやるわけだから、じつに捻ったストーリーになっている。四編目「バースデー・プレゼント」、これはまた妙に不可思議な作品である。夢枕獏のかもしだす雰囲気に似ているか?独特の語り口がとてもよい。五編目「鉄橋」、これはよくありそうな怪談話。この話、別バージョンがPSソフト『黒の十三』に収録されているとのこと。効果音とかあるともっと怖いかもしれない。六編目「人形」、これもどこかで聞いたような話だと思った。人形は貰ったり拾ったりするものではないなあ。ましてや捨てるなど…。最後は表題作「眼球綺譚」、やはりこの作品中では最も怖い作品か。「読んでください。夜中にひとりで。」という著者の言葉に裏切られない質の高いものに仕上がっている。怪奇趣味を持つぼくのような人が喜ぶような道具立てがきっちり入っている。
かねてからあちこちで言っているけれど、スプラッタではないホラー、真の恐怖はそこにこそあると思う。とりわけその恐怖が外部からのものではなく自分自身に根差すものであるものならば最高だろう。この作品集はその期待を裏切られない数少ないもののひとつと言える。(1998/01/18)

『夏のレプリカ』(森博嗣) 感想

前作『幻惑の死と使途』は奇数章のみで語られていたけれど、これは時間的に対をなすように偶数章のみで語られたミステリ。うーむ、どうしたものか。感想の書きようがないではないか。要するに前作と並行して起こったまったく別の事件を視点を変えて語っているわけだ。だからメインになる視点は萌絵でもなければ犀川でもない。前作にちらっとだけ登場した萌絵の友人杜萌である。彼女は実家にしばらくぶりに帰省するのだが、そこで奇妙な仮面の犯人による誘拐が行われる。同時に部屋から忽然と消息を絶った詩人である兄。しかしながら語られる物語はどこか歪んで見える。まるでわざと物語の行方を見えなくするかのように。この偶数章のみという構造自体が物語の要求する大きなトリックになっているのだけれど……。これ以上言うとネタばれになってしまう。このシリーズとしてはちょっと異色の作品に仕上がっています。(1998/1/11)

『日本史の叛逆者-私説壬申の乱』(井沢元彦) 感想

天智天武非兄弟説というものがある。天智天皇と天武天皇は兄弟ではなかったとする説である。???ちょいと待っておくれよ。だとすると皇統は連綿としてないってことかとか、あの有名な「野守は見ずやきみが袖ふる」の額田大王との恋愛ってどうなるのかとか疑問が百出するでしょう。そう、これはそんな物語なのです。しかも、中学や高校で日本史を習った時に感じた漠然とした疑問(例えば天智、天武、額田の三角関係)とかにもじつにすっきりした解決がつけられます。叛逆者はもちろん大海人皇子のことで、彼が歴史の表舞台に登場する事情を大胆な仮説を用いてドラマに仕立ててあります。同じテーマを扱った同氏の『隠された帝』のように歴史家というフィルターを通さず描いてある分ストレートに楽しむことができます。前後の歴史的解説として同氏の『逆説の日本史2古代怨霊編』を併読されるのもよいかと思います。(1998/1/11)

『終わりなき闇』(ルーパート・トムソン)感想

不可思議な物語。読み終わって、結局いったい何が言いたかったんだと叫んでしまったぞ。少なくとも「めくるめく夢魔の迷宮」ではないと思うんだが。
物語は3部構成で「夜の生活」「木彫りの赤ん坊」「銀の皮膚」となっている。第1部は銃撃されて視力を失った男の物語なのだが、彼は夜だけ物を見ることができる、あるいは見ることができると信じている。彼は自分を診察した医師が自分を何かの実験台にしたのではないかと疑い知人の前から姿を消すが、やがて盲人として知り合った女性が、じつは夜だけは見ることができるという彼の告白のあと失踪する、というあらすじ。第2部は失踪した女性の出生の秘密にまつわる物語。第3部では第1部と第2部のストーリーがやっと整合性を見せはじめるのだが、読者はやがて自分が狂気の世界にとりこまれてしまったのではないかと疑いはじめるでしょう。
彼はほんとうに夜を見ることができるのか?それともすべては狂人の妄想にすぎず、彼は電波で命令されている類の人間なのか?なんだかすっきりしない結末だけれど、これはこれでよいのだろうか?(1997/09/28)

『ちほう・の・じだい』(梶尾真治)感想

ほんとうに久し振りのカジシンの短編集。楽しみにしているんですよね、とりわけロマンティックテイストの方のやつを。今回のでいうと「時の果の色彩」でしょうね。以前からこの時間をテーマにした一連の作品は大好きなのです。「時尼(じにい)に関する覚え書」なんて涙なくしては読めないですもんね。時間テーマでなくても「メモリアル・スター」なんていうのは秀作だし。で、ぼくの不満はいつも決まっているんですよ。短編集一冊の中にそのようなテイストの話は一二編しか入ってないってこと。いや、他の作品だって好きなのは好きなんですけどね。もっと読みたいぞ。(1997/09/21)

『切り裂きジャック・百年の孤独』(島田荘司)感想

1988年のベルリンで、百年前にロンドンで起こった切り裂きジャックそっくりの事件が再現されるという設定。すなわち、架空のこの事件を通して実在のジャックの謎を解き明かそうという挑戦でもあるわけですね。うーむ、この新解釈はどうだろう?何となくぼくには納得できないのですが、理論的には可能でしょうね。犯罪史上最大の謎のひとつであるジャックをこんなにすっきり説明した文章は他に見たことがないので、案外これが真実なのかも知れません。真実が解き明かされる日が多分来ないであろうと思われるだけに、多くの推理ファンを魅きつけてやまないのかもしれません。(1997/09/21)

『震える岩 霊験お初捕物控』(宮部みゆき)感想

以前にも短編に登場していたお初を主人公にしての長編捕物帳である。
百年前に浅野内匠頭が切腹した跡に目印として置かれた岩が夜毎に鳴動するおいう不思議をからめてストーリーは展開するのだが、赤穂事件の新解釈(これは井沢元彦説に同じですね)をさらりと十数ページで流してしまうなどとても贅沢な小道具が随所に散りばめられている。あくまで軸は不可思議な連続殺人ということなのでしょうが、この贅沢さはすごい。
つくりも凝りに凝っていて1章、2章が後半の展開とどのようにつながっていくのか予測し難いところもよいですね。ミステリに超能力とか心霊現象を介在させるという困難さに挑戦も見事クリアしていると思います。(1997/09/21)

『過ぎる十七の春』(小野不由美)感想

本格ホラー。十七になるとあのひとが迎えに来る、という設定が怖い。この作品を読んでいて思うのだけど、やはりこういう心理劇こそがホラーの醍醐味ですよね。スプラッタはいけませんスプラッタは。
とくに、自分ではない自分というのは常套的ではあるけど怖い。そして、その怖さを際立たせるのは日常空間の確かな構築ですよね。この作品、自然描写が繰り返し繰り返し出てくるんだけど、それが絵画的にまで美しいからこそ、たった一点の異質な恐怖が映えるのですね。あと、十七という年齢自体が持っている魔性というか危うさ。よいなあ。自分自身の過ぎた春とかについて考えてしまったですよ。(1997/09/16)

『その夜の雪』(北原亞以子) 感想

人情物といいうことになろうか。しみじみとした江戸を舞台にした短編集である。日傭取りをしながら食うや食わずの生活をし、年に一度だけ贅沢に料理屋に行く男を描く「吹きだまり」が良かった。シチュエーションは例えばO・ヘンリーの「桃源郷の短期滞在客」なんかに似ているといえば似ているんだけど、落しどころが日本的だよなあ。よく考えてみると説明になってないような気がするんだけど、するりと納得してしまう。理屈じゃないよということか。
表題作は、祝言を控えた娘が暴漢に襲われ自刃してしまった同心の必死の探索を軸にやりばない怒りを描いた秀作。この作品はシリーズということなので、機会があればまた読んでみたいですね。(1997/09/15)

『ターン』(北村薫) 感想

交通事故をきっかけにして、ただ同じ一日を繰り返すようになってしまった。特定の時間が来ると時間を押し戻されてしまい、先に進めない。そこには自分だけが取り残されていて、他に人間は存在しない。うーむ、かなりきびしい環境ですね。しかも主人公は版画家で、限定された時間の輪の中では作品さえ作れない(作っても時間が戻って消えてしまう)ときている。
二人称で話が展開するので、最初はけっこう違和感を覚えました。主人公に語りかけてるこいつっていったい誰なんじゃ?という当然といえば当然の疑問を持ちながら話を追っていくんだけど、さっぱり様子が掴めない。次第にじれてくるんですが、これぞ作者の思う壷。これで、しっかり主人公の立場に自分を重ねることができます。うまい。でもって人間など誰もいないはずの世界で電話が鳴る、と。ああ、いいなあ、こういうの。最後のあたりにちょっと説得力がないというか、ぼくとしては御都合主義じゃないという場面がいくつかあるのだけど、トータルしてたいへんすばらしい作品かと思いました。(1997/09/15)

『千年の森』(河野修一郎) 感想

「そこに辿り着き、そこに住む美女に巡り合えば、千年の寿命を授かる森があるという」千年の森を探しに出かけて行方不明になった若者たちの噂を聞いた主人公はその裏に存在する巨大な陰謀に気づくが、というストーリー。これはアンチテーゼとして描かれた科学信奉神話なのですね。あまりに急ぎすぎた科学は果たして本当に人間を救う手だてとなるのか?この物語に描かれているテクノロジーは、すでに完成したか完成が待たれているものばかりだと理解します。恐ろしいと思うのはぼくだけでしょうか?すでに人が生まれたままの人として生きていける時代は遠い過去のものになってしまいましたが、このままでは人は生物的な人としてさえ生きられなくなるのではないかと恐怖するのはぼくだけでしょうか?(1997/09/07)

『トゥインクル・ボーイ』 (乃南アサ) 感想

子供は天使なんかじゃない、というテーマの7編の連作短編。いささかの救いさえも拒否した結末は何だか暗澹とした気分にさせられた。しかも、どれもこんなのありえないよ、と笑い飛ばすにはリアリティがありすぎる。ふと、自分の、あるいは誰かの子供を思い出してぞっとしてしまう。大人という生き物の醜悪なるデフォルメ、また人間というけっして立派ではない生き物の典型的な邪悪さ。考え込んでしまうのだな。しかし、それをカバーするべくして、人間たちは理性とやらを保とうとしているのですよね。人間の本質について考え込んでしまいました。(1997/09/07)

『ヴィオロンのため息の-高原のDデイ-』 (五十嵐均) 感想

第14回横溝正史賞受賞作品。作者はミステリ作家の夏木静子氏の実兄。というような経緯だが、恥ずかしながら全然知らないままに購入した。ハードカヴァーで出版された時に何だか面白そうな題名だと思っていたのだが、例によって例のごとく貧乏を理由に買いそびれていたのだ。題名はもちろんヴェルレーヌの詩『秋の日』ですが、Dデイ、すなわち第二次大戦末期に行われた連合軍の大陸進攻作戦(ノルマンディ上陸作戦)の暗号ということです。物語はドイツ軍少佐とヒロインの半世紀にわたる恋を軸もうひとつの軸に、この作戦にかかわる駆け引きに基づいて軽井沢に展開します。「ふたりが別々の道を歩み終わったあとならば、神様も許して下さると思う」と半世紀後の再開を約束した恋人たちを待ちうける「罰」は、残酷なまでに美しい。(1997/09/07)

2008/09/04

話のタネにGoogle Chromeをインストールしてみる

Google Chromeのベータ・リリース。インストールは簡単。設定も簡単。
IEのなんだかよくわからない複雑怪奇な設定になれていると、こんなんでええんかいな、と思ってしまうくらい簡素。

うわさ通り、レスポンスは速い。
体感的にはふつうのブラウザの3倍の速度でせまってきます(笑)

シークレットモード に遷移した時に表示されるコメントがふるっていますな。

<シークレット モードが他のユーザー、サーバー、ソフトウェアの動作に影響することはありません。ただし、次のような相手には注意してください。
・ユーザーの情報を収集、共有するウェブサイト
・ユーザーがアクセスしたページをトラッキングするインターネット サービス プロバイダや雇用主
・無料ダウンロードなどと一緒にインストールされ、キーストロークを記録するマルウェア
・見張りの秘密諜報員
・背後にいる人>

スパイを模したアイコンも、遊び心があってよい。

まあ、ベータってことで、脆弱性とか指摘が出始めているので、今のところはお試し程度。
でも、正式リリースされたら乗換えも検討してみるかな?

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