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2009年3月の130件の投稿

2009/03/22

『ちびまる子ちゃん春だ桜だお花見だ!!20周年前祝スペシャル』 感想

ちびまる子ちゃんも20年か。あたしゃうれしいよ(笑) 正確には、「前祝」だし、アニメ化20周年は来年(2010年)の1月なのだけれどね。ちょうど、このアニメの主題歌「おどるポンポコリン」が流行したころに就職したのだから、ぼくの会社勤めもその頃には20年というわけ。なんだか感慨深いものがあるな。

「みんなのお花見」
嘘も方便。まる子の担任の先生はじつにすばらしい人だと思う。こういう大人ばかりならば、世の中どうとでもなるにちがいない。かといって、友蔵やたまちゃんの父がダメと言っているわけではない。これはこれで微笑ましいではないか。

「お姉ちゃんの誕生日に大げんか」
めったにない、お姉ちゃんがメインの話。お姉ちゃんはめったに名前で呼ばれないけれど、さきこちゃんというのだな。誕生日の夜に秀樹のコンサートに行くことを黙っていて大げんかする相手はお母さん。お姉ちゃんがらみの話は切ないのが多いね。「お姉ちゃん」ではなく「さきこちゃん」と呼びかける母に、たまらないやさしさを感じるぞ。

20周年だからではないんだろうけど、この2話のテーマは、「大人である」ってどういうこと?っていうふうにも感じられる。ふたつともいい話でした。

2009/03/20

『必殺仕事人2009 第10話 鬼の末路』 感想

『必殺仕事人2009 第10話 鬼の末路』を観ました。

なんという怒涛の展開。
身勝手な頼み人。それでも仕事は仕事です。先を見越したように降りてしまう小五郎とやると言っておきながら、殺しの現場を見られて後始末をしない涼太の対比が見事。源太のほうは、過去の仕事人たち誰もがとらなかった無様ともいえる行動をとってしまいますが、今回非情に徹した小五郎はこれをどうするのでしょう?
<人間はいいことをしながら悪いことをする>というのが『仕掛人・藤枝梅安』シリーズの台詞にありますが、この矛盾をかかえていかないとならないのが仕事人のさだめです。頼み料は、個人的・世間的なそういう矛盾を飲み込むための方便にすぎません。源太はこれからどうなるのでしょう?
今回、簪のようなものを持っていましたが、あれに武器が変わるのでしょうか?源太の殺しのBGMが「旅愁」であることを考えれば、彼は『暗闇仕留人』の糸井貢を継ぐキャラクターなのでしょう。すべての矛盾を抱えることができるようになったとき、彼もまた貢のように、主水いうところの「本物の」仕事人になるのだと思います。

『さようならドラえもん』 感想

ドラえもん スペシャル で「さようならドラえもん」を観る。原作コミックスも含めて何度も目にしているのだが、やっぱり何度観てもいい。まあ、あれですね。いつの間にか、のび太目線ではなくて、のび太のパパの視点で観ている自分に思わず苦笑したりもするのですよ。このバージョンのアニメでは、パパの存在はやっぱり大きいと思う。

上映中の『ドラえもん 新・のび太の宇宙開拓史』のサイドストーリー「のび太と星を流すクジラ」というのも観ました。ここに登場しているコーヤコーヤ星の動物パオパオというのは、『ジャングル黒べえ』のやつだなあ。なつかしい。「黒べえ」はもう公式には日の目を見ないのであろうかな?パオパオだけでもこうして活躍してくれて、ちょっとうれしい。


2009/03/15

『探偵!ナイトスクープ ザ・ゴールデン』 感想

『探偵!ナイトスクープ』。たった1度のゴールデン登場

関西ローカルのお化け番組、ついに全国同時ネットでゴールデンタイム放送である。関西人としては、これを見ないと週末がきた気がしないという番組。

【依頼1】絵本を子供に読んでいると泣いてしまうママ。なんとか泣かずに読み切る方法は?いやあ、西田局長顔負けの泣き上戸ですなあ。爆笑させていただきました。

【依頼2】将棋とボクシングを交互に行うルールで将棋の先崎八段と元世界チャンプ井岡が対戦すると?むちゃくちゃだと思いましたが、チェスボクシングってのは本当にあるんだそうです。というか、井岡さん最後のあたりちょっとマジでなかったですか(笑)

【依頼3】小ネタ集。寛平そっくりの犬の写真/誰に向っても「山田さーん」としか言わないオウム/フットボールアワー岩尾はデジカメに顔認識されない/岩尾の顔を下にひっぱると小枝になるか?/人間パラダイスに勝負を挑む男/奄美出身の人は目を開けて寝るか?
デジカメの顔認識は、しばらく前に放送していたネタを受けてのもの。あの認識ってほんとどうやってるのか不思議ですよね。

【傑作選1】ゾンビと戦いたい姉弟。 こういうアホな依頼にご近所全体が協力してくれるのが、さすが大阪。「もうすぐ行きます」みたいなゾンビのお手紙が間抜けで最高。ゾンビの役者さん、たいへんだろうなあ、と思う。いや、それ以上に大変なのは、あとかたづけですね。一度見たことあるのにやっぱり爆笑。

【傑作選2】最高齢のマジシャン。サルは逃げるはハトは逃げるは、もう大変。卵マジックはやめたほうが(笑)。剣を箱に突き刺す見慣れたマジックでこんなにドキドキできるのは、ある意味ものすごいですね。

【依頼4】ケイタイ便器の将来性は?ってこんなのやって大丈夫かいな…。映像にできないから、画家に頼んで絵にしてもらうという。ばかばかしくも真剣に6時間もかけて挑むのはナイトスクープならでは、ですね。

【依頼5】プロ野球の審判になりたい少年 最後の依頼にセ・リーグ審判の谷博氏が直接指導。しかも、ほんとうに審判してしまうのか。こういうところが、この番組の真骨頂だよ。川藤と石毛の対決で川藤に退場を命じるわ、ふたりのサインはいらないと言い切るわ、ほんと最高。ルー大柴のコメントじゃないけど、「イノセント」な気持ちになりますよね。

『月の砂漠をさばさばと』 (北村薫 ・ おーなり由子) 感想

「お話をつくる」ことが仕事のお母さんと、さきちゃんがすごす日常。なぜだろう、ふたりぐらしのようだ。作中ダイレクトには触れられていないけれど、解説にもあるように「名前」に敏感な反応があるというのは、そういうことなのだろうか?なんだか、ちょっと考える、この物語のずーっと外側のいるであろうお父さんのことを。『モモちゃんとアカネちゃん』(松谷みよ子)ではないけれど、靴だけ帰ってきたりとか・・・・・・。
ところで、<さばさばと>ってどいう意味なんだろうと思っていたら、<さばのみそ煮がゆきました>と続くのである。ぼくなどは、なんじゃそれはと思ってしまうのですが(笑)、こういう歌を口ずさむお母さんとそれを<かわいい>と評する娘のいる家庭ってなんだかいいですよね。まあ、ほんわかしているだけではなくて、ところどころとても厳しい見解なども入っていて、自分が大人であるという立場を再度認識し直さないといけない気分にもなるのですが。連作短編……というか掌編なので個々の話にはふれずにおきます。

『聖の青春』 (大崎義生) 感想

ノンフィクション。ビックコミックスでは『聖 天才・羽生が恐れた男』というのが山本おさむ画で完結したところですね。重い腎臓病と闘いながら、将棋の名人位を目指し、29歳で病のために亡くなった「怪童」の生き様。読んでいて思うのは、やはりその生き方の激しさについてです。時間がないのだというのは読んでいて頭ではよく判るのですが、それゆえにこそ頁を繰る手が時に次の頁に行くことを拒否してしまうような激しさです。この本を読了することが耐えられないというか、うまく言えませんがそういう気分に支配されて読みました。読み始めのところでは、自分はこれだけ真剣に考えて生きたことがあるだろうか、などと考えてもいたのですが、そのような比較は読み進むにつれてまったく無意味だと気づかされます。激しすぎる。この激しさは、病との闘いのためだけではないはずです。勝負師としての本性でもあるのでしょう。この本を語るのに多くの言葉はいらないような気がします。彼の生き様をそして死に様を感じるだけで充分ではないでしょうか。

『グイン・サーガ85 蜃気楼の彼方』 (栗本薫) 感想

今巻の注目すべき再会といえば、やはりヨナとイシュト。ヨナにとってイシュトヴァーンは恩人でもあるわけで、そのあたり複雑な思いではあるでしょう。そして、イシュトヴァーンにとっても、ヨナはやはり青春の1頁の思い出ではあり、また学問の師匠でもあるわけですから。そして、もう一組は当然リンダとイシュトヴァーンです。表題が<蜃気楼の彼方>。そう、ここで言う蜃気楼とは、リンダとイシュトヴァーンのあの約束の交わされた<蜃気楼の草原>のことであるわけです。スタフォロスから、ノスフェラスから、いやアルゴスの草原から考えてもふたりはあまりにも遠い場所に来てしまったわけです。物語内の時間にすれば、それほど長い時が流れたわけでもないのですが……。
さて、事態が悲惨の一途を辿る中、ここにきて主要な登場人物たちがマルガにて一同に会するわけですね。しかし、ここはこの作者ですから、ナリスの悲願のひとつである<伝説の生きたシレノスとの会見>をそうやすやすと許しはしないでしょう。このままであと何巻くらい引っ張るつもりなのでしょうか……。

『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』 (J・K・ローリング) 感想

シリーズも3冊目に入ると安定した気分で読むことができるね。物語が新学期から始まることも、学年の終わりまで続くであろうことも、例によって例の教科に新しい先生が赴任してくることも、もはやお約束であろう。題名にある通り、今回のキーポイントになる人物は”アズカバンの囚人”ことシリウス・ブラック。おばさんの言動に切れたハリーが思わずダーズリー家で魔法を使ってしまうのだが、この件で例の<未成年者魔法使いの制限事項令>もなぜだか適用がうやむやな感じになってしまうほど<魔法省>は慌てているらしい、という感じ。
そう、今巻のほうがお話的には1巻の正続編のような感じですね。ハリーの生い立ちと密接に関わった展開になっている。本を読みなれた人になら、このシリウス・ブラックなる人物の役割については、序盤で推測ができると思う。メインになる謎は謎として、ハリーの魔法学校生活をいつものように楽しんで読むのがよいかと思う。まあ、それでも結末は前2冊よりかなりサプライズが効いているとだけは書いておきたい。それはないだろう、と思わず声に出してしまったし……。これ、最初からこんなふうに考えて設定していたのだろうかな?
枝話として面白いのは、ハーマイオニーの時間割の件。うーむ、頭のいい人というのはどうしてこういう類の無理をするのだろうね。勉強は楽しんでやるべきですぞ、学生諸氏。

『スコッチ・ゲーム』 (西澤保彦) 感想

『仔羊たちの聖夜』『依存』の間の作品。意外に早く文庫化されてよかった。これで物語のつながりが見えてくる……と思ったのだけれど、読んでますます混乱したと言ったほうがよいかな。いや、タカチの背景はよくわかったというか、なるほどああいう環境でああいう人間が形成されて、でこういう事情で大学に来たのねというアウトラインは理解した。まあ、そのアウトラインそのものが事件がらみなわけだね。で、これはその事件の物語。しかし、タックとタカチの関係はなんだか妙な感じにぼかして書いてあるような。まあ、物語には不要だってことかな?うーむ。でも、終章でそういう展開にするならば、そこはやっぱり明瞭にしておいたほうがいいんでないかい?と思う。妙に暗示的にするよりはさ。そのほうが、タカチの心理的な傾斜もすんなりと理解できるし、『依存』でもタカチの数々の発言にも得心がいくと思うのだな。
つまり、<以下ネタバレ反転>

下世話で申し訳ないけど、忘年会が29日、ボアン先輩とウサコの出発が30日午後、タカチの予約した飛行機は大晦日の1便、ってことはタックとタカチは30日の夜、ふたりきりでボアン先輩の家でお泊りしたってことですよね。そうは書いてないけど、そうでないとこれ以降、特に『依存』でのタカチの行動に納得がいかないのだよ。
<反転ここまで>

『劫尽童女』 (恩田陸) 感想

人はなにゆえに生まれ、そして死んでいくのか?その問いは、世間一般と比較して<特別>と感じられる力を持つ者の心にこそむしろ湧き上がるものではなかろうか?自らの力が何かを破滅させるためのものだということがデフォルトとされているのであれば、それは悲しい問いになるかもしれない。いや、力とはきっとそういうものなのだろう?
難しい話を抜きにさせてもらえば、昔の特撮『バイオニック・ジェミー』をちょっと思い出した。戦うための特別な力、それに対する疑問、自分と同じような力を持った犬というあたり。超能力のようなものを持つ者を描くSF作品としては、その他にも同工のものをすぐに両手の指に余るくらいあげることができるし、特にどうということはない。面白いのは、この主人公の少女の心理の揺らぎにある。自分を人間とは違う何かだと思っている序盤では、少女の行動はぼくには妙に人間的に思える。逆に終盤において、ある人間的目的を見出そうとしている彼女は、他の登場人物にとってそうであるように、人間ではない何かに見える。
力の有効な使い方を見出せる者は幸いである。何かと向かい合うための力。今のままの自分を認め、自分として生きていくことで人は幸せになれるのであろうか?きっとそうであってほしいと思う。人とは、往々にして自分ではない何かになろうとしてあがいている存在なのであるから。

『暗いところで待ち合わせ』 (乙一) 感想

題名のネーミングがよいですよね。物語のすべてを凝縮している題名。ヘップバーン主演の映画『暗くなるまで待って』を意識しているのでしょう。本屋で目にしてすぐに買わなければならないと思いました。前作の『死にぞこないの青』で割愛したエピソードをひとつの物語にまとめたものらしいです。うーむ。視力を失ったひとり暮らしの女性、殺人犯として追われる男。奇妙な、ほんとうに奇妙な共同生活が無言のままに始まる。物語のバランスがこわれないか、こわれないか、と頁を追う手が微妙に震えてきます。もちろん周囲の状況説明や外界の動きはあるのですが、メインはこの緊張感に満ちた沈黙のままに進行する家の中の情景でしょう。その奇妙な情景が読んでいるうちに頭の中にはっきりとした像として形づくられていきます。これは、やはり文字で伝えるからこそできる芸なのでしょう。とてもすばらしいです。
余談ですが、あとがきに作者の体重に関する話が書かれていて共感してしまいました。ぼくもDDRやったほうがよいかな(笑)

『朽ちる散る落ちる Rot off and Drop away』 (森博嗣) 感想

へっ君のイニシヤルの記述があったので、そこからそればかり気になってしまったよ。森作品のことだから、そうと思わせておいてじつは壮大なミスディレクションだったという可能性も捨てきれないし、もっと言えば謎が明かされないままにVシリーズが完結してしまうこともあり得ると思うのだな。いずれにせよ、へっ君がきちんと存在感を持って描かれている上に、台詞もある。うーん。シリーズ初?あと、練無が例の老人からもらった機関車が再登場。あれからずいぶん経ったよな。感傷にひたるには充分な作品。練無がなんだかちょっとかわいそうだった。
<以下ネタバレ反転>


S・Sはほんとうに犀川創平、あるいは瀬在丸創平の略なんだろうか?犀川創平の年の離れた妹である儀同世津子は、七夏の娘ということ?だとすると、犀川っていったいだれの姓なんだ?林は林としか書いてなくて、周囲の人々は<警部>と呼んでいる。林を林と呼んでいるのはじつは紅子だけなんだな。練無たちは紅子がそう呼ぶからそうなんだと思い込んでいるだけ?とすると犀川林というのが警部のフルネームなんだろうか?それは反則のような気もする。また、そうなのであれば、県警の誰かが創平に姓の話題をふらないか?あの偏屈警部と同じ名前ですねとかなんとか。
もうひとつの線としては、保呂草の戸籍上の姓がじつは犀川で、前作『捩れ屋敷の利鈍』ではふたりは夫婦(今のぼくと紅子さんの関係、という保呂草の台詞。貴方のせいで人生めちゃくちゃ、という紅子の台詞)であるというのが考えられなくはないか?もちろんニアミスとは、創平と怪盗としての保呂草が出会ってしまうこと。
それとも、まったく未知の人物なんだろうか?いずれにしても、今のところの謎は「ぶるぶる人形にうってつけの夜」のフランソワってだれかってことだな。これが萌絵なら、VシリーズはS&Mシリーズより過去の物語っていうのは無理なことになる。しかし、萌絵でないとすれば、この短編のなぞときが腑におちないよなあ。悩ましいといえば悩ましいし、どうでもいいといえばどうでもいいか。

<反転ここまで>

『グイン・サーガ84 劫火』 (栗本薫) 感想

進まない。話が進まないぞ(笑)。まあ、ここは時間をかける部分、最大の読ませどころですからね。しかし、第1話冒頭からリギアが再登場したのには驚いた。もっと先かと思っていたので。そして、リンダとナリスの再会。はて、やはりこうして読んでみると、素直になればなるほど理解に苦しむ男だなナリスは。たとえ演技でも、もう少し感動的にリンダと再会できないのか?やはり情緒的にはどこか欠陥があると言わざるを得ない。マリウス再登場、というか、この人は物語の要所要所に現れる。グインを除いてはきっとマリウスが世界のいちばんの情報通だろう。きっと、彼は後にやはりグインのサーガを歌う運命にあるのだろうね。詩人、音楽家たる運命。そういうものがあるのならあやかりたいものだとかつてはちらりと思ったりもしたものだけれど、マリウスの運命の流転を見ていると、それは気楽な意見にすぎないのだよね。こんなに苦労しないとならなないのなら、芸術家になんてならんでよい、と思ってしまう。

『キマイラ昇月変』 (夢枕獏) 感想

次巻よりはハードカヴァー先行発売とのこと。ここまでで出版されている<完全版>は文庫版2冊の分量のものだが、そのあたりはどうなるのだろう?今のペースでハードカヴァー出版分の量をとなると4年ほどかかるのではないか?それとも連載量が増える?
キマイラの本質にあと一歩と迫りながら、まだ西域での物語はおわりというわけではないようだ。もんもんとする気分である。だが、次は何と長らく予告のみがされていた『青龍変』に移るようである。どのように続くのだろう?『闇狩り師』の再読を併せてしないかなり話を忘れてしまっていると思う。ええと、すっかり読む気になっていたけど少なくても2年はあとの話か。ううむ。悩ましい。2年は生きていようと思つた(笑)。

『あかんべえ』 (宮部みゆき) 感想

十二歳の春、大病を患ったおりんは、その時に見た不思議な夢をきっかけにこの世ならぬ者たちを見ることになる。それは両親が苦労の末にはじめた料理屋ふね屋に何の由縁あってかとりついた亡者たちだった。
と書いてはみたが、もちろん怪奇物ではない。宮部作品の時代物に超常の味付けがほどこしてあるのはいつものこと。話は、おりんが両親を助けたいという方向へ。なぜ自分には亡者たちが見えるのだろう?亡者たちはいったいどうしてこの世に未練を残すことになったのだろう?という謎解きに向かっていく。<あかんべえ>をしているのは、亡者のひとりである梅の花の柄の赤い着物の小さな女の子だ。この女の子をはじめとして、主におりんの相談相手となる同じく幽霊の玄之介たちはちっとも怖くない。だからお化けらしくないかといえばそんなことはなくて、哀しいのである。作品にはそぐわない台詞なのだが、ここはやはり「うらめしや」とでも言うのが合っているか。ただ、あまりに幽霊になってから時間がたったので、その「うらめしや」が表面化しないのである。ほんとうは、身を切り裂くほどに哀しいはずなのに。
あれ?ほんとうは哀しくてたまらないのに、時間がたつので表面化しないだって?なんだ、それは大人一般の現実生活と同じじゃないですか。幽霊になったとしても、哀しさは人のそれと変わりがないか……それは、あまりに哀しすぎる。
この作中では、彼ら幽霊は、おりんの目の届かない大人の視点の代わりとなって物語を推進していく役目を担っているようです。これ、ふつうの作家がやるとふつうなんだけど、宮部作品では異例ではなかろうか?大人の世界に子供の視点を導入して、物語のきかっけにするのがいつものやりかたのように思うのだけれど?ともあれ、なんというか物語の謎の軸になる陰惨な部分を幽霊たちにすべて負わせてしまうのですね。いや、まあ、この世に未練を残すくらいだから、彼ら自身の問題だと言ってしまえばそうなのですが。なんだか、だから釈然としない部分もあるにはあるのですよ……。贅沢なのでしょうね、こういう感想は。でも、もうちょっとその陰惨な部分の先のほうまでおりんをつっこませてもよかったかな、と思います。

『図書室の海』 (恩田陸) 感想

●「春よ、来い」 『時間怪談』にて既読。時間とはこのようにスパイラルなものか。時間に螺旋のイメージを抱くのは人たる者の定めか?春の一瞬には永遠が内在していると感じられることが、人たる身の幸福であろう。美しい。
●「茶色の小壜」 人外の者は暗闇に潜むとは限らない。むしろ現代にあっては雑踏に、そしてロッカールームの隣の扉に。そこにある空洞に気づく人の数が少ないことは幸いなるかな。
●「睡蓮」 『麦の海に沈む果実』の番外編。少女が少女のままであることは困難だ。なにかはつゆをたまとあざむく。
●「ある映画の記憶」 面白い。記憶とは錯誤なり。想い出深いなにかをやっとの思いで入手して見てみると記憶に残るそれとはちがっていたというのはよくあること。ならば、あの日の記憶は……?
●「ピクニックの準備」 長編『夜のピクニック』の予告編とのこと。心ざわめくほどに思わせぶり。きっとおやつは300円までだろう。
●「国境の南」 旅路の果てにたどりつくはかの国。君よ知るや南の国。日本人は逃避行というと北に向かうが欧米人は南に向かうような……。不可思議なストーリー。ラジオドラマのような。
●「図書室の海」 『六番目の小夜子』の番外編。関根秋の姉、<渡すだけのサヨコ>夏の物語。そう、憶えている。中学や高校の図書室はすべて開架式だった。本にセットされた図書カードには自分の名前を、自分の図書カードには本の名前を書き入れて借り出す。自分がこれから読もうとするシリーズのカードの終わりにはだいたい同じ人の名が書き入れられてはいなかったか?新しいシリーズのどちらを読もうかと迷った時にはその人の名前をさがさなかったか?ぼくの名をたよりに本を借り出しただれかがいただろうか?図書カードはサヨコの鍵に似ている、と思った。
●「ノスタルジア」 この集の中ではいちばん好きな作品。時間というのはやはり不可思議でどこか理解を絶するところがある。あの記憶、あれはほんとうにあったことなのか、それとも夢か思いちがい……。すべてを歪んだ形で圧縮するかのように記憶がここにある。ぼくの記憶こそがぼくの時間。たぶんそうなのだろう。

『星の塔』 (高橋克彦) 感想

いずれもどこかで耳にした記憶のある昔話に解釈をほどこし、新たな物語としたもの。七編。
●「寝るなの座敷」 何かを禁じられた場所というのは昔語りに数多い。見るな、開けるなといってそのものを示す。玉手箱、見るなの座敷、機を織る鶴女房。その約束は異界に人たる身をしばりつけておくためのの何かなのだろう。夏美と倭夏子、ふたりの夏の女性。前者が無邪気すぎる若さの象徴であるならば後者は……。幽けき昏さもまた夏に属するものか?
●「花嫁」 隠れ里の隠れ里たる由縁は?鬼の解釈は目新しくはないが……。山に住む鬼婆という話はよく聞くが、あれのもとになっているのはほんとうのところいったい何なのだろうか?
●「猫屋敷」 なぜ祟る動物の代表が猫なのだろうか?猫にしてみれば迷惑な話だろう……。でも、あの一種の無表情さになんだか相容れないものは感じずにはいられない。この話の結末、どうにも得心がいかないのだが。
●「星の塔」 奥深い山にある螺旋構造の古い時計台。修理を依頼された設計技師はそこで美しい娘に出会うが……。異界に魅せられた者はふたたびみたび異界に身を投じるのが常である。なぜならばその場所その時間には……。ラストシーンが逆説的で美しい。

『屋烏』 (乙川優三郎) 感想

・「禿松」 禿松と呼ばれる智之助は、その昔祝言間近で破談となった相手である初の夫の囮としての任を負うが……。いろいろな読み方ができると思うが、男は身勝手なものというのが第一印象。しかし、それでも年月を重ねる中に何かは確実に残っていくのではないか?初の台詞が最後までないのが感慨深い。
・「屋烏」 政変に巻き込まれ惨殺された父に代わり弟を育てた揺枝、彼女がふとしたことから心を寄せるようになったのは、粗暴と噂の高い男であったが……。宿命という言葉に不幸を重ねるのは悲しいものだ。行いはいつか報いられると信じたい。清冽な一編。
・「竹の春」 脱藩した男を慕い行動を共にした姪を追う役目を負った与五六、だがその心には迷いが生じて……。何かを始めるのに遅すぎるということはけしてない。そのときはじめて何をなすべきかに思いあたったのであればなおのこと。
・「病葉」 年のさほど離れぬ継母、その反発から放蕩を尽くす多一郎、しかしある日普請奉行を務める父が病に倒れ……。一からやり直すという覚悟はなみなみのものではないと思う。そういう決心はえてして自分ひとりではできないものだ。
・「穴惑い」 夫婦となってわずか二ヶ月で敵討ちのため国を離れた関蔵は、三十四年ぶりに本懐をとげ帰郷するが……。歳月の重さをこのわずかの頁数でじつに密度高く感じさせる。夫婦が最後にとる選択がいい。

『探偵ガリレオ』 (東野圭吾) 感想

常識では考えられない事件に遭遇したとき、警視庁捜査一課の草薙は友人の大学助教授湯川を訪問する。そこで得られる事件の真相とは……。一見不可解に見える事象も、別の視点から見れば?というもの。特に難解な科学知識を使っているわけではないという点もみそか。あんまりマイナな理由をつけられたのでは、たとえその物理的事象がほんとうにそうなのだとしても眉唾になるものね。
●「燃える もえる」 道端で激しい炎によりとつぜん焼かれる人間。しかし火災原因は不明で……。考えさせられる動機。『火星年代記』悲し。
●「転写る うつる」 池で発見された奇妙なデスマスク。科学者はオカルトを信じない?うーむ、科学で証明できるものと証明できないものをきちんと分類できるのが科学者なんだと思う。
●「壊死る くさる」 風呂場での変死。胸の組織が壊死している理由は?
●「爆ぜる はぜる」 海水浴場。海上に突然の火柱。このやり方は中学生の頃に担任の理科の先生から聞いたことがあるのですぐわかった。
●「離脱る ぬける」 幽体離脱しているあいだに少年が見たという情景の真実とは?

『グイン・サーガ83 嵐の獅子たち』 (栗本薫) 感想

運命は流転。前巻を承けてリンダとグインの消息が語られた後、視点は僭王イシュトヴァーンに移る。イシュトは嫌いではないのだけれどな。グインの言い様はいちいちもっともだとは思うのだけれど、でも人はとても心弱いものだと思う。王たる地位に就くにはそれだけの覚悟が要るということなのだろうけれど、なんとも釈然としない感じ。グインは友としてのイシュトヴァーンを真実そのように思っているのだろうか?だとすれば、それはあまりにあまりなように思う。いやいや、やはりこれは国を思い部下を思うからこその台詞なのだろう。そして何よりもイシュトを思ってこその言葉。そう感じるのはまだまだぼくが青いからだろうか?ひるがえって、イシュトは過去のいきさつから最早のっぴきならぬところに落ち込んだ模様。この世界にあってイシュトの担う役割もまた、グインの担うそれと同じように興味の尽きぬものだ。

『ハリーポッターと秘密の部屋』 (J.K.ローリング) 感想

二巻目。なるほど、このように物語をはじめるのか。『ハリーポッターと賢者の石』のラストがああいう感じだったので、ふつうだとさぞやイヤな感じの少年に変化したかと思いきや・・・・・・。なるほどね、魔法は学校の外で使ってはならないっていうのはよい設定かも。これでとりあえず就学中のハリーのダドリー家での地位は決定というわけだ。まあ、たとえそういうルールがなかったとしても、ハリー本来の性格からいってそれほど悪くはならなかったろうかな?いやいや、魔法にあこがれる少年諸君にはわかってもらえると思うけれど、もし魔力があればこうもしたい、ああもしたい、といった暗い思いは力弱い者にこそ顕著。自分に何らかの特別な力が備わっていると知って有頂天にならないのなら、それは人間ではないし、ましてや少年とは呼べないのではなかろうかな?
さて、ホグワーツでの2年目は1年目ほど安穏としたものではなかったようだ。終わりよければすべてよしとしてしまってよいものかどうか?この物語から得られる教訓は何か?いささかうがったものの見方で言えば、少年よ、信とするに足る教育者とは誰か?ということかな。まあ、ほとんどの場合、生徒が教師を選ぶわけにはいかない。そこに学校というものを楽観的に見ることのできないひとつの側面があるとも言える。もうひとつはあれだな「脳みそがどこにあるか見えないのに、一人で勝手に考えることができるものを信用しちゃいけない」、これは自明のように思えてなかなかに守れない教訓だと思う。
そして、気になるといえば、ハリーという少年がどのように成長していくか?力を持つ者は力の誘惑に打ち勝たなければならない。これはすべてのファンタジーの持つ大きなテーマのひとつ。この巻でも小出しにされているような感じがするのだけれど、さてどうなることか?

『怪談人恋坂』 (赤川次郎) 感想

最近は赤川次郎作品をあまり読まなくなった。一時期わりと読んだのだけれど・・・・・・。それでも、たまにこれは読みたいなというものに出会うことがある。シリーズものの場合は手を出さないのだが、これは単発のようなので久しぶりに購入してみた。面白い。不可解な死をとげた<姉>、そして自分自身の出生の秘密。「人恋坂」という象徴的な舞台装置の上で繰り返される悲劇。ストーリーを振り返ってみるとひどく暗く、そして救いようのない話に思える。人の欲望は果てしなく、それに飲まれてしまえばとめどなくなるものだ。だが、自分を完全なる善の側に置くということは現実世界にあってはかなわない夢。それでも読後に不快感が残らないのは「憎むより、愛することが何十倍もすばらしい」という、長い長い復讐の果てにたどりついた事実のゆえか?自分もまた人を憎みそして人を愛するのだと主人公の郁子が本当に知るには、まだこの結末より長い時間がかかるのであろう。そのすべてを自分のために認めることができる者は大人たちにさえ数少ないのは、悲しいがこの物語が伝える通りである。

『陰陽師 龍笛ノ巻』 (夢枕獏) 感想

五編。短編がこのように続いていくというのはじつにうれしいものだ。読むことを急ぐ気持ちと読み終わってしまうのを惜しむ気持ちが等しく自分の中にあるのがわかる。一編を読み終えては次にかかるかどうかをしばらくは考える。『生成り姫』のように長い話を読みたくないわけではないのだが、やはり晴明について語るにはこの長さ、この息が合っているのではないか?
●「怪蛇」 道満と晴明の関係がわかったような気にもなるし、ますますわからなくなった気にもなる。好敵手というのはそういうものか。
●「首」 加茂保憲はまことに喰えない男・・・・・・晴明とよい勝負。この後の話にもからんでくるか?
●「むしめづる姫」 白眉。出典は言わずとしれたあの話。だが、学校の古典の授業で聞くよりも趣深い。真に何かをめづるとはかくのごとし。
●「呼ぶ声の」 保憲の左肩に息づく式神は猫又。猫又といえばシャモンを思い出す・・・・・・。
●「飛仙」 仙人にもいろいろあるらしい。上は天仙地仙から下はこのようなものまで。生き方などというのは人それぞれでよいのだろう。

『幻少女』 (高橋克彦) 感想

ホラー掌編集。怪奇は雰囲気で読ませるもの、と思っているので、どうも掌編にはなじまないのではないかと思う。『前世の記憶』とか『緋い記憶』のなんともいえぬ恐怖に堪能したのだけれど、あそこまでの雰囲気は望めないかと思っていた。しかし、やはり何篇かにひとつ、単なるサプライズにおわらない恐怖に不意を突かれる。ぼくとしては解決らしい解決のない「電話」のような作品がすきなのだが「大好きな姉」のほうが作者らしいし、より怖いのかもしれない、などとも思う。あと「色々な世界」で扱われているのは、ぼくがむかしとても不思議に思っていたことをすっきりと説明してくれているような気がしたのだが、途中からひねってあって唸ってしまった。現実と幻想の世界の間なんて、この程度のものなのだと思い知ることになるよね。

『黒と茶の幻想』 (恩田陸) 感想

学生時代に同級生だった4人の男女が旅をすることに。目的はY島に伝説の三顧の桜を探しにいくこと。また、旅の途中で<美しい謎>を提示し、自分自身の過去にまつわるそれらを解き明かそうというサブテーマがあります。さて、ここまで読んであなたは、おや、それはどこかで読んだことがあるぞ、と思ったに違いありません。いや、題名だけで気づいたでしょうか?そう、これは、『三月は深き紅の淵を』の作中作として語られる同名の作品の第1部なのですよ。そう、登場人物の名前さえも予告されています。だから、『麦の海に沈む果実』よりもむしろ、続編のイメージに近いという気がします。物語中最大謎のひとつ<憂理>と同じ名前を持つ人物が『三月は・・・』と『麦の海に・・・』に登場することも偶然とは思えません、イメージにギャップはあるのだけれど両方女優志願だしね。まあ、細かな謎の積み重ねで語られるので、苦手な人もいるかもしれませんし、またすべての謎がすっきり解決されているわけではないので消化不良をおこすかもしれません。でも、本来、謎っていうのはそういうものだとぼくは思うのですが・・・・・・。こういうのはぼくとしてはとても好みです。ロードムービー仕立てで雰囲気を出そうという他に、狙い目は究極のアームチェアデテクティブにあるのでしょうね。だって、この離島に来ることで、4人は空間的に日常から完全に切り離されているわけだし、過去を話題にしているから時間的にもそうなんですよね。現在進行形の何かが入り込む余地がない。そういえば、回想シーンの中以外には、4人の他の人間がほとんど登場しないってところも徹底しています。登場しても主体的ではなくて、景色の一部くらいにしか描写されてないような・・・・・・。まあ、例外らしきものがあるにはあるのですが、これも現実の事象かどうかを疑うという徹底ぶり。ロードムービーというのは人ととの出会いを描くようなもんですから、そういう意味ではこの物語はロードムービーでもないんですよね。しかし、どうしてY島とかJ杉とかいう表現なんでしょうね?屋久島、縄文杉とはっきり書いてはまずいわけでもあるのでしょうか?うーん、なんだかひとつの壮大な物語の断片がこれらの長編のような気がしてなりません。『三月は・・・』の幻想世界にはまだまだ続きがあるのでしょうか?

『捩れ屋敷の利鈍 The Riddle in Torsional Nest』 (森博嗣) 感想

帯には「メビウス構造の密室の謎に西之園萌絵が挑む」と大書してあるけれど、Vシリーズです。語り手は保呂草だからね。というか、紅子の代わりに萌絵を配した番外編という印象。ちなみに犀川は電話に向こうにのみ登場。このシリーズにとってエンジェル・マヌーバっていったいなんなんだろ、という例によって本筋とは関係ないことばかり気になりながら読む。あと、ここで説明されているような建築物を頭の中に想像できませんでした。そういうことには向いていないのだね。だからといって図示せよというのは酷なんだろうか?まあ、謎が魅力的であれば例え回答が人をくったものでもいいし、毎回それがらみでもべつにどうってことはないのだけれど、保呂草にはきっとまだ語っていないことが山のようにあるのだろうな、などとも思う。よもやハインツ・コレクション(笑)?まあいい。それはそうと、講談社ノベルズの創刊20周年記念とかで、密室をテーマにした競作なんだそうだ。袋とじになっている(※ノベルズ版)から、きっとマニアは何冊も購入するはず(笑)。ぼくとしては読めればよいので、そんなことは気にせず、ペーパーナイフも使わずにいきなり破りました・・・・・・。ときどき、この手の本(筒井康隆の『残像に口紅を』とか)が未開封のままで古書店で売られていたりするけど、どうにも不思議でならない。買ったからには最後まで読めといいたい。まあ、余計なお世話か。

『仔羊たちの聖夜』 (西澤保彦)

シリーズ第3弾。1作ごとに別の出版社の棚を探さねばならないとは、ちょっと参るね・・・・・・。タックたちの出会いが描かれるという点と、事件が長い時間にわたって描かれるというのも異色・・・・・・なんだろうか?まあ、クリスマスイブに連続で起こる転落死事件という特質からしてそうならざるを得ないんだけどね。事件そのものは、なんというか大変に後味の悪い印象を受ける。クリスマスだというだけでも何だかいやな感じ、と思うのはぼくだけなのかな?ともあれ、この作品が後続の2編の方向を定めてもいるということだろう。ふたりにとっては、お互いに大事なものができたということである。それを象徴しているのが、コンビニで購入した、なんでもないありふれた品だというところが、なぜか救いのように感じた。

『麦酒の家の冒険』 (西澤保彦) 感想

シリーズ第2弾。ボアン、タック、タカチ、ウサコの迷い込んだ山荘は、ベッドと冷蔵庫いっぱいのエビスビールだけという不可解な状況。4人はこの状況をさまざまに推理していくが・・・・・・。
けっきょくシリーズ全部読むことに決めたんだけれど、これはまた変わった作品。純粋なパズルだねえ。アームチェア・デテクティブってのは現場に行かずに推理を組むわけだけど、こういうのはなんていうのだろ?状況証拠だけでそこまでいうか?という感じ。作者の目的からして感情とか情緒に訴える部分が一切なくて、徹底しているなあと思う。ただ、その代わりというか、ビールを飲んでばかりというとんでもないシーンが続くもので、途中でぼくも飲みたくなって仕方なかったということ。ふだんあんまりビールを飲まないぼくにしてからがそう感じたのだから、さぞやビール好きにはたまらん作品だと思います。ちなみに、長らく冷蔵庫に死蔵されていた我が家のビールがすべてなくなってしまったのは、この作品のおかげかと(笑)。

『紫紺のつばめ 髪結い伊三次捕物余話』 (宇江佐真理) 感想

『幻の声』に続くシリーズ第2弾。いきなり訪れる伊三次とお文との不協和音。うーむ、冒頭からこれだとちょっと読んでいてつらい。芸者というのは因果な商売だ。しかも追い討ちをかけるような2編目の「ひで」の結末。花見の頃から夏祭りまでそのような具合となると、読者はみな伊三次にもお文にも同情したくなるにちがいない。そしてとどめは3編目の「菜の花の戦ぐ岸辺」である。シリーズ急展開といったところか?同心とか下っ引とかいうのも因果な商売。しょせん、商売に因果でないものなんてないのかな?この編までのごたごたは、けっきょく「鳥瞰図」まで持ち越し、同心の不破の妻いなみの身の上がまたも問題に・・・・・・。なんというか、そのいたたまれないというか、こういう物語を読むにしてはぼくなど若すぎるのだろうなあ、という妙な感慨を持ったりもする。なんだか剣呑なムードで進むこの集だが、ラストの「摩利支天横丁の月」にはちょっとほっとすることができた。どうも、ぼくはまだまだ青いようだ。

『依存』 (西澤保彦) 感想

面白い本は表紙を見ただけでわかるというのがぼくの持論なんだが、これもその一例。書店で平積みになっているを見たとたんにぜひ読みたいという考えにとりつかれてしまった。きっと読書を趣味にしているひとにならこの感じわかっていただけると思うのだが。ところが、帯には<シリーズ最高傑作>の文字。ファンの方々には周知のことだったのだろうけど、これシリーズの今出版されている冊数からすると後半に位置する作品だったのだ。困った。とても困った。というのは、焦って書店内をくまなく探したのだけれど、シリーズ全冊を見つけることができなかったのだ。というか、西澤作品自体の数が少ない。うーむ、どうしてなんだ?しかも、シリーズ1作目を見つけることができなかった。
けっきょく、その『彼女が死んだ夜』を探し出せたのは3週間もたってからで、その間になぜか今度は『依存』のほうが店頭からなくなってしまうという、嘘のような目にあってしまった。第1作にはあんまり乗ることができなかったのだが、こと本に関してはカンを外すことはまずないので、まどろっこしくなっていきなりこれを購入してみたのだが・・・・・・
いや、面白い。タック衝撃の告白で幕を開ける序盤からして、物語に引き込まれる。別れた母、彼女に殺された双子の兄。いきなり、である。なぜに主人公にかかわるそんな重大事件がいきなり出てくるのか?しかも、語り手はウサコなのである。1作目の語り手がタックだったので、シリーズというからにはこれもそうなのだろうと思っていたら、ちがう。そして、タックの過去の物語もさることながら、だんだんとウサコの内面の吐露が思いもしなかった形であらわれだす。こいつらって、こういうキャラクタだったか?とりわけウサコ・・・・・・。このシリーズはこの作品の前後でまったくちがった色合いを備えるようになるのだろうか?印象が変わってないメイン登場人物ってボアン先輩だけだぞ。この感想を書いている現在、ぼくは他のシリーズ作品も何冊か読んでいるのだけれど、この『依存』はシリーズを順に読んできた方にはかなりの衝撃だったのではなかろうか?とても興味深いところだし、せっかくなので全作品読んでみたいと思う。ついては、店頭にない『スコッチ・ゲーム』はぜひ文庫化してもらいたいのだけれど・・・・・・。

『ハリー・ポッターと賢者の石』 (J・K・ローリング) 感想

世界3600万部の大ベストセラーだそうである。膨大すぎてちょっとピンと来ない数字であるが、奥付に初版第410刷と入っていて驚く。もちろん日本語版だけでの数字。いやいや、長い間本を読むのを趣味にしてきたけど、かつてお目にかかったことのない数字ですね。
まあ、これだけ流行し、映画化もされると世の中にはいろんな人がいらっしゃるもので、<魔女を賛美するような内容は宗教的見地から好ましくない>をはじめとして毀誉褒貶の激しいことだ。まあ、例にひいたような<批判>は、そもそも物語というものを枉げて理解しようとしているわけで笑止ですがね。
第1巻読了時点でのぼくの感想はというと、少々ひねくれているかもしれません。あえて誤解をおそれずに言えば、いかにも読書を趣味とする人間が喜びそうだなあ、というもの。どういう意味かって?つまり一種の貴公子流離譚なところなんだけどね、悲惨な生活を送っている自分はじつは高貴な身分の出身で、その力を是とする異世界ではヒーローである、と。まるで、腕力に欠ける人間がやたら超能力みたいなものに興味を示すのに似ていません?ファンタジイなんだからそれでよいのかもしれないのだけれど、いつもいつもやっぱり釈然としないのだよね。序章あたりで叔父一家にいじめられ尽くしていたハリーが、どうして何の屈折もなく寮生活の中心人物になったりするわけ?シンデレラとかと同じ納得のいかなさだな、人間ってそんなに簡単に価値転換できるもの?それともそれこそが高貴さの証?すべてが血筋とかにかかっていると言われているようで、どうもね。ここでぼくが思い出すのは『風の海 迷宮の岸』の泰麒だったりする。こちらは、そこまで悩まなくてもいいじゃないかと思うけれど、まだ彼のほうがぼくには理解しやすい。あちらのほうがふつうの反応じゃないの、と考えるのはぼくも屈折した人間だからかな?
あと、物語の随所にマグル=普通の人間を一段低く見るような描写が垣間見えることも気になるな。しかもハリー自身がそれに多少とも染まっていくようにも感じられる。特にラストの一言などは、ジョークとしてもいただけない。まあ、でも、この魔法族と一般の人間の関係が巻を追うにつれてどう変化していくのかは見どころのひとつかもしれません。といったところで、この物語でいちばん気に入ったところを示すのであれば<敵に立ち向かっていくのにも大いなる勇気がいる。しかし、味方の友人に立ち向かっていくのにも同じくらい勇気が必要じゃ>というところ。ラスト近くですね。なんでもない、ごくふつうの、でもなかなか出せない勇気。そういったものが評価されていることはすばらしいです。
さて、なんだかぐちゃぐちゃ書いたあとに言うのもなんですが、たいへん面白く読めたのは事実です。しばらく間をおいてから2巻を読んでみてもよいかもしれないな、と思いました。

『クレオパトラの葬送 薬師寺涼子の怪奇事件簿』 (田中芳樹) 感想

ドラキュラもよけて通るお涼、通称ドラよけお涼の活躍は『魔天楼』『東京ナイトメア』『巴里・妖都変』に続く第4弾。今度は豪華客船クレオパトラ八世号を舞台にしての大暴れ。やっていることは一見無茶苦茶だし、毒舌もあいかわらずなのだけれど、筋は通っているのでしょうねえ。妙な感想かもしれませんが、ヤン・ウェンリーもこのくらいの融通がきけば死なずにすんだのかも。
加えて政治ネタのあぶないパロディも健在。この物語の敵役ホセ・モリタっていうのはつまりあの方なのでしょうけど、ここまで茶化して大丈夫か?日本の惰弱な政治家ならばともかく……。「テロリストハミナゴロシダ」には失笑いたしました。
あと、泉田警部補が野暮だと以前にも感想を書いているけど、その超鈍感さはここでも継続中。というか、涼子も素直じゃないのか、フクロウのブローチ。ふたりとも優秀な警官なのだろうけど、その方面にはかなりの不器用。そのあたりも、ヤンとフレデリカを彷彿とさせるような……。もしかすると作者がそういう感じの男女関係が好きなだけなのかな?
それと、もうひとつだけ。ネタばれなので、反転させときます。このやりかたって筒井康隆の『富豪刑事』?どう思います、みなさん?

『彼女が死んだ夜』 (西澤保彦) 感想

<匠千暁シリーズ>第1弾。どういう事情かは知らないのだが、このシリーズ版元が複数にまたがっている。じつは『依存』という作品を書店で見かけてたいへんに心魅かれたのだが、シリーズ作品ということで、これから読むことにしたのである。
やっとのことで両親にアメリカでのホームステイの許可を取った超箱入り娘のハコちゃん。しかし、帰宅してみると見知らぬ女性の死体が転がっているではないか……。はなから死体の処理を頼まれるというとんでもないシリーズ幕開け。うーむ、こっちはこれがシリーズになっているのを知っているもんだから、どうしてこれで成立するのかと頭をひねることに。まあ、早々にあきらめましたが……。タック、タカチ、ボアン、ウサコというキャラクタ造型はどうも申し訳ないがピンと来なかった。いそうだけどいないよね、というかちょっと極端ではないかと……。しかし、『依存』を読了している今だから言えるのであるが、それこそが大きな伏線になっていたのだろうか?うーむ。最初にどのあたりまで計画されていたのだろう、などと考えて再読してみると、タックこと匠千暁からはかなり<未来>に関する情報が語られていることに気づく。これ、4人にとってのどの時点から振り返った物語なのだろうか?

『オブザーバーの鏡』 (エドガー・ハングボーン) 感想

地球にはじつは三万年前から火星人たちが住み着いている。彼らは人類の精神的な成熟をじっと待っているのだ。その日がくることを信じてひたすら人類を観察し続ける役割を背負った者たち、それがオブザーバーだ。だが、火星人の中にはそんな姿勢に叛旗をひるがえし、人類を破滅に追いやろうとする者たちもいた……。
とはいえ、アクションシーンなどはほとんどない。淡々とした物語は、やがて来る破滅を予感させるのに充分だ。オブザーバー・エミルスが上官に宛てた物語形式の手紙という不可思議な形式で語られるのだが、エイリアンの内面描写としては人間的にすぎるのではないだろうか、とも思う。ほとんどのページでそれはメランコリックなほどである。しかし、これこそが古き良きSFなのかもしれない。流れ行く時間を、そう火星人たちのように感じながら、物語の中で重要な要素となっている音楽を聞くのもよいかもしれない。

『ボクの町』 (乃南アサ) 感想

巡査見習として派出所に勤務することになった主人公高木聖大。うーむ、コメディなのだろうけど、いろいろと考えさせられる一編かも。警官への志望動機は振られた彼女を見返すため、研修初日で警察手帳にプリクラを貼っていることを上司にとがめられる、いやいや今時の若者です。若く情熱的と言って言えないこともないのでしょうが、どうにも方向性がずれている。おいおい、それはちがうだろうと途中で何度も思いました。こんなのが警官をやっていたらたまらんけど、巷でニュースの俎上にのぼっている輩よりはよほど純粋なのかな。悩んでしまう。
半ば以上も読んでからはたと気がついたのですが、どうも自分は新入社員だった自分を彼に重ねているわけではぜんぜんなくて、こんな新入社員の面倒を見ている自分を想像しているわけです。なんというのか一瞬いやーな気分になりましたよ。もはや自分にはそういう感情移入の仕方しかできないのだろうか、なんてね……。こういう若者諸氏には、声に出さずに心で声援を送っておくというのがいいのかな?例えば年度が替わったら社会人になるような方には一読していただきたい物語ですね。あと、はじめて社会人として先輩という立場に立つ人にも。立場が違えば見ているもの、見なければいけないものは微妙に違うものです。警察という、ほんとに組織の見本のようなものを使って、そのあたり巧く見せていると思いました。

『グイン・サーガ82 アウラの選択』 (栗本薫) 感想

暁の女神アウラはランドックとともにグイン・サーガという遠大な物語の掲げる最大の謎。グインとははたして何者であるのか?それを導くための謎ここに来て随所で論じられてきたそれはこの巻まで来てかえって深まったようです。さて、それではパロ聖王家とはいったい何であるのか?
ともあれ、対ヤンダル・ゾックをめぐる物語はこれでひとつの佳境を迎えたということでしょう。そして、パロ聖王レムスとは何者であるのか?当初からのこの疑問への回答も、これでヒントは与えられたのかもしれません。パロの闇王朝とはつまり……。そして、興味深いのは、物語のそもそもの発端であったパロの聖双生児リンダ&レムスとグインがじつに長い時を隔ててふたたび邂逅を果たしたということでしょう。世界の命運はいかに?

『金のゆりかご』 (北川歩実) 感想

<金のゆりかご>、それは天才を生み出す早期教育装置である。かつて同じ理論に基づいて天才教育を受けた主人公は、今では平凡な人生を歩んでいるのだが、そこに教育センターより入社の要請が来て・・・・・・。
無気味な物語、といって差し支えないだろう。得てして頭がよいと自分で思い込んでいる人間というのは身勝手なものだと思う。天才であることにそれほどの価値があるのだろうか?他のすべてを犠牲にしてよいほどの?読み進むごとに、どうにもならない嫌悪感が広がっていくのを感じる。どんでん返しに次ぐどんでん返しは北川ミステリのひとつの売りなのであろうが、この物語ではどうにも後味が悪い。とりわけエピローグのそれは、吐き気を催すほどである。人間というのは、自分が正しいと信じているとどこまでも身勝手になっていくものだ。
そういえば、気になることがひとつ。主人公の妻が物語のほんの序盤にしか登場しない。これだけの事件、それも自分自身のアイデンティティを揺るがせられるようなことに巻き込まれてなお、この主人公はひとりでそれを解決しようとしている。これも、ある種の身勝手ではないだろうか?この物語の中では、天才という呪縛から逃れふつうに生きようとしている彼でさえそうであるのだ。誰も救われることはなかったと思ったのはぼくだけであろうか?

『月曜日の水玉模様』 (加納朋子) 感想

連作短編集。いわゆる日常の謎ですね。
「月曜日の水玉模様」 ばらしてしまえば、この水玉模様というのはネクタイの柄のこと。いやいや女性の視点は怖いです。なるほど、気づかないうちに同じ曜日に同じネクタイを締めているわけですね。まあ、ぼくなどはそのあたり無頓着で毎日のように同じネクタイだったりしますが(笑)。主人公のOL陶子と調査員萩の出会いを描きます。さて、しかし、こういう社長さんは実際には多くはないかも。
「火曜日の頭痛発熱」 会社に勤めるってのは、そうですね、こんなもんです。まあ、清濁併せ呑む度量なんていいますけど、あまりに純粋ではやっていけないのは確か。ぼく?濁りばかりでどろどろだったりして(笑)
「水曜日の探偵志願」 解けなかった謎が年月が経つことによって解けてしまうことがあります。しかし、黙っていたほうがいいということだって絶対にあるわけですよね。すべてが明らかになってしまったのでは余韻というものがございません。その点これはマル。
「木曜日の迷子案内」 <飛び去ってしまって二度と還らない風船>この短編集中もっとも重いテーマが扱われています。手を離す者はいかなる魔に魅入られているのでしょう?伝わらなかった思いを、時を隔ててから伝わっていなかったのだと知るほど哀しいことはありません。
「金曜日の目撃証人」 思い込みっていうのは怖いもんです。あらゆる意味で。時には前提を見直してみることも大事なのでしょうが、忙殺されるままの生活にそれを望むことはできるのでしょうか?
「土曜日の嫁菜寿司」 人生はドラマチックかもしれない。もしかすると人が必要としている以上に。新幹線で乗り合わせた婦人と嫁菜寿司か……。読者にとってはただ、2日のことにすぎないのだけれど。
「日曜日の雨天決行」 クライマックスは土曜日。だからこれはエピローグなのだろう。やれやれ、この結末で納得しているぼくもやはり会社員か。
さて、ところで、ついぞやらない短編集の全編コメントを敢行しました。それは、題名に注目だからです。<水玉模様><頭痛発熱>・・・・・・<雨天決行>遊び心がうれしいですね。

『椿山』 (乙川優三郎) 感想

よほど非凡の才にでも恵まれていれば別であろうが、ひとは定められた何らかの枠から出ることが多くの場合はかなわないものだ。ならば、その己にとって出ることのかなわない枠のようなものを、自分の中でどのように捉えているかで幸不幸は大きく変わるのではないだろうか?時代は異なるとはいえ、これは現代にも通じることであろう。
「ゆすらうめ」 やっと年季が明けて自由の身になった娼妓のおたか。しかし、そこに家族が金の無心に現れる。おたかが娼婦から足を洗えれば自分自身の生活にも変化を望むことができるかもしれない、そんな思いをいだいていた番頭の孝助は……。これで終わると思っていた何かに引き戻されようとしている人間の気持ちとはいったいどんなものでしょう?いや、引き戻されるのではなく、それしか選択肢が残されていないのだとすれば……。
「白い月」 最初はまじめだった職人の夫だが医者の薬礼をかせぐためにはじめた博打が高じて……。これも考えさせる話です。夫婦をつなぎとめている絆とはいったい何なのか?いや、それはそもそも絆なのでしょうか?果てしない繰り返しを、また価値あるものだと判断させるのは、いったいどのような思いなのでしょう?
「花の顔」 ある意味現代的なテーマですね。自分にいつもつらくあたった姑。身勝手と思える夫。そして、月日は流れ、夫が江戸詰めのままに姑に痴呆の症状が……。時を経るに従ってのさとの心情の変化が読む者の心を揺さぶります。そして、さとの辿りついた結論とは……。短い中にほとんど人の半生といえる時を閉じ込めた美しい作品だと思います。
「椿山」 才気溢れる若者である才次郎は、学問所での成績もめざましく、登用試験を経て藩の勘定吟味方になります。しかし、ごく平凡な勘定方の父親は、何事も無難にこなすようにと息子に説きます。学問所の師範は、<人に何かをを教える者はまず心が穏やかでなければならない>と言い、娘を才次郎の友寅之助に娶わせます。それをきっかけに才次郎は藩の上部に接近をはかり栄達への道を歩みはじめるのですが……。才次郎のように死ぬことができるのであれば、あるいは人生も捨てたものではないかも知れません。何であれ、人は「その時」に間に合わないことのほうが多いのですから。

『ドリームバスター』 (宮部みゆき) 感想

宮部作品らしからぬ題名。しかも<ファンタジー長編>とか<第一弾>などと銘打ってあれば不安にもなりますやね。プロローグの「JACKIN」こそ日本を舞台に話が始まるものの、これはなんというかほんとうにSFです。宮部ミステリといえば怪奇趣味にSFテイストではありましたが、まさかここにきてそれをメインに出してくるとは思いませんでしたよ。なんというんでしょ?純文学作家がライトノベルをやるようなギャップを感じたです。
しかしですよ、物語を語るにかけては一流の宮部みゆきが、こういうものを書いてくれれば、<若者の活字ばなれ>なんてものをどうにかする原動力のひとつにはなるんじゃないかと……。いや、いらぬお世話でした。
この世界とは異なる位相にある世界での事故により、身体から切り離され意識だけになった囚人たち。彼らは時空の穴を通って我々の世界に来ることができ、夢を通じて人を乗っ取ることができる。その<悪い夢>を見つけ、狩ることが主人公シェンやその師匠マエストロの職業ドリーム・バスターである。うーむ、なかなかに心躍る設定。ついでに言えばファンタジーにつきものの言語処理問題も、夢を見ている人の知識を使って会話を行うという設定であっさりクリアしてしまうあたり、やはりすごいかも。そこさえ納得してしまえば、あとは日本語だから何でもありだものね。
そして、シリーズの伏線としてのシェン出生に関する設定も秀逸。さて、あとは夢を舞台にするという困難をクリアしてどのくらい魅せてくれるかにかかっているのだけれど、ぼくとしてはプロローグがやはりいちばん気に入っている。シェンたちにとっての現実を描く第3話「DBたちの穴」も面白くはあるのだけれど、さてこれが物語りが進むにつれてどう絡まっていくか見ものですよね。

※ハードカバーとノベルズ版は収録範囲が異なるようです。


『今昔続百鬼-雲』 (京極夏彦) 感想

副題は<多々良先生行状記>。かの京極堂シリーズの番外編である。中短編集なのであるが、ひとつひとつの話が例のごとくの薀蓄満載でなんだか妙に長いような気がするので、長編を4編読んだような錯覚に陥る。しかし、あれだね。京極堂シリーズの味わいを求めて読むと失敗するというか『どすこい(仮)』を許容できる程度の精神的余裕はほしいかも。
「岸涯小僧」。 語り手である沼上蓮次と多々良先生のなれそめ、その他周囲の人々との出会いが描かれる。なんともかんともドタバタで笑ってよいやら怒ってよいやら。しかし、石燕ってただの妖怪絵じゃないんだな、というかこういう解釈にほんとうになるの?と眉に唾をつけてしまう。ネタにあがっている資料を読み解くほどの力はないし、うーむ。
「泥田坊」。なんというか、この話とても無理がないか?面白いのだけれど、やはり妖怪好きというのは世間とずれてしまうのかなあなど多々良先生にほぼ感情移入してしまって感慨も一入。あと、結末部を読んで、これはやっぱり『どすこい(仮)』と同じくワンパターンに落とすつもりだと思ってニヤニヤ。
「手の目」。これはけっこうわかりやすい話だったように思う。などと書いて思っているのがぼくだけだったらどうしよう?でもドタバタものとしてはこれがいちばん面白かったけど……。あとお気に入りの富美ちゃんの出番が多いのもマル。
「古庫裏婆」。前三編はプロローグとうことなのかなあ。満を持しての京極堂登場だし、これは少なくてもおちゃらけてはいないものね。どちらかというと、でも<多々良先生行状記>という範囲から逸脱している独立した作品として読んだほうがよいのかな。ああ、なるほど、これだけが書き下ろし作品なのだね。ここから本編に戻る、なのかな?だといいのだが……。

『逆説の日本史9 戦国野望編』 (井沢元彦) 感想

事象だけを見るのではなく、なぜそうなったのか、だれがそうしたのかを考える。いわゆるホワイダニットやフーダニットはミステリでは常識すぎる常識でしょう。しかし、こと歴史に関しては無味乾燥な年号暗記に終始するのはどうしてでしょうね?受験勉強の悪影響でしょうか?鉄砲伝来-ポルトガル人-種子島、ついでに1543年は年号暗記の定番中の定番で<以後予算増える>。さて、これ以上のことは、ほんとうに知る必要のないことなのかどうか?それはこの本を読めばわかります。
なぜポルトガル人が種子島に?1543年だったのはどうして?こういう視点もありえることは初めて知りました。もちろん井沢氏の新説も満載ではあるのですがね。このシリーズを読み始めたとき、ぼくは歴史が下るにつれて書くことが減ってくるか、それこそ奇説の類に偏っていくのではなどとも思っていたのですが、もちろんそんな心配などは無用だったわけです。この鉄砲伝来の真実を含む第二章「海と和寇の歴史編」はもちろん、井沢作品で信長を扱ったものを読まれたことがないなら第五章「織田信長の野望編」も必読でしょう。

『堪忍箱』 (宮部みゆき) 感想

なんとも言えない人生の苦さ、それは誰かに説明しようとしても説明できるものなどではないのでしょう。あえて、それをしようというのならば、そう、このような物語にするしかありません。
「堪忍箱」表題作であるこの作品、<がまん石>というものを思い出しました。さて、どこで読んだ話だったでしょう?嫁入りする時には、人には言えない何かを封じ込めるために、自分だけのがまん石というものを持参するとか。あるいは、<王様の耳はロバの耳>も近似の物語かもしれません。近江屋が<堪忍箱>に封じようとしていたのは、いったい何だったのでしょう?
「お墓の下まで」これも、言えないことがある、という意味では表題作に通じるところがありますね。言いたくないこと、言えないこと、言わずにすませたいこと、この作品を読むと生きていくのって難しいな、とも思いますし、また難しくてもいいかな、とも思います。少なくても、後悔を後悔のままにしておかないことを、救いだと感じてもよいのではないでしょうか?
「砂村新田」末尾を飾るこの一編もやはり、言えないこと、が主題なのでしょう。この物語の母親の胸に去来するのは、どのような思いなのでしょうか?過去の思いを娘にを物語ったとしても、現在の思いには直接はふれない。そして、ふれないからこそ、それは娘に重く伝わるのでしょう。過去を変えることはできなくても、これからの未来を守っていくことはできると信じることのできると思います。

『ザリガニマン』 (北野勇作) 感想

『かめくん』の姉妹編だが、雰囲気はずいぶんと違う。話題になった『かめくん』しか読んだことのない読者がふれると、けっこうとまどうのじゃないだろうか?明らかに『仮面ライダー』を意識したカヴァー絵は、30年ほど昔に駄菓子屋で夢中になった<5円引きあてもの怪人カード>のようだし、正統派(?)怪人ものといったところなのだろうか?うーむ、違うか。そうでなければ、「月刊アフタヌーン」で連載してる北道正幸の『ぽちょむきん』に類似といったほうがわかりよいとか。え?ぜんぜんちがうって?それは失礼。さてさて、困ったぞ。物語の目的がどこにあるのか、読了後も今も皆目検討がつかないんだけど、<木星戦争>シリーズのこれはプロローグ的な役割を果たす物語で、このあとどんどんこの手の話が量産されるのだとすると、それはそれで面白いかも。ただ、一般受けはしないだろうね、これ。マニアックな方向に走り出すのがちょっと早すぎたのではない?というところが気になるところ。もう少し読者数つかまえてから、マニアな世界は小出しにするとかでもよかったんじゃ。ぼくとしては、こういうの好きなんだけど、好きだよー、と声を合わせてくれる方ってどのくらいいらっしゃるのか不安が残るのだよね。ちなみに、現時点でいちばん気に入っている北野作品は、『異形コレクション・月の物語』に入っている「シズカの海」です。

『ストレンジ・ランデブー』 (平井和正) 感想

おどろいた。いまさら平井氏の短編が読めるなどとはゆめにも思っていなかった。しかもSFではない。どうやら習作をもとにしたものらしいのだが、作者の言によると<青春前期の恋心と初心を取り戻したからこそ書けた>とのこと。なるほどと思う。表題作の主人公のひどく稚拙ないちずさや少女のぎこちなく屈折した愛情表現、それは記憶の奥底にある何かを刺激されるような苦々しい甘さだ。「鏡の中の少女」は一読これはウルフガイの先駆作品だと感じることができるだろう。あの人物この人物すべて思い出の中の見知った顔にほど近い。そして「待っている」、題名がこれということはチャンドラーを意識してのことだろうか?じつは不勉強なことながらチャンドラーの「待っている」は未読なので何がどう影響しているのかはわかりかねる。しかし、ひどくせつなく、甘く、そしてつらい作品だと思う。ほんの50ページに流れる時間の重さははかりしることができない(2001.11.24)

『かりそめエマノン』 (梶尾真治) 感想

エマノン・シリーズ初の長編。以前からうわさだけはあった長編とはどうやら別のものであるらしいことが作者のあとがきよりわかります。ということは、少なくてもあと1冊エマノンの長編を読むことができるわけで、よろこばしい限り。
さて、地球生命発生以来のすべての種の記憶をうけつぐ特異記憶能力者エマノン、その存在は女性に限られ、一世代にひとりのみ、新しいエマノンが生まれると先代エマノンはぬけがらになるというのはシリーズ読者なればすでに承知のこと。しかし、今回は異例ともいえる事態が……なんとエマノンに双子の兄が登場し、主な物語は彼の視点ですすんでいくのです。エマノン自身にも理解できないその存在の意味とは?
人間はだれでも一度は自分の生まれてきた意味のようなものを真剣に考えると思いますが、たぶんそれは一過性のものではないでしょうか?そのような問いを絶えず自らに向かって発しつづけることは、哲学者くらいにしかできないのでは?しかし、エマノンの兄、常人とはちがう特殊な能力、などという立場にたったらどうでしょう。彼にとってこれは報いある人生といえたのでしょうか。彼自身の思いをべつに、それでは自分の人生はどうなんだろう、などと久しぶりに考えてしまいました・・・・・・。
そういえば、時間的にいって、肉体的に双子の兄を持つエマノンは1作目「おもいでエマノン」のエマノンと同一人物ですかね?ということは作中で三沢容子が乗り合わせたフェリーっていうのは……。(2001.11.24)

『江戸の暗黒街』 (池波正太郎) 感想

『仕掛人・藤枝梅安』に先行する江戸の闇の住人たちを描いた短編集。この中ではまだ仕掛人という語は見えないものの、羽沢の嘉兵衛などなじみの名前もちらほら。殺しを見られてはならぬ掟を見た側より描く「おみよは見た」、香具師の元締めの跡目あらそいをテーマにしためずらしい作品「女毒」、そして対をなすように男という魔に魅入られた女を描く「男の毒」など。梅安のような善悪一如となった不可思議な深みはないけれど、わりと楽しむことができました。(2001.11.24)

『異邦人』 (西澤保彦) 感想

23年前に殺された父、その犯人は不明。しかも犯行現場は海浜にもかかわらず、足跡が残されていなかった。犯行日目前になぜかタイムスリップしてしまった主人公は、父を助けることができるか?
この謎解きがミステリファンにはどう評価されるのか興味深いところ。SF読みとして言わせてもらえるのならば、かなり物足りない感じ。雰囲気はいい物語なんだけど、そのあたりどうなんだろ?パラドクスの処理もロマンティックにすぎるのではないだろうかな?いや、ロマンティックにするために、わざわざロジカルな組み立てを押さえ気味にしているのかな?うーむ。
主人公と姉の関わり、あるいは姉とその恋人の少女との関わりというほうに視点を移して読めばかなり楽しめるのだけれどな。少女は姉と同性であるがゆえに何も生み出さない。主人公との間では<時>が邪魔をしてやはりそう。しかしながら、少女こそが時の女神であろうことは確実だと思う。何かを育むのが時の役割であるのならば、主人公を過去に呼んだのは、主人公の姉との愛を成就できなかった少女の思いなのではないだろうか?(2001.11.24)

『グイン・サーガ81 魔界の刻印』 (栗本薫) 感想

イシュトヴァーン率いるゴーラ軍と龍頭兵の衝突、グインとパロ王レムスの再会?ヤンダル・ゾックの思惑でレムスが操られているのかどうかがある程度判明するが、これはこれで奇妙ななりゆきか?<パロ中興の祖>としてのレムスの位置付けがこの後どのように変化していくのか興味深い。さて、この展開だとアルド・ナリスはグインに会うことができるんでしょうかね?(2001.11.24)

『夏の夜会』 (西澤保彦) 感想

感想を書いている今、読了より2か月近くが過ぎ去っている。この感想の出だしに一度は「偶然の機会を捉えて小学校の同窓会に集まった人々が」書いたのだが、確認してみるとそうではなかった。主人公たちが集まったのは結婚披露宴なのだ。そのあとのなりゆきが同窓会的だったので、最初から同窓会であったように記憶されていたらしい。これも、作者言うところの「錯誤」なのだろう。
読みながら、いくら三十年前のこととはいえ、人ひとり死んでいる事件についての登場人物たちの記憶がここまで食い違いはしないだろうと思っていたのだが、そうでもないのかもしれない。人はおぼえておきたいことはおぼえているものだが、そうでないことのほうは……。
登場人物たちの記憶を追いかけるたびに二転三転する事件の真相や、これほどの事件をなかなか思い出せないということも怖いのだが、鍵をにぎる女教師がいつまでたっても登場しないことがなんとも居心地悪くそして怖い。この事件、ある意味では記憶の中にのみ存在するものだから、あえてそうしたのだろうが……。
忘れたい記憶などというのは、きっと亡霊のようなものにちがいない。それは記憶の背後に色褪せた翳りのようにひっそりとたたずんでいるのだ。ぼくの記憶は果たして正しいであろうか?今、ぼくは古いアルバムをめくってみる勇気を持てずにいる。(2001.11.24)

『源内万華鏡』 (清水義範) 感想

エレキテルで有名な江戸時代の奇人、平賀源内の一代記。SF作品ではおなじみの歴史上の人物なのだが、そういえばきちんとした伝記を読んだことはなかった。源内の登場するSF作品なら、それこそ数々知っているというのに……。杉田玄白は、源内の墓碑銘に「非常の人」とのコメントを残しているそうだけど、うーむ、これは何とも変わった生涯だよね。エレキテルで有名なのだから蘭学にも明るかったのだろうと勝手に思いこんでいたんだけど、オランダ語はほとんど読めなかったとかいうのも何だか不可思議。よく言えば直感的な職人発明家、悪くいえば思いつきの人だな。しかし、思いつきでここまでいくのだから、それはそれですごいのか。(2001.11.24)

『ささら さや』 (加納朋子) 感想

突然の交通事故で夫を失ったサヤ。夫の家族にひとり息子をとりあげれそうになったことから佐々良という町にっ越して身を隠すことにするが、そこに起こる不可思議な事件の数々。
じつは亡くなった夫が他人の体を一時的に借りて助けに来てくれるという設定なんだけれどね……。こういうゴースト物語ってのは、だいたい定型がきまっていて、生き残った側に問題があって、死者はその解決に力を貸すというもの。これ、じつは生者の問題じゃなくて、死者が思い残すことなくあの世とやらに旅立てるようにするための何者かの配慮だったりすのかもしれない。まあ、この物語の場合は、夫の家族の夫への過剰な愛情とそれに発する跡取問題のようなものってことで、一般的な意味では大事件には発展しないのだろうけど、母親にとってはこれ以上にはないという大事件だよね。でもってこのサヤという女性の性格的弱さがどうもね。
まあ、佐々良で知り合うことになるいい味出している三人のおばあさんはじめ、人間は捨てたもんじゃないやね。生者のことは生者たちに任せてよし、と死者たる夫が判断できたときに、だから、物語は大団円を迎えるのであろうね。<あと五、六十年も経って君がよぼよぼのおばあちゃんになったら。そしたら、また会おう>いや、これはなかなか、すばらしい台詞。幽霊になったとしても、なかなかこうは言えませんって。(2001.10.21)

『室の梅 おろく医者覚え帖』 (宇江佐真理) 感想

おろく-死体のことだとは知っていたけれど、なるほど<南無阿弥陀仏>が六文字だからこういうのですね。これは、おろく医者、すなわち検死医である美馬正哲の活躍を描く連作短編ということになります。
正哲が活躍したとされる江戸のこの時代、もちろん正確な検死がされたわけではないでしょうし、それが医者の仕事のひとつとしてあったという記録ももちろんないのでしょう。しかし、そういう科学捜査を時代物に持ちこむというのは、なかなかすばらしいアイデアだと思います。また、医者としての正哲を特徴づけるために麻酔で有名な華岡青洲を登場させたり、小道具として杉田玄白の『蘭学事始』『解体新書』を登場させるなど、なるほど、これなら正哲のような人間がいた場合は検死だってされていたかもしれぬと妙に納得するところでもありました。(2001.10.21)

『二度目の破滅』 (ロバート・B・パーカー) 感想

『家族の名誉』に続くサニー・ランドル・シリーズ第2弾。自分の生き方を自ら決めることができる女性。それがサニー・ランドルなのだでしょう。さて、こういう言い方をすると、サニーがいかにも男性と張り合うタイプの女性のように聞こえるかもしれないのだけれど、どうもそうではないらしい。探偵業をやるにあたり、他者の助力が必要な場合にはためらわずにそれを要請しています。
自身を貫くのと男性に頼らないのはぜんぜん別のことなんだよ、ということをその行動が証明しているのではないでしょうか?元夫リッチーとのなかなかに複雑な人間関係もまたそのひとつと言えるでしょう。
事件と並行して描かれる姉の夫の浮気問題がよい対比になっています。こちらは人間としての独立性を持たないというのがどういうことなのかという悪例の代表的なものになっています。
そう、あとはこれで、サニーが、人間として立派であることと善悪は別のことであるということをスペンサーのように受け容れられればよいのですが……。まあ、そうなってしまうと、リッチーとの間が完全修復されて物語そのものが終わってしまうわけなのでしょうが。これ以降は隔年でシリーズ出版されるようなので、おおいに期待というところです。(2001.10.21)

『六人の超音波科学者 Six Supersonic Scientists』 (森博嗣) 感想

このシリーズにしてはストレートな展開だなと思いながら読み進める。山中に建てられた超音波研究所。なんだかよくわからない六人の科学者。そこに招かれるいつもの面々。唯一の交通路である吊橋の破壊。シチュエーション自体がいらゆる、ありそうなミステリ。いつものシリーズの内容が内容だから、それ自体がなにかのひっかけではないかと思いながら読むわけだけれど、さて結果は……。
ひさしぶりに林刑事が前面に出てくるけれど、ぼくとしてはどうもこの男好きになれない。どうして女性陣(紅子に七夏ね)はこういう男が好みなんだろ?どうにもよくわからんなあ。こっちのほうがミステリ。いや、保呂草のようにベールに包まれているよりストレートでわかりやすいってことか?ってことは保呂草の見かけに騙されている紫子はまだまだお子様なのかね?(2001.10.21)

『花散る頃の殺人 女刑事音道貴子』 (乃南アサ) 感想

『凍える牙』の主人公音道刑事の活躍する短編集。
貴子がストーカー被害に遭う「あなたの匂い」。事件そのものの内容よりも刑事の生活ってこんなふうに日常に気をつかわねばならないのならば大変なものだな、と思いました。ラストには滝沢刑事が顔をみせてます。
表題作「花散る頃の殺人」ビジネスホテルで無理心中したとおぼしき老夫婦の足跡を追ううちに貴子がたどりついた意外な過去。ぼくは貴子のように「そういう人生もある」とは思えませんでした。なんだか悲しい感じの作品。
「茶碗酒」一転して滝沢刑事の視点で描く大晦日の夜の一幕劇。こちらは貴子がラストでちょっと出てきます。
『凍える牙』ほど重いところまで描写が達してはいないのですが、女刑事の日常という感じの描写も随所に見られ、なかなかに感じのよい作品集でした。(2001.10.21)

『人質カノン』 (宮部みゆき) 感想

短編集。コンビニに偶然に居合わせた人々が強盗事件にあうことで浮き彫りにされる現代社会の希薄な人間関係を描く表題作「人質カノン」ちょっとさびしい感じの作品です。
交通事故に見せかけることで殺人を実行しようとする遠大な計画がある特殊な状況下で語られる「十年計画」は表題作とは反対に、こちらは人生捨てたものじゃないよ、という感じだし語り口がなかなかにさっぱりとしていて好きですね。
他に、電車で拾った雑誌にはさまっていた手帳から持ち主をさがす「過去のない手帳」、いじめが原因の事故で片足を失った主人公が祖父の遺書から人生を見つめ直す「八月の雪」など。「八月の雪」「過ぎたこと」「生者の特権」と宮部作品らしく少年たちが重要な役割を果たしています。
どの作品も現代のなんだかさびしくて希薄でちょっと歪んだ人間関係をテーマにしているようです。全体的に暗いトーンの作品が多くて、読んでいて考えさせられることしきり。(2001.10.21)

『眠狂四郎無頼控(ニ)』 (柴田錬三郎) 感想

連作短編集の感想というのはどうにも書きにくいものだな。個々の短編にふれればネタバレしそうだし、かといってまだ完結編まで読んでない段階ではトータルの感想も述べられないしな……。
というか、この物語、狂四郎の性格と同じでどこに流れていくのか皆目見当がつかないというのがほんとうのところ。狂四郎が美保代に対して示す意外な愛情の吐露、主人公に劣らずの狂ったキャラクタ将軍家斉の息女高姫の登場、と息をつかせぬ展開はあいかわらずである。しかし、山場のひとつはやはり狂四郎と切支丹の関わりを示した一編「切支丹坂」であろう。狂四郎の信仰というものに対する思いは、かくも複雑でしかも悲惨なものなのである。彼の流れていく果てにあるものはいったい何なのであろうか?(2001.10.21)

『R.P.G』 (宮部みゆき) 感想

ネット上に構築された擬似家族の「お父さん」が殺される。残された三人の「家族」の関わりを通して見えてくる「家族の絆」。
ネット上の人間関係というのは難しいものがあると思う。現実的に考えれば最初は相手がどのような人物であるのかまったくわからないわけで、?マークつきのつきあいにならざるを得ない。例えば、個人のHPなどは、そうした場合に相手の人となりを判断するにはとてもよい材料となるだろう。というか、掲示板で「お父さんだよ」などと呼びかけられただけで、たとえ仮にではあれそういう関係を構築しようという気分になるには、材料が不足しすぎてはいないか?
そのような関係が成立するのだとすれば、それはネットを侮っているのであろうな。自分がいやだと感じたらすぐにも切断してしまえる、自分本位なシステム。しかし、この物語のように、ヴァーチャルな世界はけっして現実世界と切り離されたものとして存在しているのではないということを、人は皆理解できているのだろうか?人の生活はけっして好きにリセットの効くロール・プレイング・ゲームなんかじゃない。それはネットを介していようがいまいが同じことだ。
登場人物に『模倣犯』の武上刑事と『クロスファイア』の石津刑事が配されていることは、だから作者があとがきに述べている以上の意図があるのかもしれない。どこまでも現実に即し社会的な前者の世界も、後者のいささか空想的世界も、隣り合い重なり合っているのだということを暗示しているのではないのだろうか?深読みのしすぎなのであろうか?
また、作者いうところのルール違反は、確かにミステリとしてはどうかと思うのではあるが、この物語の世界観を上記と同じ理由でとてもよく表していると思うのだ。(2001.09.30)

『銀の雨 堪忍旦那為後勘八郎』 (宇江佐真理) 感想

味わい深い人情捕物帳。下手人に対し寛容な態度で臨む北町定町廻り同心、堪忍旦那こと為後。その娘にして父親似が玉に瑕の小夜。才気煥発ながら若さゆえに人間の幅が広いとはいえない岡部主馬。なかなかに心憎い人物配置でありますね。小夜は若い娘の憧れを主馬にそそぎ、為後は主馬の行動を複雑な思いで見つめる。そして主馬は、為後の<堪忍>を若さゆえの潔癖から許せない……。
小夜の思いの一方通行が、連作短編のあとにいくほど話の主軸となってくる構成が興を深めます。どちらも跡取、しかも片恋。これを作者はどうさばくのかな、と思っていたら、なるほど表題作はそうくるのですか。人生甘いばかりではありませんが、また苦いばかりでもありますまい。しみじみと読んでよし。
しかしながら、これで一巻完結はいかにも惜しいです。魅力的人物配置なので、後日譚なりと読んでみたいものですね。(2001.08.26)

『ドミノ』 (恩田陸) 感想

やっぱりこれってゲーム名称シリーズとか名前をつけないとならんのかな?『puzzle』 『MAZE(めいず)』 『ドミノ』とくると、つぎは『リバーシ』とか(笑)。
いや与太話は置いておいて、これは面白い。恩田陸ってどちらかというと雰囲気で読ませる作家のように思っているのだけれど、こんなスピード感のある話を書くとはね。東京駅の複雑怪奇な雑踏を舞台に<風が吹けば桶屋が儲かる>式に連鎖してゆく人間模様。なるほど、<ドミノ>だね。締日に仕事を間に合わそうとする保険会社の面々、ネットで知り合った俳句仲間と待ち合わせる老人、ミュージカルのオーディションを受ける小学生の女の子、ミステリ連合会、映画監督、そして過激派爆弾魔。ほぼコメディーに近いノンストップさ。月刊誌に連載してたようだけど、そちらで読んだ人はけっこうやきもきしたんじゃなかろうか?この話はやっぱり、一晩で一気読みしてよしだよな。爽快!!(2001.08.26)

『必殺シリーズ完全闇知識 やがて愛の日が編 瞬間の愛編』 (必殺党編) 感想

題名通りの本(笑)。シリーズ・データのおいしいところをピックアップして紹介してあるのだが、マニアにはたまらない内容。執筆には京極夏彦、貫井徳郎も名を連ねている。
また、併録されている座談会の面子がすごい。作家の京極夏彦、脚本家の山田誠二、映画監督の酒井信行だものね。とりわけ、視聴者代表的な京極夏彦のコメントにはいちいち頷くところが多いのだが、己より何歳か年長だとこんなにおいしいTVの見方もできたのかとうらやましくなってしまう部分も多い。もちろん年齢は要素のひとつにすぎないのはよくわかっているんだけどね……。また、座談会に出てくる用語の脚注が秀逸。必殺に限定せぬマニアなコメントはすばらしい。ちなみに「やがて愛の日が」は中村主水の初登場となるシリーズ第2弾『必殺仕置人』のエンディングテーマ。「瞬間の愛」は『必殺渡し人』のエンディングテーマで、作中では鏡研ぎ職人を表稼業にしていた惚太こと中村雅俊の唄です。(2001.08.19)

『沈黙』 (ロバート・B・パーカー) 感想

いつもは追う一方のスペンサーが、一転して追われるというかストーキング被害にあうという立場に立っているところがまずは面白い。そして、その被害から逃れるためにスペンサーが用いた方法も、なんだかいつもの彼らしくないというか彼らしいというか……。
もう一点はホークの過去が語られているというところ。どうすればあのような人物が生まれるのかというのはスペンサーの場合と同様に不思議だったのだが、今回はその謎の一端に触れることができたわけである。
物語的にはあいかわらずいつもの調子。欲を言えば、これまでシリーズに登場した人物たちのその後の消息がそろそろ知りたいといったところか?(2001.08.19)

『上と外 6 みんなの国』 (恩田陸) 感想

最終巻。うーむ、どうも失速したような感じがするのだけれど。ここに描かれている革命政府の発想はなかなかに面白いと思うので、そこのところをもっと突っ込んで書いてほしかったと思うし、『成人式』の必然性についてももう少し得心のいくような説明が欲しかったと思う。振り返ってみれば全体的にバタバタしたような感じは否めないのでは?せっかく1~2巻であれだけ盛り上げたのだから、バランス的にもう少しなんとかならなかったのだろうか?面白い題材だと思うだけになんだか残念な気がした。(2001.08.19)

『グイン・サーガ80 ヤーンの翼』 (栗本薫) 感想

ついに80巻となりました。早くもグインとヴァレリウスが旧交を暖めるという、少々意外な成行き。そこに行きつくのにはもう少し巻数がかかるかと思っていたのですが……。ともあれ、これにてグインの旗幟はほぼ鮮明になったわけです。まあ、このようになるのは必須なわけですが、やはりそうなるとグイン-ナリス会談は実現するのか?ナリスはどのタイミングで死ぬのか?レムスはどうなるのか?パロの政治体制はどのように変化するか?といったところが眼目となるでしょう。ヤンダル・ゾックそのものは、グインの謎をめぐるほんの一部にすぎないのではないか?と思うのですが……。(2001.08.19)

『鬼譚草紙』 (夢枕獏+天野喜孝) 感想

夢枕獏作、天野喜孝画によるエロティックな味わいのある平安絵巻。生々しい挿画多数にして、電車の中で読むにはかなり不適……。
「染殿の后鬼のためじょう乱せらるる物語」収録されている三編のうちでは、これがいちばん好みである。(「じょう」は「女」扁に「堯」)欲望のために鬼となりはてる真済聖人の悲しくも純粋なる恋の物語。ラストシーンの意外な美しさに、人であるということの意味を改めて考えてみるのも興深いものがある。
「紀長谷雄朱雀門にて女を争い鬼と双六をする話」昔語りにはよくある禁じられた約束もの。~するな、と言われると、人間はえてしてそれを破ってしまうもの。しかしながら、約束が成就していたら、この場合、長谷雄はどうなっていたのでしょうか?人たる身では入手しないほうがよいものもあるのかもしれない。
「篁物語」小野篁にまつわる奇妙な恋の物語。篁と高藤卿の関係は晴明と博雅のそれを彷彿とさせる。冥界に居を移した恋人を取り戻しに行く話は古今東西あまたあるものですが、さて篁の場合は如何?(2001.08.19)

『スカイ・クロラ』 (森博嗣) 感想

地上から切り離された飛行士たちは、すでに人間ではないのかもしれない。人の世界から飛び立つことで、真実の世界への帰還を果たそうとでもしているのか?
飛行士たちの物語が多く孤独の色で染められているように、ここに語られるのもまたそうである。謎のように始まり、謎のように終わる物語。無意味という意味を探す物語。さて、この己がいったい誰なのかということは、さほど大事なことなのだろうか?そして、どのように生きているかということに意味はあるのだろうか?(2001.08.19)

『華胥の幽夢』 (小野不由美) 感想

『十二国記』の短編集。掲載紙が明記されているもの以外は、どうやら同人誌等に発表したもののようである。
「冬栄」王という存在の有り様も種々様々であるなと思う。泰麒はやはり実年齢よりも幼いのではないだろうか?人であれ、王であれ、また麒麟であれ、こうでなくてはならないというものではないだろう。泰麒の生はまだ始まったばかりだ。
「乗月」規則は破るためにある。規則とは常時の混乱を防ぐ目的でのみ機能しているものであり、非常時にはその規範を超えた部分でこそ最善を尽くさねばならない、というのが個人的な考えである。そういう僕のような人間には『十二国記』の規則優先の世界は逆に苛烈であるように思えてしまう。
「書簡」集団の中にあって、集団の基本属性と己が異なっていることを自覚しているのは辛いものだ。前向きになるというけれど、そんなに簡単なものではないだろう。己を枉げることなく、己で在りつづけることに、時に疲れをおぼえることはないか?そのような中で真に大切なものは何であるか?心に染みる一編。
「華胥」人は信じたいものだけを信じる傾向にあるようだ。例えそれがつかの間の夢のようなものであっても。その中から自分を切り離すことは、しばしば辛い選択とならざるを得ない。甘い夢から抜け出せる人間のみが明日に向かうことができるのか?
「帰山」永遠の時を過ごすには何が必要なのだろう?それには、いつも変わらぬ何かが必要であると、あまたの文学作品にも語られているのではなかったか?この編に見出された不易は、そういう意味では心温まるものである。(2001.08.19)

『眠りの森』 (東野圭吾) 感想

バレエ団を舞台に起こる事件の数々。主人公の刑事である加賀恭一郎の動きが多分に感情的なのが、読んでいてとても気になる。先行作品を読んでいないのだが、この加賀という刑事は『卒業』という作品に登場しているらしい。彼の行動のバックボーンも、もしかするとそちらでは詳細に語られているのだろうか?東京駅で新幹線に乗車する直前にキヨスクで購入したので、そのあたり、ぜんぜん検討しなかったのだ。読み方を失敗したかもしれない。物語はテンポよく進み、ラストシーンもなかなかよい。映像化すると面白いかもしれないな、と思った。(2001.08.18)

『夏の滴』 (桐生祐狩) 感想

リリシズムとグロテスクの共存。真にすぐれたホラーには、まれにこの一見ありえないような現象を実現してしまうものがある。主人公たちは小学4年生、十歳前後である。学校という閉鎖空間の中において、低学年の初々しさもすでになく、かといって高学年の児童たちの持つある種のゆとりもない。妙にデフォルメされた社会、それもグロテスクの部分を強調された社会がそこにはある。人間の生の残酷さと大人から得た小ずるい計算がともに表面化している稀な一時期とも言えるかもしれない。
『植物占い』のしかけそのものにはかなり無理を感じるけれど、それを補って余りある雰囲気がこの物語にはあると思う。<僕たちはまったくわかり合っていなかったんだね>というのがラストの1行。グロテスクさの集約された1行であると思う。わかり合う、などということが簡単に実現できるはずもない。わかり合えないのではないか?という恐れそのものの上にこそ、わかり合おうという努力は成立するのだから。(2001.08.18)

『上と外 5 楔が抜ける時』 (恩田陸) 感想

発売延期になった上に完結しない・・・・・・。もしかして計画的に読者をやきもきさせたのかと勘ぐったのはぼくだけでしょうか?巻頭言で著者自身がそのことを謝罪してたりもして興味深い。
賢と千鶴子によるヘリコプタでの捜索と錬たちの「成人式」が並行して描かれる。この「成人式」がいまいちピンとこないところがどうも……。G国クーデターの詳細も徐々に明らかになっていくが、こちらもどうも得心がいかない。ここにして、すべてがミスリードかもしれないとまで思ってしまう。次巻でどう落ち着けるのだろう?(2001.08.15)

『夜のフロスト』 (R・D・ウィングフィールド) 感想

シリーズ第3弾。さて、このわりと分厚い物語、時間にしてわずか丸5日間であることに読了してからまずは驚く。プロローグが日曜。月曜の早番~金曜の夜勤までだものね。いったい、フロストはいつ寝ているのか?思わず、そういうシーンを探してしまいましたよ。しかし、ほんとうによく働く……。こんなによく働くのに、下品なジョーク、命令不服従、書類仕事は後回し、のため上司である署長のおぼえは極めて悪い。それでも、孤軍奮闘彼ががんばるのには、どういう理由があるのでしょうね?それが警察官というものだから、では済まされないような気がするのですが、やはり本能としか言いようがないのでしょうか?本能といえば、フロスト警部が例によって複数並行でおこる事件を解決するために使うのは、まさにその本能だけ。常人にはなしえない業です。フロストのペースに巻きこまれた新任部長刑事ギルモアが徐々に変調をきたしていくのは、むしろあたりまえかと思います。いや、しかしながら、フロストとギルモアを並べてみてふと思うのは、ほんとうのプロっていうのは、やはりフロストのような人間を言うんじゃないかということなんですよ。たとえ、まったく常人に理解できなくてもね……。(2001.08.14)

『グイン・サーガ79 ルアーの角笛』 (栗本薫) 感想

軍事大国ケイロニアついに動く。グイン指揮のもと、中原の平和のために立ちあがる二万五千。さて、グインの意図はいずこに?
これから何巻かの間のぼくの興味は、アルド・ナリスとグインの会見は果たして実現するのかどうか、というところ。物語の展開としては、ないと読むほうが妥当のような気がする。あるいは、今度こそ、真実にナリスの臨終の床にほんの何刻かだけ実現するのだろうかな?世界の謎という謎に”実際に”触れてみたいというのがナリスの望みなのだけれど、それは、やはり学究の徒の見果てぬ夢でしかないのだろうかな?もし、そうであるのならば、このナリスという男、類い稀なる不運をやはり担って生まれたとしか言いようがないか?あることを知らぬのであればそれもまた幸せであろうに、あることのみを知らされ、永遠にそれを自分のものにできないとは……。(2001.08.14)

『眠狂四郎無頼控(一)』 (柴田錬三郎) 感想

円月殺法で有名な眠狂四郎シリーズの第一巻。柴田錬三郎氏の代表作であることは説明無用であろう。この物語も、他の時代物と同じく、テレビなどの別媒体で頻々と目にしてはいたのだが、未読であった。何度か今まで手にとってはいたのだが、目の前に俳優の田村正和氏の姿がちらついていけない……。いや、彼の演じる狂四郎は大好きなのであるが、そうであるだけにイメージを固定して読んでしまうだろうな、とおそれていたのである。
最近、<週刊コミック・バンチ>で始まった柳川喜弘氏のコミック化を目にしてようやく呪縛から逃れたというか、どうも記憶している物語との異なりが気になって、ようやく原作に目を通す気になったようなわけである。
第一巻にして早くもその不幸な出自と特異な立場が語られ、物語は急速に核心に向かって展開していく。そして、息もつかせぬスピーディさは連作短編形式や文体も手伝って、頁を追うごとに拍車がかかっていく。狂四郎の背負う業や孤独とは裏腹に、読後に一種の爽快感があるのはどうしてなのだろうな?(2001.08.14)

2009/03/14

『臨機応答・変問自在』 (森博嗣) 感想

大学での講義中になされたQ&Aのうち一般に読んでも面白いであろうというものを集めたという。うーむ、このような講義だと頭に入りますか、学生諸氏?まあ、頭に入るとか身につくとかいう以外の部分が学生には大事なのだろうな、ということも行間からひしひしと伝わってまいりますが(笑)。また、まえがきを読んだだけでもこのQ&Aなるものの主旨と森氏の性格の一端がうかがわれてたいへん参考になります。まあ、自分で考えろと正面切って言われても人間なかなかそうはしないですからね。やりかたとしてはとても正しいのでしょう。
個人的には、質問を受けるといちばん困るのは曖昧なものです。<どうしてそうなるの?>とかね。そうなる理由には複雑な要因が様々に絡まりあっているわけで、その全部を緻密に述べるとまた嫌がられるという(笑)。<そうじゃなくて、自分はこう答えてもらいたいんだ>とか相手の目が言っているともっと困る(笑)。答などというのは、たぶん、かなり限定された条件下でしか他者の役には立たないし、その限定条件たるや、きっと巡っては来ないものなんですから。(2001.06.24)

『続巷説百物語』 (京極夏彦) 感想

『巷説百物語』の続編。小股潜りの又市の一味と山岡百介との関わりを描く連作短編集。「野鉄砲」「狐者異」「飛縁魔」「船幽霊」とあいかわらず妖魅の者どもの名を冠した題名がならんでいるが、前巻と少々趣を異にしているのは、その一編一編が登場人物たちの過去の経緯を語っているということであろう。そしてその過去の因縁、ひいては闇の稼業に身を投じたその理由の故に、事態は闇の大物との対決という按配に傾いていく。うーむ、やはりこれは正統派必殺シリーズの物語はこびと酷似しているじゃありませんか。たまりませんね。クライマックス「死神」を経て、エピローグとも言える「老人火」まで百介の心の動きを追うと面白いものがあります。闇の世界に添うべきやいなや?
ちなみに、本作カバーの裏側は「英名二十八衆句」、いやこれらのほうがよほど妖怪のようでございますが……。書店でカバー裏のみ見てみるのも一興でしょう。(2001.06.24)

『テイル館の謎』 (ドロシー・ギルマン) 感想

事故の後遺症によって人生の階段から転げ落ちそうになっている主人公。変わり者で有名だった叔母の遺産である洋館を父の命令で整理のために訪れてみると、そこには不法在住者が……。彼らと触れ合ううちにやがて主人公は……。孤独なひとりの青年がいやされていく過程を綴った物語というと陳腐に聞こえてしまうのだろうかな?もしそうだとしたら申し訳ない。でも、その通りで、しかも安心して読める物語です。なんだか古い古い洋画の中にでも迷い込んだような気分で読了。疲れているときにはおすすめかも。(2001.06.24)

『恋恋蓮歩の演習 A Sea of Deceits』 (森博嗣) 感想

承前といったところか。前作『魔剣天翔』に続き関根朔太がらみの事件。航海中の船の中という、前回とは対照的なような類似しているような舞台でおきる消失トリック。うーむ。ごめん、例によってミステリとしてどうかと問われるとよくわからんです。しかし、保呂草は、やはりかなり危険な男なのだよね。紫子さんが可哀想なり(笑)。彼の行動原理はここまで読んでもなんだかさっぱり不明。<人の心とは、少なからずセンチメンタリズムで起動する>か。義賊というのとはちょっと違うような気がするしねえ。登場人物のひとりと同じ問いを発してみたくなりますね。<それ、本当のお名前なの?>とか。
あと、これも例によってだけど、題名の意味がよくわからんなあ。今回は日本語の題名がどうもね。英題のほうは<偽りの海>かな?偽りは複数形……。作者にしては素直な……とぼくが思うということは、きっと裏の意味があるのね(笑)。(2001.06.24)

『片想い』 (東野圭吾) 感想

性同一性障害というのは、ある意味とても今日的なテーマなのだろうか?この物語がそれをメインテーマにしているようには、ぼくには思えないのだが……。このテーマについての言及が浅いというような感じの書評をいくつか見受けたのだが、たぶん、作者がもっとも言いたいことはそこにはないのだろう。人生のある時期において、あるいはそのあらゆる時期において、人の思いはさまざまな理由によって他者に伝わらないものである、ということを言いたいはずである。そう、片想いですね。想いが伝わらない理由は、それこそ様々で、それこそ他者の想像の埒外にあるようなものもある。その一例としてのみの性同一性障害……。伝わらず、擦れ違ったままで重ねられた想いは、いつしか奇妙な人間関係を生んでいく。さて、素直になれなかったあの頃を思い出しながらミステリを追うのも一興というところでしょうか。 (2001.06.24)

『見知らぬ妻へ』 (浅田次郎) 感想

泣ける短編集。あいかわらず、電車の中では読むのに困るというか……。
「踊子」まるで、何年も見返していないアルバムの1ページを記憶の中に探すような感じ。どうなのだろう?子供の頃のアルバムならまだしも、十代のあたりのものだとぼくは気恥ずかしくて見直すことができないのだが……。これ、そんな感じがしませんか?
「スターダスト・レビュー」何か思い切れないものを思い切るとき、ここまでしなければならないのでしょうか?最後の<ジャ、ジャ、ジャ、ジャーン>は切なすぎる。
「かくれんぼ」すいません、嘘言いました。子供の頃のアルバムにもまともに見れない部分がありますね。なんだか粛然としてしまいました。
「見知らぬ妻へ」『鉄道員(ぽっぽや)』のなかに「ラブ・レター」という作品があったが、あれに通じますね。「ラブ・レター」は現実に起こったことに取材したとか。どちらも好きな作品です。(2001.05.13)

『心とろかすような マサの事件簿』 (宮部みゆき) 感想

デビュー長編『パーフェクト・ブルー』の続編ということになるのかな。ええとね、どうも動物の視点で書かれた物語って苦手なんですよ。とくにこういうふうに動物に人間なみの人格?を与えてあるやつ。なんだか、いろんなところでひっかかってしまうのだよねえ。
だから単行本を買うのは珍しく見送ったのであったが……。そこのところの個人的好みを抜かせば、この連作短編かなり面白いです。表題作では『模倣犯』読了直後だったこともあってちょっと考え込んでしまったし、「マサ、留守番する」には、なるほどこれは動物たちに語らせるべきだと思いつつ、ちょっと苦い気分にもさせられました。そしてもちろん、「マサの弁明」にはちょいとニヤニヤですね。(2001.05.13)

『黄昏の岸 暁の天』 (小野不由美) 感想

5年ぶりの新刊だそうです。これ以降講談社文庫で先行発売、ホワイトハート版がその次にという順序で出るそうです。なるほど、と思う一方、これでは出版社も販売計画を立てにくいのではないかと……。ぼくなどは読めさえすれば体裁にはかまわないほうなので、先に出るほうで買うわけですが。
さて、物語は泰麒がふたたび失われた理由と、彼が探し出されるまでを描くということで、シリーズ中空白になっていた、読者がいちばん気になっていた部分ですね。『風の海 迷宮の岸』『魔性の子』の間の物語というわけです。ぼくとしては、このあと理想主義的な陽子の政策と、現実主義の泰国の国策とがどのような対立を見せるのかが気になるところです。今度はあまり待たされずにすみそうですし、期待しましょう。(2001.05.13)

『模倣犯』 (宮部みゆき) 感想

長い長い物語である。ある朝、公園のゴミ箱から見つけられた女性の腕。それをきっかけに、被害者の家族、発見者、犯人、彼らそれぞれの周辺の人々、そしてマスコミと警察、あらゆる視点から特異な犯人像への接近が試みられる。
読了してまず思ったことは、なぜこの長大な物語の題名が『模倣犯』なのかということだ。最後に至ってそれはあたかも作中で説明されたかのようにもみえるのだが……。これはそういう意味の題名なのだろうか?いや、そこには作者のもっと深い意図が秘められているにちがいない。この物語は、ある意味現実に起こりえるかもしれない-いや、それこそ最近あちこちで耳にする-事件の、それこそ<模倣>なのだろう。つまり個性の時代とやらの生んだ歪んだ何者かたちを分析してみようという……。オリジナルであることは、他の誰かと違っていることは、ほんとうにそれほどに重要なことなのだろうか、これを読んでいるあなたにこう問いかけてみてよいだろうか?あるいはその逆に、他の皆と同じにすることがそれほどに重要なことか、とこう書けばぼくよりも年下の<若者>にも理解してもらえるか?ぼくにはそのどちらの質問だって同じように思えるのだが……。
この長大な物語を読み終えて、犯人の気持ちが、あるいは被害者の家族の気持ちが、なんだか身にしみるように判るような気分になるのが、とても危険なことのように、ぼくには思える。微に入り細を穿って事件のバックボーンを説明されたからといって、ぼくはこの物語の側に立つことができるのだろうか?現実の事件に対してそうであるように、傍観者であることを自覚できるだけではないのだろうか?
さて、そして最後にやはり問いたい。この物語に象徴されるぼくたちの現実の世界は、いったいどこに向かおうとしているのだろうか?(2001.05.13)




『喜知次』 (乙川優三郎) 感想

武家の嫡男小太郎は、幼馴染の父親が殺されたことをきっかけに、少年ながら自らの進む道と藩政について考えはじめる。そして、小太郎の義妹で<喜知次>とあだなをつけられた花哉は、いつかそのかたわらで美しく成長していくが……。
小太郎の半生を描いた印象深い物語。少年たちの友情が、幼い恋が、やがてその成長に従って刻々と変化していく様子がすばらしい。時を重ねることは、何かを失い何かを得るということと同義であろうか?少年の日を回顧した小太郎の胸に去来するものは何であるのか?物語の終盤、ひどく泣きたいような気分になってしまったが、これはまだまだぼくが若輩である証拠であろうか?この物語の感想については、ぜひ、物語終盤の小太郎と同年代の方々にうかがってみたいものである。(2001/04/15)

『セブン・セブン・セブン』 (ひし美ゆり子) 感想

「ウルトラセブン」でアンヌ隊員を演じたひし美ゆり子さんのエッセイ集。セブンにまつわるエピソードが満載されていて面白いです。例えば、仮にもダンが死亡するという衝撃的エピソードがある第11話「魔の山へ飛べ」にアンヌが登場しないのはなぜか?なんていう長年の疑問も氷解いたしました。まあ、撮影裏話的なものが多いですから、セブンに思い入れがある方にはすすめていいのやら悪いのやら(笑)。
「セブン」がダンとアンヌの恋の物語であるという裏設定?は最初からあったのでしょうね。そう思って作品を見ると、最終話はやはり衝撃的です。また、「ウルトラマンレオ」や平成に入ってから作られた「ウルトラセブン太陽エネルギー作戦」にふたりの再会シーンが盛り込まれているのにも感慨深いものがあります。
DVDを購入しはじめたことだし、個々の作品レビューを書いてみるのも面白いかもしれないと、このエッセイ集を読みながら改めて思った次第です。(2001.04.15)

『グイン・サーガ78 ルノリアの奇跡』 (栗本薫) 感想

題名がすべてを語っておりますね(笑)。グイン・サーガは予定調和的なところを楽しめるかどうかで賛否が分かれるのでしょうか?やっぱりね、と思うけれど不思議に腹は立たないものです。むしろ、これ以外の展開になっていたら、作者に何が起こったのかと心配しなければいけません(笑)。(2001.04.15)

『掌の中の小鳥』 (加納朋子) 感想

連作短編集。洒脱な印象。
「掌の中の小鳥」前半のエピソードが苦い分、後半の救いが強調される感じ。苦い経験のゆえに人は他者に対して甘くなれるのか?しかし、真実の呈示がこの物語のようにいつもプラスに働くとは限らない。むろん、前半はそのことを示しているのであろう。真実というのはたいていの場合、苦く耐えがたいものだ。
「桜月夜」無邪気さと残酷さは紙一重である。受けとめるだけの度量が必要であろう。やはり、推理ゲームは好きではない。
「エッグ・スタンド」この連作の舞台となっているカクテル・バーの店名。<男の賢さと女の賢さって、守備範囲が全然違うのよね><いちばん大切なものは、理屈や理論じゃわからないんだから>ある意味、この台詞は主人公を否定していますが、限りなく真実に近いと思います。しかし、その真実の苦さのゆえに手に入る大事なものもあるということですね。(2001.04.15)

『永遠に去りぬ』 (ロバート・ゴダード) 感想

ゴダードらしい重厚な作品。ある夏の日暮れ、ささいな偶然からほんの一言だけ言葉を交わした男女。何事もなければ、そのまま忘れ去られてしまうはずの小さな出来事は、しかしながら続けて起こった凶事のために、重要な意味を持つようになります。
このささいな偶然の出逢いに共感できるかどうかがこの物語に対する評価を二分するかもしれません。なぜなら、これほどに登場人物たちの運命を翻弄するきっかけとしては、いかにも弱い感じがするからです。しかしながら、あなたが、人生の皮肉と運命の不可思議にほんの少しでも理解を持つ方であるなら、きっと末尾に語られる主人公のこの言葉に同意できるにちがいありません。<ふたりの人間が、たまさか、見知らぬ旅人同士ではなくなることがある。そうなったら、もうあと戻りはできない>(2001.04.15)

『さすらいエマノン』 (梶尾真治) 感想

エマノンの印象がいちばん強いのは、やはり最初の連作集『おもいでエマノン』に収録された同題の表題作である。この作品集を読了してもその思いに変化はなかった。<それはどちらも刹那だったのだ>の一言に締めくくられる何とも苦くそして甘い物語。あれがエマノンのすべてなのだと言ってしまうと、作者に失礼にあたるのだろうか?
また、エマノンの物語では、彼女が前面に出すぎないほうが、ぼくの好みなのである。エマノン自身の冒険譚であるよりは、彼女とかかわった周囲の人々の物語であるほうが、なぜかより興味深い。極端な例ではエマノン自身は回想のなかにしか登場しない第1集の「ゆきずりアムネジア」、あれはすばらしい。いずれにせよ、人がエマノンに出会うことは、自分の来し方行く末に思いを馳せるよい機会となるはずである。(2001.04.15)

『黒祠の島』 (小野不由美) 感想

うーん、孤島ものなんだけどね。帯で『獄門島』『十角館の殺人』そして……とやるのはちょっとどうかと思う。確かに、孤島もので因習が原因らしい連続殺人が起こるわけだけど。そういう傾向ではないでしょう?むしろ、『屍鬼』との連続性を強く感じるのだな。やはり、ここでも扱われているのは集団という幻想ではないんだろうか?いくら因習にとらわれているとはいえ、現代日本でこの物語展開はないよな、という気分で読んではいるのだけれど、途中、いや待てよもしかしたらという気分になりません?そうなったとしたら、作者の思う壷というところなのでは。けっきょくのところ、現代人も何らかの<黒祠>につかえているのでしょう。それは、仕事というものだったり、家族というものだったり、まあ人によって違うとは思うのですが。<永続的な日常の繰り返しとその中でのみ通じるルールだけを頑なに守る人々>と『屍鬼』の感想で書いたけれど、それと等質の怖さがやはりこの物語の中にもあると思うのですよ。(2001.02.25)

『上と外 4 神々と死者の迷宮(下)』 (恩田陸) 感想

練と<王>の対決がもう少し盛り上がりを見せるかと思っていたので、ちょっと肩透かしを食ったような感じ。けっきょくのところ、この儀式がほんとうのところ何なのかも見えないままでありますし……。今回はむしろ千華子の数々の反応のほうが面白いかな。冒頭の<「よい」「わるい」というのは一つじゃない>っていう話は何か他のことの伏線にもなっているのだろうか?だとすると儀式ってのは……考えすぎか?クーデターとはどこでどうつながるんでしょうねえ?説明は次に持ち越しのようで。うーむ、ボリューム的におさまりがつくのか、ってな点がちょいと心配(2001.02.25)

『MAZE[めいず]』 (恩田陸) 感想

内部に迷宮を内包した、誰がいつつくったともしれない辺境の建築物『存在しない場所』。そこでは、何の前触れもなく人が忽然と消えうせるという。主人公たちの目的は、その理由、なぜ何のためにではなく、そのルール、どのような場合に消えるのかを探し出すこと。
これの書き手が恩田陸だというところが微妙……。ミステリのみの書き手であるなら、まずは超自然的理由は考えなくてよいからねえ。しかし、最後まで疑いは捨て切れないのだよな。ミステリを模したホラーである、反対にホラーを模したミステリであるという考えを。謎解きのシチュエーションとしては限定されていて、ミステリな方々には少々退屈だったのだろうか?主人公たちのやりとりそのものを楽しめたので、なかなかによかったとぼくなどは思うのであるが……。(2001.02.25)

『グイン・サーガ77 疑惑の月蝕』 (栗本薫) 感想

アルド・ナリス死す。1巻かけてそう説明されても、どうも信じることができません。なにしろ稀代の陰謀家ですから……。スカールのこの反応はまあ当然として、リギアがこうくるとは、ちょっと思いませんでした。あと、マリウスは、なんというか相変わらずですね。前巻より持ち越したはずのリンダの反応がわからずじまいだったのが、ちょっと気になる。反応を描かないということは、それ自身伏線なのかもしれませんね。このような展開ということは、そろそろ三国の衝突も近いということで、そちらが楽しみです。(2001/2/18)

『かめくん』 (北野勇作) 感想

奇妙なお話です。「木星戦争」に投入するべく開発されたカメ型ヒューマノイド・レプリカメ、っておいおい、カメ型とヒューマノイドは矛盾してるやろ(笑)。
戦争は終わっているらしく、かめくんは不要になったらしい。でも新しい職場では、なにやらザリガニ状巨大生物と戦うのであった……。ううむ、なんてシュールで不条理なんだ。そもそも、なんで戦闘に台本があったりするんだよ、とか疑問が百出しながら読むことになる。どうも読んでいるうちに自分の頭の中までかめくん状態になるらしく、そのうち重要な情報の欠落とかどうでもよいような気になってくる。今が幸せならいいじゃん、てな感じである。しかしながら、人生、いやカメ生か、そんなには甘くないのであるよね。世の中には信じていいほんとうのことはあるのかしら?物語の終盤、このお話がじつは何であったのかわかる時に感じるのは虚しさでしょうか?いやいや、そうではないと、やっぱりぼくは信じていたいです。自分の手の中には、たとえ大事にしていた図書館カードさえ残らないのだとしても……。(2001.02.19)

『水郷から来た女 御宿かわせみ(三)』 (平岩弓枝) 感想

「江戸の初春」こうしてみると東吾の立場の微妙さがよくわかります。部屋住みというのは、本来かなり窮屈なものなのでしょう。
「桐の花散る」不思議な味わい。桐の木の下でいなくなった女の子の二十五年後の運命というのを、これだけの長さの短編でさらりと書いてしまうところがすごいです。
「風鈴が切れた」るいがのやきもちが、なんというか可愛い一編。筋のほうはなかなか血なまぐさいのだけれど、キーワードが風鈴ってのが救いか?
「夏の夜ばなし」表題通りのちょっとした怪談もの。ほんとにこういう目に遭ったら怖いだろうに、その隙にさえ悪人というのはとんでもないことを考えるもんです……。

『栄花物語』 (山本周五郎) 感想

<白川の清きに魚も住みかねてもとの濁りの田沼恋しき>なんてのは、今でも小学校の歴史の授業で習うのですかね?賄賂政治の代名詞みたいに言われている田沼意次ですが、その人物をまったく別の視点からとらえなおしてみるという作品。まあ、だいたいにして、出る杭は打たれるというのはほんとうだな、というのが読んでいてしみじみとわかります。仮に田沼意次がこの作に現れているような先進性のある政治家であったとしても、周囲に押さえが効かないのではどうも……。<栄花>というのは、こうしてみるとかなり皮肉につけられた題名だということです。このように田沼意次をとらえるというと、池波正太郎の『剣客商売』もそうですね。最近はけっこうこういう見方もあるのでしょうか?物語の展開につれ信二郎と保之助の考え方がしだいに移っていくのが興味深く読むことができます。(2001.02.18)

『時空暴走気まぐれバス』 (平井和正) 感想

作者が高校生の頃の作品をベースにしたということだが、きっと全然別物になっているのでしょうね。平井氏というと、同じ作品をリライトしようとしても、あれよあれよと別物に化けてしまうという特技を持つ方ですから。きっと氏の頭の中には無限のパラレルワールドが内在しているのでしょう。ところで、この作品、題名だけからすると眉村卓の『とらえられたスクールバス』なんてのがぼくの頭には浮かぶのですが、あんなにまじめではないというか、たまに平井ワールドに現れるハチャハチャ系のものですね。集英社文庫ですから、先行してるのは『決定版 幻魔大戦』なわけで、そこから読み始めた少年少女はきっと驚くだろうなあ、と……。
(2001.02.18)

『リセット』 (北村薫) 感想

<時と人>三部作、最後の作品。文字通りやり直しという意味。前二作とはかなり趣を異にしている。なにしろ第1部は事件らしい事件が……。いや、じつはその時間その舞台であるからこそ……。第1部が第1部であることがすでにして伏線であるとも言えるだろう。太平洋戦争前後であるというそのことにこそ……。
そして、第二部、語り手が誰に変わったのかがなかなか判らない。ゆっくりゆっくりとした第一部との呼応。ひとつひとつの疑問がほぐれてゆく快感。
そして、ふたたび語り手が変わって第三部。どう収拾をつけるつもりかと思ったら、そう来ましたか……。
今回の謎そのものとその解決については、じつはあまり納得いかないものを感じないではありません。安易に扱いすぎているような気もする。そのような救いは、ふつう人々には訪れないものです。しかし、なぜ彼らがそうなったのか、については前二作と同様説明がありません。そのようなこともあるのかも、と思うことができれば、それが救いなのでしょうか?
Das ist nur einmal.Das kommt nichit wieder.
<ただ一度、二度とない>そういう意味ですね。作中に引かれている歌「唯一度だけ」の一節です。物語のラストシーンでも引かれています。美しい物語ではあるのだけれど、素直には結末を喜べない、苦さに似た何かがぼくの胸には残りました。(2001.01.28)

『刺客(テロリスト)の青い花』 (西垣通) 感想

肌に合わず。どうも苦手だ。うーむ。
舞台は海の植民地(シーコロニー)と呼ばれる太平洋上の人工島。遺伝子操作されたさまざまな人々。島を覆う倦怠の雰囲気。幻児と呼ばれる生きているはずのなかったテロリスト。それを追う警察。鳥族と呼ばれる希少民族の生き残り。謎の少女。
なんだか消化不良のままである。臓器売買、遺伝子操作、と魅力的なテーマが散在しているのだが……。(2001.01.29)

『泣きの銀次』 (宇江佐真理) 感想

妹を殺されたことをきっかけに、大店の若旦那の地位を捨て岡っ引になった銀次には奇妙な癖がある。殺しの現場で仏を目にすると、どうにも我慢ならずに泣いてしまうのだ。人呼んで<泣きの銀次>……。うまい人物造形だと思う。もと大店の若旦那、悪所通いも心得た粋な男、だが他方では百姓剣法の道場においてなかなかの腕前。自己矛盾を飲みこんで市井を走るこころいきがよい。
もちろん、話の筋のメインは銀次がやがて妹の敵を討つことができるのか、にあるのだけれど、敵討ちの成功がイコール岡っ引きとしての彼の存在理由を消してしまうことが所々に語られていて一筋縄ではいかないのである。そして、恋人は、表向きは勘当になっている実家に奉公している娘で、先輩岡っ引の娘というのもなかなか複雑な事情。しかも、銀次の追う敵の正体は……。読ませますねえ。宇江佐作品もっと文庫化しないかなあ。(2001.01.28)

『今夜はパラシュート博物館へ THE LAST DIVE TO PARACHUTE MUSEUM』 (森博嗣) 感想

「どちらかが魔女」犀川&萌絵シリーズ。ううむ、番外編では諏訪野の活躍が多いですね。
「双頭の鷲の旗の下に」犀川&萌絵シリーズ。ええと、これいったいどういうこと?SにHにF?Fってえのがわからない。シリーズを掘り返すか?若干の時間って、いったい?要するにそう思わせるのが手だということなのだね?
「ぶるぶる人形にうってつけの夜」萌絵、練無、紫子登場。うーむ、やはり同一世界か。こういう人形よく駅とかで外国人の方が売ったりしてません?今度買ってみようかな。
「ゲームの国」というよりは駄洒落の国では?<笛が鳴る手、ベニス>、<わしゃ食うが座らない>……。脱力しました、ふりの客お断り(笑)?<Aから始まるのに、自由の差で、一番と二番に分かれるもの>というのがもっともスマートですね。美しいなぞなぞです。
「素敵な模型屋さん」ウエルズの短編に魔法の玩具屋さんが出てきましたよね。題名は何だったかな?よいですね、こういう感じ。(2001.01.14)

『裏庭』 (梨木香歩) 感想

バーンズ家には「裏庭」がある。それは現実の庭ではなく、この世よりはあの世に近い場所にある別の世界。照美は、運命に導かれるようにその裏庭を開くことになるのだが……。うーむ、バーネットの『秘密の花園』をファンタジイにするとこんなふうになるのかな。「裏庭」という異界の出来事と現実世界の出来事が歪んだ鏡像のように関連しあいながらすすんでいく。「裏庭」での出来事は解を明示されずに象徴的に起こるのだね、自分で感じそして考えなさいということか……。これ、いったい何歳くらいの人を読者として想定しているのだろう?年齢によってまったくちがった感想が持てるような気がして面白いと思う。今のところ、死ぬことが終わりではないのだということは、ぼくには頭でしか納得できないけれど。(2001.01.14)

『工学部・水柿助教授の日常』 (森博嗣) 感想

ええと、なんだろな、これ(笑)。フィクションですって書いてあることがもしかしてフィクションなのだろうか?乗りとしてはなんというかエッセイというかネット日記に近いものがあるぞ。
「ブルマもハンバーガも居酒屋の梅干で消えた鞄と博士たち」うーむ、各編の題名が土曜ワイド劇場のように長いけれど、題名見ても何が謎なのか誰が犯人なのかさっぱりわからないとことが土曜ワイドとは一線を画していますよね。
「ミステリィ・サークルもコンクリート試験体も海の藻屑と消えた笑えない津市の史的指摘」何字あるんだ、というかこの場合はミステリ・サークルでよいのでは?
「試験にまつわる封印その他もろもろを今さら蒸し返す行為の意義に関する事例報告および(「これでも小説か」の疑問を抱えつつ)」うーん、なんなんだろね。でも教壇の上ってほんとに皆のしていることがよく見える。これは真実だね。
ええと、あと二編あるんだけど、もう題名はよいよね。そういう雰囲気、ファン必読(笑)
(2001.01.08)

『ウルトラギャラクシー大怪獣バトル NEVER ENDING ODYSSEY』 感想

GYAOで3月27日まで全話無料公開されているので、『ウルトラギャラクシー大怪獣バトル NEVER ENDING ODYSSEY』を通して観ることができました。
惑星ボリスを舞台にした前シリーズでは、主人公であるレイの秘密やレイとZAP SPACYの隊員たちとの確執がストーリーの主軸にあるため、どうも生真面目で暗い感じがすると思っていました。加えて、怪獣に自分の代理として戦いを担わせるというやりかたが、やっぱりどうも好きになれなかったのです。セブンもカプセル怪獣を戦わせることがありますが、あれはどちらかといえば緊急避難措置であり、自分も戦闘に参加するのですからちょっと意味がちがうと思います。
今シリーズNEOでは、すでにレイの正体が明らかになっており、前シリーズの終盤でケイトが口にしたレイオニクス同士の戦いが主軸になっています。そしてレイオニクスはいろいろな宇宙人なのですね。前シリーズが怪獣主体のウルトラマンの味わいなら、今回は封印されているのがセブンということもあり、宇宙人主体のストーリー展開というところでしょうか。
そういう意味では、序盤から敵役で登場するペダン星人ダイルが、戦いを通してじょじょに判り合える存在になっていくのが興味深いです。ペダン星と地球はセブンの時代から浅からぬ因縁があるわけです。まだペダン星人全体と分かり合うことはたとえできなくても、かつてダンが口にした「約束」が、遠からぬ世代では現実のものとなるにちがいありません。
また、今回は真面目ばかりではないのがうれしいですね。その代表がレイの最大のライバルとして登場するキール星人グランデです。この残酷さと軽いノリの口調の絶妙な同居は、ウルトラシリーズで他にちょっと思いつかない特異なキャラになってます。最高ですね。「おまえの美人のお姉ちゃんを紹介しろよ」なんて台詞、かつてのウルトラシリーズではありえませんでした。それに、戦いがすべてのレイオニクスではなく事情を抱えていることも終盤で告白しています。複雑なキャラですね。ある意味、主人公を喰ってしまっています。グランデが活躍する第6話「史上最強のレイオニクス」、第7話「第二覚醒」、第12話「グランデの挑戦」、そして最終回は必見です。
あと、遊び要素としては第8話「潜入者を撃て」でザラブ星人があいかわらずの偽物ぶりを披露してくれる脱力エピソードもいい感じでした。

ECO推進委員会の宮野由紀

最近の迷惑メールは芸がないのが多いが、この「ECO推進」というSubjectで昨日送られてきたものは、なかなか考えておるなあ、と妙に感心した。
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突然のお知らせごめんなさいm(__)m
ECO推進委員会の宮野由紀です。

知っていましたか。日本は自給率が先進国の中で下位にランク付けされているのに、残飯の出る量は
世界一なんですって(ーー;)

一日に出る量で発展途上国の人がどれだけ飢えから生き延びれるか・・・数百万人ですよ(T_T)

そう考えたらこれから先の食事の事や、ゴミを出す時の分別ってとっても大事な事ですよね・・・

地球温暖化に歯止めをかけられるのは一人ひとりの小さな行動ですよね。他愛も無いメール読んでく
れてありがとうございます。
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突っ込みどころは満載なのだが、一読しただけでは真っ当なことを言っているように読めるので、思わず返信してしまう方もあるのでは?

・ネット検索してみると、このメールは複数のアドレスから送信されている模様。
・ECO推進委員会 なるものがどういう組織なのかなんら記載がない。
・さらに、この宮野なる人物が組織内でどういう立場で送信しているのか不明。
・こういうメールにm(__)mとか使うか?

とまあ、ちょっと考えてもおかしいよね(笑) 。要するに、このアドレスに返信させたいがための釣りメールだということだと思います。でも、返信してみて、ちゃんとエコ系の会話で勧誘するようにプログラムされているなら、どう進展するのかちょっと読んでみたい気もする。いやいや、そこまではやってないのだろうなあ……。

もうちょっと穿ったことを考えれば、このメールに対してはもちろんネットで様々な批判とかあるでしょうから、それを待って、組織の活動を不当な中傷で妨害されたとかで訴訟沙汰にするという方向も考えられないではない。
だから、あらかじめ書いておきますが、そういう妨害意図はないです。ただ、どう読んでも、ぼくには面白い新タイプの迷惑メールにしか読めないという単なる感想です。

もし、ぼくの考えがまったくの見当ちがいで、ほんとうにエコを推進したい組織から送られてきているのであれば、文面にもっと気を遣ったほうがいいと思いますよ。

2009/03/05

たりなんかしちゃったりしてえ

コネタマ参加中: アニメキャラクターで一番好きな声は?

このネタがお題に出された3月3日は、奇しくも広川太一郎氏の命日なのですね。もう一年にもなるのだなあ。アニメの声優さんとしては『宇宙戦艦ヤマト』の古代守で知られる方だけれど、好きなのは『ラ・セーヌの星』の黒いチューリップだったりする。あと、アニメじゃないけど、メル・ブルックスの『ヤング・フランケンシュタイン』は最高。吹き替え入りのDVD出ないのかな……。

春なのに…最後の春休み

コネタマ参加中: 「卒業」と聞いて思い浮かぶ曲は?


「卒業」の歌……いろいろありますな。ほとんどみな、ものがなしい感じ。このシーズン、古い曲もラジオなどで流れております。

松任谷由実ならば、「卒業写真」が定番なのでしょうが、ここはあえて「最後の春休み」を推します。<たまに電車で目と目が合っても もう制服じゃない> という歌詞のリアリティに聴くたびにやられてしまいます。

卒業式の情景を歌ったものでは、柏原芳恵の「春なのに」が好きですね。この歌詞の女の子は、下級生で先輩を見送っているのでしょうか。上記の「最後の春休み」の現実感とは逆に、歌詞の<白い喫茶店 今まで通りに会えますね と>というところが、自分には何となく永遠にありえないような気がして、とてもあこがれでした(笑)

『語り女たち』 (北村薫) 感想

17編の連作短編。「いささかの空想癖」のある男が、海辺の町に小部屋を借り、雑誌・新聞での募集に応じて集まってきた女性たちから奇妙な体験談を聞こうという趣向。
「緑の虫」 子供ではなく、この語り部の女性こそ不可思議。
「文字」鳥ではなく酉であれば。
「わたしではない」 このラストの1行はさまざまな意味にとれますよね?
「違う話」 同じ本を二度買うことは、まずない。ぼくが読んだのは、皆が読んだのと同じ話なのでしょうか?
「歩く駱駝」歩かない駱駝がどうだったのか気になります。
「四角い世界」 <本当のこと>はいくつもあるのでは?事実はひとつしかないけれど。
「夏の日々」 だれにも秋はやってくる。夏の想い出はとても大事なもの。
「手品」 これもいわゆる再度の怪か?
「Ambarvalia あむばるわりあ」 <緋の色が天井から降りてきたようだ>それゆえの甘さか?
「梅の木」 永遠というものを感じます。

『秋期限定栗きんとん事件(上)』 (米澤穂信) 感想

『夏期限定トロピカルパフェ事件』に続くシリーズ第三弾。まだ上巻しか出ていないので、この段階で感想を書くのもどうかと思ったのだが、まあメモ程度にということで。
前回の結末上、どうなるのかと思っていたのだが、帯に堂々と書いてあるな。「ねえ、ジョーって呼んでいい」って小鳩君でなくてもぜったいいやだと思う……。そして、同様のことは小佐内さん側にも起こっているのだが、小鳩君のほうから物語がはじまったこと自体、目眩ましということなのかな?「あなたがわたしの、シロップなのよ」なんていう台詞の裏の意味は下巻で詳細に書かれるのであろうな。甘いものは「何も殺さずに食べられるから」というのは、どの程度本気なのだろう?そうでないものがあったかどうか、ちょっと考え込んでしまった。
それにしても、連続(?)放火がどのように起こっているのか気づいているなら、さっさと消防署なりに連絡してみてはいかがと思うのだがな。いや、それでは話として成立しないのだが、そこのみ引っかかる。上巻での謎解きは不充分であるか的外れであるか?はたして、小佐内さんがそのように誘導したのか?まあ、下巻を待ちましょう。(2009/03)

2009/03/01

『草原からの使者 沙高樓綺譚』 (浅田次郎) 感想

『沙高樓綺譚』の続編。
「お話しになられる方は、誇張や飾りを申されますな。お聞きになった方は、夢にも他言なさいますな」 各界の名士たちが集まる<沙高樓>で、今宵も語られる奇妙な話。

・「宰相の器」 案外、首相なんてほんとうはこんなふうに決めておるのかもしれません。
・「終身名誉会員」 真の貴族か騎士の称号を持たねば出入りできないロンドンのカジノ。そこで得られるものとは……。<自由に生きるのではなく、勝手に生きる>なかなか凡人には是としがたい考えですが、だからこそ面白いのでしょう。
・「草原からの使者」 運も実力のうちといいますが、ほんとうのところ実力なくして運は呼び込めないものでしょう。しかし、ここいちばん、賭けるときには賭けねばなりますまい。
・「星条旗よ永遠なれ」 そういえば、こういう都市伝説がありましたね。最後は赤玉でしたか(笑) 誇張や飾りを禁じた<沙高樓>の掟には反しませんか?それとも現実に……。(2009/02)

『ウルトラマン STORY0 8』 (真船一雄) 感想

ジャック五つの誓い……微妙に違うのだな。
「一つ、礼儀を守る」
「一つ、目上の者を敬う」
「一つ、好き嫌いしないでなんでも食べる」
「一つ、弱い者には手を差しのべる」
「一つ、困難に立ち向かう勇気を持つ」

これは、これでとても立派な誓いだけれど、やっぱりオリジナルのほうがなじむものがある。

「一つ、ハラペコのまま学校に行かぬこと」
「一つ、天気のいい日にふとんを干すこと」
「一つ、道を歩く時には車に気をつけること」
「一つ、他人の力を頼りにしないこと」
「一つ、土の上を裸足で走りまわって遊ぶこと」

思わず、「郷さーん!」と叫びながら空に向かって手を振りたくなる。なによりよいのは具体的なことだ。とはいえ、五つ目は現代の子供には難しいのかも・・・。

そして舞台は青く輝く惑星へ。セブン対ジェロニモン・アボラス・バニラを経て、「小さな英雄」みたいな感じの話に突入……。
掲載誌が変わるそうですが、このテンションでぜひ続けていただきたいですね。(2009/02)

『グイン・サーガ125 ヤーンの選択』 (栗本薫) 感想

ミロク教の内情とフロリー・スーティ親子の行方を探るためヤガに向かうヨナを見舞う悲劇。それを救ったのは黒太子スカールであった。って、ヤガへの潜入工作も含めて記憶を亡くしたグインの前にスカールが現れた時とそっくりな展開じゃないですか。と途中までぶつぶつ言いながら読んでました。まあ、古代機械とノスフェラスがこれでやっとヨナを通して繋がったわけだけど、こんなんで終わるのか?という感じ。
そして後半、舞台はイシュタールへ。ここにきて、またもやイシュトヴァーンが無茶をやりだして、でもってカメロンが右往左往。いつもの展開だよなあ。これ以上広げてどうする?とか思っておったら最後の最後になって驚愕の展開が。「サイロンで黒死の病」おお。これはやっと話が『七人の魔道師』に追いついたのか。長かったなあ。ほんとに長かったよ。

栗本さん、「二○一○年が、二○一一年が私にくるかどうかは、これはもはやヤーンが決めること」などとあとがきに書いておられますが、養生してしっかりと続きをお願いします。グインは栗本さんにしか書けない物語なんですから。(2009/02)

『風の墓碑銘(エピタフ) 女刑事 音道貴子』 (乃南アサ) 感想

音道・滝沢の名コンビ復活。作中でふたりはそうは感じていないようだけれども、やっぱりこういうのが名コンビ。前回までの事件のこととかあって、滝沢を信頼するようになったのかなとか思っていたのだが、そこまで甘い見通しではないのだな。やっぱり滝沢を目の前にすると身構えている。今回は音道の私的な事情のほうがなんだか不完全燃焼な感じで、それもあってどうもぎくしゃく。
音道貴子シリーズが、この先どこに向かうのかとても興味深いところです。(2009/02)


『きのうの世界』 (恩田陸) 感想

どこにもそうとは書いていないのだが、これは常野の物語なのか?ということに始まって、過去の恩田作品に出てきた数々のキーワードがあちこちに散りばめられている。「これは私の集大成です」って、そういう意味なのか?たしかに、恩田陸ファンには暗示的というか思わせぶりな展開がたまらないのだが、読めども読めども頭の中には?が増殖していくばかり。新聞連載で読んだ人はさぞや戸惑ったに違いない。いかに恩田作品がふつうの終わり方をしないからといって、今回のはいくらなんでもちょっと……。無理矢理ミステリ的解決を付与せずともよかったと思ってしまいます。
あと、橋の上で殺された男の名も妙に気になる。いや、妄想に近いか。このあいだから疑心暗鬼になっているのか……。(2009/02)

『孔雀の街』 (眉村卓) 感想

古書。
・「孔雀の街」 この表題作は発表当時に雑誌で読んだ記憶がある。タイムスリップして過去からやってきた青年が目にした<孔雀の街>。そこでは奇妙な制服を着た連中が…。ひねったラストシーンがなんとも無気味な一編。これの発表紙が「Cobalt」だったというのが今ではちょっと信じられない気持ちです。
・「めまいの旅」 <あなたにとっての女というもののイメージに閉じ込められた> ひとつ手に入れると前のが消えてしまう林檎というのがイメージとして怖ろしい。
・「デスブロイアの女王」 どんな世界も、そこに自分が在るということは疑わしいもの。異世界に至り、帰還を果たせば、この世もまた。
・「仕方なく、ウェンディ」 ピーター・パンとウェンディの違いは、後者が大人になるというのがどういうことなのか内心ではすでに判っているということだ。前者は男の子。後者は女の子。そういう意味で、男の子というのは厄介なものなのであるよ。(2009/01)

『午後の楽隊』 (眉村卓) 感想

古書。ショートショート集とあるが、短編に近い長さのものも多い。
冒頭の「知りつくした街」も掌編というには長い。 眉村作品には思いがけず異世界に滑り落ち、帰るかどうか悩む作品が多いように思うが、これもそのバリエーション。悩むよな、やっぱり。
「窓の外」 男というのは窓の外に出ていくもんです。どうなるかとか、およそ考えない生き物なんですよ。
「家庭設備診断員」 これ研修で使えそうですね (笑) いや、家庭設備をパソコンに置換すると笑ってばかりもいられないのかな。
他、ショートショート多数。やっぱり面白い。実家に行った時、今度は眉村作品を持って帰ってこようかな(2009/01)

『かなたへの旅』 (眉村卓) 感想

古書
・「夜風の記憶」 学生時代を過ごした街というのは、過去という時間への入り口となりやすいものなのかもしれない。若い時の自分に会うとみじめな気分になる。そんな気持ちが、ちょっと判る年齢になったのかもしれない。
・「S半島・海の家」 <海の家なんかじゃなく、都心のプールが合っている>というのは自身の判断か?皆、何かに踊らされているから、こういうことが起こる。起こったところで商魂たくましく…というのは今もそうであるな。
・「檻からの脱出」 元の世界に帰ったところで意味があるのだろうか?たしかそういう短編も眉村氏は書いてらしたと思う。そのものずばり「空しい帰還」という題名だったと記憶している。
・「乾いた旅」 <ああするしか仕方がなかったのである> 判りすぎるほどに判るな、その気持ち。
・「潮の匂ひ」 <都とやらへ行くんだ> これは上記の逆を言っている。これも判りすぎるほど判る気持ち。要するに自分では選択できないが、なってしまえばそれはそれということかな。男ってそういうものかも(2009/01)

『かれらの中の海』 (眉村卓) 感想

古書。就職した会社でうまくいかない晴夫は自殺を決意して海に出る。が、そんな彼を環境破壊の進む地球をどうにかするために伺っていた銀河連邦が救いあげるのだった。と、出だしのあらすじを書くと、昔読んだ作者の処女長編『燃える傾斜』とそっくりなのだが、そこからがまるで違う。『燃える傾斜』では主人公は同じ地球型生命体の中でそれなりの地位を得るようになり、共通の敵に対するようになるのだが、この作品では銀河連邦の地球への干渉がことごとくうまくいかず、ついには……。なんだか暗澹たる気持ちになりますね。人間って文明の進んだ銀河連邦からも見放されるほど、ひどい生き物なのかと。『燃える傾斜』では主人公の世話をしていた異星人が、そのふれあいを通して人間性に目覚めるという描写がありましたが、同じような経過を辿る晴夫のパートナーである異星人シノニアのそれはもっと生々しい。なんだか居たたまれないような気分になりましたよ。(2009/01)

『夏目友人帳 1』 (緑川ゆき) 感想

深夜にやっていたアニメ第二シリーズの一話が面白かったので、どのように始まったのかという興味で購入。
一巻を読む限りでは、ほのぼのタッチの『百鬼夜行抄』というところなのか?たぶん、そういう比較はあちこちでされているのだろうということは想像に難くないが、そういう書評を目にすることなく続きを読みたいところ。同じような出発点から、どのように異なった場所に広がっていくのかに興味がある。(2009/01)

『三日月が円くなるまで 小十郎始末記』 (宇江佐真理) 感想 

仙石藩は隣接する島北藩と不仲であった。さらに仙石藩の藩主の面子が潰れる事態「檜騒動」が勃発。藩主のうらみをはらすために立った庄佐衛門を助太刀するよう小十郎は命じられる。江戸の藩屋敷を出て、助太刀のために町家に移る小十郎だったが……。

解説によると盛岡藩南部氏・弘前藩津軽氏で実際に起こった「檜山騒動・相馬大作事件」に材を得ているとのこと。ただ、物語では仙石藩が幕府に拠出できなかった檜を島北藩が提供したことを直接原因としているので、いくらなんでもそれは……と思ってしまった。が、大人げない事情で大人げないことをするのは、世の中の常ではあるか?
それと登場人物のひとりで托鉢僧の賢龍の存在を中途半端に感じてしまった。でも、現実の人との出会いもそんなものか。

小十郎と大家の娘ゆたの恋模様がどちらに落ち着くのか?宇江佐作品ではハッピーエンドとは限らないので、最後まで面白く読めた。しかし、いつもながら思うのだが、最後の何頁かで時間がかなり経過するのはもったいない。(2009/01)

『夜は短し歩けよ乙女』 (森見登美彦) 感想

2009年の一冊目はこれにしようと思って年末に買っておいたもの。
文章に独特の調子があり、読みこなすのに一章分かかってしまったので、読了してからすぐに一章を読み直したという、ぼくにしては変則的な読書になりました。
京都の街とうんちくと巻き起こる奇妙奇天烈な事件の数々の楽しげな描写。これは、読めば読むほど楽しめる本ではないかいな、と思います。「黒髪の乙女」と「先輩」は最後まで名前が出てこないのですな。ということは、この登場人物の内では初めはふつうに見えるふたりは、あなたでもぼくでもあり得るのかも知れないな、と思ってみたり。これほどではないけれど、楽しかった学生時代を思い出してみたり。いいなあ。デンキブランなら何度か飲んだことがあるけれど、偽電気ブランはやっぱり架空のお酒なのかいな。飲んでみたいぞ。
京都の街に詳しければ、もっと楽しめたのかもしれないな、と、そこのみちょっと口惜しい(2009/01)

『押入れのちよ』 (荻原浩) 感想

・「お母さまのロシアのスープ」 ホラーにしてもほんわかしたものが多いのだろうという勝手な予測をいい意味でのっけから見事に裏切ってくれた。ほんとうに怖いのはやっぱり人間なんでしょうか?
・「コール」美雪と雄二とぼく。みんないいやつらだ。いいやつらだから哀しいな。でこぴん。
・「押入れのちよ」 表題作。会社を辞めて引っ越した築35年のアパートの押入れには明治39年生まれ14歳、花柄の赤い振袖を着た幽霊が……。なんだかね。ちよの行動を見ていると、ほんとうにみんなテダ・アパアパってことでいいんじゃないか、とか思ってしまう。いろいろあるけど、まあ、テダ・アパアパってことでさ。
・「老猫」 昔から猫は化けるものだと決まっているらしい。すべてが混沌としたままに進行する物語は、これぞ恐怖と言えるものである。
・「殺意のレシピ」 その回りくどさが、ストレートな殺意よりもむしろ怖ろしい。
・「介護の鬼」 読み終えてげっそりした気持ちになる。こういう鬼、そのうち世間にありふれるようになりはしないか?
・「予期せぬ訪問者」 ドタバタもの。上記で落ち込んだところにもってくるのがいい。
・「木下闇」 これは救いがない話だな。十五年後の「もういいよ」は悲しすぎる。
・「しんちゃんの自転車」 これがいちばん好きですね。 三年生になっても自転車に乗れない私と教えてくれるしんちゃん。「俺が教えたなんて誰にも言うなよ」「がってんしょうたくん」 私は大人になっても、その約束を守っているのですね。(2008/12)

『機動戦士ガンダム THE ORIGIN 18 ララァ編・後』 (安彦良和) 感想

アニメよりララァの表情が子供っぽいような気がするのだが、どうでしょう?セイラの正体がブライトひとりの胸の内に留まらなかったことは、今後の展開にどう影響するのでしょう?もう終盤なのだなあ。(2008/12)

『時の"風"に吹かれて』 (梶尾真治) 感想

表題作は「SFJAPAN」他は「異形コレクション」か「SFバカ本」に掲載されたものが多いので、既読多し。

・「時の"風"に吹かれて」 タイムマシンで叔父の愛した女性を救うために過去に。だが規定時間以内に戻らないと、時の風に追いつかれて、遡行前の自分に戻ってしまう。
これは、ラストシーンを成立させるためにある設定なのだね。時間の大いなる辻褄合わせ。よく読むとうまく視点を混乱させられていることが判るのだが、最後でなんとなく納得してしまうから不思議。
・「時縛の人」 同じくタイムマシンものだが、上記とはうってかわったブラックユーモア。これらが同じ短編集内に同居しているのが、いつもながらカジシン作品の不可思議ですね。
・「柴山博士臨界超過!」アルジャーノン賦化剤……。これは地獄だな。
・「鉄腕アトム メルモ因子の巻」 ロボットに不必要な機能って何なんだろうな?人間はロボットに何を望んでおるのだろう?
・ 「その路地へ曲がって」<呪いと願いは、方向が違うだけなのだ>ヌメリサカゲムシが怖ろしい。
・「再会」 思い出したのであれば、なくならないのではないか?そう思いたい。(2008/12)

『仮面ライダー SPIRITS 15』 (村枝賢一) 感想

「あれは…ユリ子じゃなかった…」 バダンの再生改造人間として蘇ったタックル。
「殺されてもいい」、というのが本音なのだろうなと思う。でも、それを超えて還ってくるのが仮面ライダーである所以であろう。そしてストロンガーのプロトタイプであるスパークの登場とともに語られる、沼田吾郎の死のエピソード。ストロンガーの名前の由来自体が友情の証なわけだなあ。この巻は後半のストロンガーが熱いです。(2008/12)

『鋼の錬金術師 21』 (荒川弘) 感想

「この巻から最終章(のようなもの)開始です」とのこと。
「後から俺が必ず来ると信じてくれているんだな」 親父さん、見かけによらずいい男だ。愛妻家だよな。思えば、エルリック兄弟の父親なのだから、それもあたりまえなのか。(2008/12)

『グイン・サーガ124 ミロクの巡礼』 (栗本薫) 感想

ブラン再登場。そうか。ブラン側はグインの記憶の欠落は知らないのだった。タイスあたりであんなに巻数をくわなければ、もう1年ほどは早くこのシーンに辿り着けていたのになあ。
と、第2章からは視点がヨナに移る。スーティ親子を追ってヤガへの旅がはじまる。ヨナの回想にカラヴィアのランとか出てくるけれど、懐かしいな。あまりにも遠いアムブラの日々。あの頃はナリスだって元気で陰謀にいそしんでいたしなあ。
ところで表紙はカメロンなのだよね。とすれば、今一度海に戻りたいという、これは願望の表れなのでしょうかね?(2008/12)

『Jの神話』(乾くるみ) 感想

『リピート』に続けて文春文庫3冊目ということで購入してみました。なるほど、これがデビュー作……・。面白いのだけれど、これを最初に読んだら、続けて読んだかどうかはあやしいな、などと思いつつ読了。名門の全寮制女子高で起きる怪事件を扱っているのだけれど、日常の歪みからやがて伝奇に変貌を遂げる過程は、まるで半村作品を読んでいるかのようでしたよ。テイスト的には『石の血脈』とかを思い起こさせました。
『イニシエーション・ラブ』のようなものが作者の本道なのか、それとも?とか考えてしまいました。そして、解説を読んで、さらに驚愕。オフ会の類にほぼ顔を出さないぼくが知らなかっただけなのか?感慨深いです。というわけで、折にふれて乾氏の作品は読んでいこうと思いました。(2008/12)

『ぬばたまの…』 (眉村卓) 感想

古書。未読だった眉村氏の長編のひとつです。
作者自身を思わせる「前浦拓」は、かんづめになった東京のホテルを抜けだし息抜きに遊園地に来るが、そこで会社員時代の上司である安岡とその家族に会う。安岡に誘われるままにオバケ屋敷に同行するが、そこから迷い込んだのは、5分の1の速度で時間がすぎていく別の世界であった……。
秩序なき闇の世界の描写が、なんとも奇妙。なんというか秩序のなさ加減のチープさが逆に怖いのだな。怪物や怪獣が出てくるわけではない、この世と似通った世界。しかし、そこは、己の気持ちの持ちようによっては明るさまでが変化する、いわば精神状態に左右される世界。そこが最初は暗く見えるのは、気の持ちようの問題だというのだな。ならば、今まさに生きているこの世もそうなのか?ラストシーンの何行か。とりわけ「その光景には、たしかに記憶があった」にそれが回答なのかと愕然としました。(2008/12)

『失われた町』 (三崎亜記) 感想

「消滅」。それは、ひとつの町の住民すべてがおよそ30年に一度、跡形もなく消えてしまう原因不明の現象である。「消滅」した町の意識から伸ばされる触手にふれてしまうことで、人は「汚染」されてしまう。だから、「管理局」は「消滅」した町の記録と情報を回収する。書籍、電子情報、個人的な手紙に記された宛名まで……。
魅惑的な物語である。『となり町戦争』よりも、さらにSF的な雰囲気が濃厚。「特別汚染対象者」とか「分離者」とか、いい感じ。「消滅」に対抗する「管理局」に絡む人々の、それぞれの哀しみに彩られた戦いぶりが読んでいてなんだか痛ましい気分にもなった。淡々とした感情描写は三崎氏の文章の持ち味なのかもしれないけれど、もう少し強い感情的になっていい部分もあったのではなかろうか、とは思う。最初の「プロローグ、そしてエピローグ」が物語本体の約30年後であり、新たな町の消滅現場そのものを描いているのだが、ちょっととっつきにくい感じがするかもしれない。SFっぽさが苦手な人は、そこのところは読み飛ばして、エピソード1「風待ちの丘」から始めるといいかもしれない。あと、装丁が凝っていて、透明なカバーを外すと街が「消滅」するのですな。すばらしいです。(2008/11)

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