2022年12月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
無料ブログはココログ

« 2009年3月 | トップページ | 2009年5月 »

2009年4月の74件の投稿

2009/04/29

『仮面ライダーSPIRITS 16』(村枝 賢一) 感想

「マガジンZ」の休刊でどうなるのかと思っていたのだが、無事に「月刊少年マガジン」で夏から連載が再開するとのこと。一安心。
「たとえ何ベン作り直されたとしても、そいつは俺のトモダチなんだよ」という言葉に応えるかのように、記憶を取り戻したように見えるモグラ獣人、しかし非情にも……燃える展開はいつもの如く健在です。しかし、再生しても記憶というか魂を継承しうるのであれば、あるいは村雨しずか も……? (2009/04)

『鋼の錬金術師 22』 (荒川弘) 感想

緊張感のある展開で、本当に最終章なのだなあという感じがします。このままのテンションで完結するといいなあ、と思いました。(2009/04)

『グイン・サーガ126 黒衣の女王』 (栗本薫) 感想

ヤガへ向かったヨナ、黒死病の流行に見舞われたサイロン、と前巻までの展開はそのまま保留。イシュトヴァーンがクリスタルにやって来ます。<黒衣の女王>はもちろんリンダのことです。あの草原の約束から物語内時間で8年ということらしい。そんなものなのか、もっと時間が経ったような気もするのですよ。
この巻でのリンダの揺れを表した心理描写がなかなかいい感じです。「豹頭王の花嫁」は遠いですね。
この春からはアニメも始まりました。栗本氏のあとがきによれば、今回は16巻までということ。これはこれで楽しみです。(2009/04)

『バッカーノ! The Rolling Bootlegs 』 (成田良悟) 感想

たまたま観たアニメが面白かったので、原作を読んでみました。
禁酒法時代のニューヨーク。「不死の酒」を飲んで死ななくなった者たちをめぐる馬鹿騒ぎの物語。「バッカーノ」とはイタリア語で馬鹿騒ぎの意味。
不死者が不死者を「喰う」と知識が転位するとか、不死者は偽名を名乗れないというような設定が面白いと感じました。不死をテーマにした物語というと陰鬱だったり主人公が悩みまくったりするのが多いのですが、そういうものとは一線を画していて楽しめます。(2009/04)

『輪違屋糸里』 (浅田次郎) 感想

『壬生義士伝』は新選組のいわば終末を描いた作品であったが、『輪違屋糸里』はその成立前後を背景として書かれている。『壬生義士伝』が傑作だっただけに、手を出すのに躊躇していたのだが、やはり読んで良かった。
芹沢鴨は何故に粛清されなければならなかったのか?新選組の物語ではメインになることが多い土方の扱い方に、まずは唸ってしまった。なるほど、と思わせる解釈である。もちろん、芹沢の人と為りや土方の人と為りが実際にどのようであったかは、解釈の余地があるところであるとは思うのだが、それでも、これはなかなかに斬新だと思ったのである。芹沢の愛人であるお梅や土方を想う糸里の心を通して見た、それが男たちの真実の姿なのだと言われれば、そうなのかもしれないと思えてくる。
一般には新選組物語では悪役である芹沢の内面が、様々な方向からこれでもかとえぐり出されており、やっぱり人の生き様などというのは歴史書の数行で語られることではないのであろう、と感じられるのである。(2009/03)

『ガンマンの伝説』 (ロバート・B・パーカー) 感想

パーカー版<OK牧場の決闘>。ワイアット・アープの物語。ハードボイルドと西部劇って通じるところがあるのかもしれないな、と読んでいて思う。だが、パーカーなのだから、単純にガンマンの話にならないところは期待通りといっていい。愛情と友情と絆の物語。しかし、たとえばスペンサーやサニー・ランドルと比べて釈然としない感じが残るのは、詰まるところ銃で解決がついているからなのだろうか?それが史実と言われればそうなのだが。(2009/03)

『家族の言い訳』(森浩美) 感想

作詞家の森浩美氏の短編集。略歴に書かれている作詞作品のイメージとはちょっとちがう感じがします。
・「乾いた声でも」 「仕事はどんなことでも大変です」 大変さの種類がちがうと想像はしにくいのだろう。「絶対的な味方」とは言わないが、どっちかといえば味方でいてほしい。
・「星空への寄り道」 寄り道は大事だと思う。寄り道こそが人生だもの。
・「カレーの匂い」 この主人公の感覚がちょっと理解しがたい。読んで怖いと思った男性は多いのでは?
・「柿の代わり」 なるほど柿の代わりなのか。ジェネーレーション・ギャップに対するこれほど適確な言葉を他に知らないです。だとすれば対話はやはり大変なのだろうな、と思いますよ。
・「イブのクレヨン」 この主人公は幸福になるにちがいない。この主人公の奥さんのような人がほんとうのスーパーウーマンなのかもしれない。(2009/03)

『橘花の仇 鎌倉河岸捕物控 (一)』 (佐伯泰英) 感想

江戸鎌倉河岸を舞台にした連作時代長編。岡っ引の手先の亮吉・呉服問屋の手代の政次・船宿の船頭の彦四朗の三人の幼馴染と、酒問屋の看板娘しほを巡り物語は展開する。第一巻を通しての謎は、しほの出生の秘密。描かれている四人の若者がいずれもストレートで気持ちよく、一気に読ませる。序章が曰くありげな感じだっただけに、物語的にはもうちょっとひねりがあったほうが好みかもしれない。(2009/03)

『どぶどろ』 (半村良) 感想

古書。扶桑社文庫の<昭和ミステリ秘宝>の一冊です。物語そのものはずいぶんと昔にすでに読んでいます。「およね平吉時穴道行」の登場人物でもある平吉が主人公の時代ミステリ。「およね平吉」とは直接には繋がらないパラレルな関係の物語です。七つの短編とひとつの長編という構成になっていて、宮部みゆき氏によれば、この構成を踏襲したのが『ぼんくら』であるとのこと。なるほどなあ。言われるまで気がつかなかったです。
イメージ的にはおよねの回想と平吉自身の日記から間接的に語られる平吉のほうが、『どぶどろ』の彼よりも好きですね。(2009/03)

『秋期限定栗きんとん事件 (下)』 (米澤穂信) 感想

上巻を読んだ時点で、トリックそのものはともかくとして物語の流れはなんとなく判るような気がしていた。まあ、大筋考えていた通りの展開といえば、その通り。
恋愛というのは、およそ勘違いと思い込みが大きな要素を占めることが多々あるのではないか。「あばたもえくぼ」と昔から言う。けれど、かわいそうだが登場人物の仲丸さんの主張におよそ同意するこができない。彼女は自分のテリトリーの中でだけ小鳩くんを理解しようとして、平行線のまま失敗しているわけだ。小鳩くんに感情移入して読んでいると、おいてきぼりを喰らったような気分になる。「ジョーって呼んでいい?」なんていう台詞が、彼女のそういうところを代表しているのではないか?理解できないなら、まず相手に確認してみてはどうか?いや、理解できてないことがそもそも理解できてないのか。では無理だ。これはもちろん小佐内・瓜野にもあてはまる。
けっきょく、「次善の選択肢」に頼るしかないわけであるが、そういう表現でお互いを語り合えることは、果たして幸福なのか不幸なのか?勘違いが極小である場合、それは恋愛なのであろうかな?(2009/03)

2009/04/27

『クレヨンしんちゃん オタケベ! カスカベ野生王国』 感想

『クレヨンしんちゃん オタケベ! カスカベ野生王国』 観てきました。なんかんだいって、クレしん映画は毎年観ておりますねえ。

春日部では新しく町長となった四膳守のもと、エコ活動が活発に行われていた。しかし、それは、四膳の組織SKBE(Save Keeping Beautiful Earth)の陰謀<人類動物化計画>の資金調達のための隠れ蓑にすぎなかった……。
なんという今日的なテーマ。エコをこんなに茶化してしまっていいのか?と、ちょっと心配になる(笑)。だいたい、人間がいなくなれば地球が美しくなるなんて、劇中の台詞にもあるように「エコじゃなくてエゴ」でしかない。人でなくなる前に人として為すべきことがあるでしょう、と思うのだ。直接的に繋がるわけじゃないんだけど、『モロー博士の島』とか思い出しますね。人間を人間たらしめているものっていったい何なのか?ということです。
まあ、動物化したミサエが記憶を取り戻すきっかけがアレなのが<クレしん>か?でも、母子の絆って似たり寄ったりかもしれない。本人たちにしかわからない絆だものな。ヒロシ・ミサエをはじめ、春日部防衛隊の面々がそれぞれキャラを反映した動物になるのが面白い。しんちゃんは大方の予想通りもちろんあの動物です。他にありえない(笑)。
エンディングテーマにはジェロの「やんちゃ道」。エンディングテーマはともかくとして、劇中に登場した本人にあんな妙な歌を歌わせてしまってよいのか?


2009/04/25

『必殺仕事人2009 第13話 給付金VS新仕事人』 感想

『必殺仕事人2009 第13話 給付金VS新仕事人』 を観ました。
新仕事人 仕立て屋の匳 登場。この派手な衣装と坊主の髪型、念仏の鉄を思い起こさせますね。どうせなら殺し技もパワー系にしてほしかったところですが、涼次の技でレントゲンを使ってしまっているから難しいのでしょうかね。
ストーリーは、年貢を払えずに故郷を離れ人別帳から外れてしまって「帳外れ」となり、ひとり一分の「ご公儀振る舞い金」も受取ることのできない人々を食い物にする連中と匳を巡って展開します。

「裏の仕事でたまった業をよ、人助けでちゃらにしようなんざ屑の中の屑だ」(小五郎)

「長生きできねえのはおめえさんのほうじゃねえのか。なぜ見逃したんでえ、二度もよ」(主水)

そして匳の殺しのシーン。割れた親指の爪に妙なリアリティを感じました。

「おめえもおれも神様じゃねえんだ。善悪を裁いて下さるのは地獄の閻魔様のお役目だ」(主水)

分け前を取ってなかった匳に六文のビタ銭を渡す主水。これは、その後のシーンで小五郎が殺しの相手に投げつける銭と同じです。いずれも三途の川の渡し賃ということですね。

「人のお命いただくからは、いずれ私も地獄行き」 (必殺仕置屋稼業) 仕事人とはそういう稼業なのです。主水が匳に求めたのは、その覚悟のほどということでしょう。

2009/04/23

史上最悪だったGW

コネタマ参加中: GWのエピソード教えて 【コネタマ選手権】

数年前のこと。GWほぼ返上で働いていました。毎年のように何日かは出勤していたのですが、その年は特にひどかったです。しかも、休日出勤というのに会社に連泊というありさま。システムエンジニアなどと世間では横文字で呼ばれておりますが、実態は皆様のお休みの時間に働いていることがままあります。
やっと一段落ついたのは、GWまっただなかの午前3時。夕飯もまだだったので、コンビニに買い出しに出かけました。すると、なんと……。「本日フロア清掃のためお休みします」 24時間営業のコンビニさえ休んでいる時間に働いている自分って何なんだろうな?と疑問に思いましたですよ。

『BALLAD 名もなき恋のうた』 は ぜひこのまま公開していただきたい

SMAPの草なぎ剛氏逮捕される。
昼休みに携帯でニュースを読んでいてそんな見出しに出くわし、同姓同名のツリだろうと思ったら本人だったので驚いた。世間は地上波デジタル放送普及CMへの影響ばかりが大きく伝えられているが、BALLAD 名もなき恋のうたの公開にまで影響するのかどうか、私的にはそっちのほうが問題。
この映画は、名作『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦』のリメイクであり、草なぎ氏は主役の井尻又兵衛を演じている。役名を『クレしん』映画そのままに残しているので、ふざけた感じがするが、ストーリーは骨太のじつにすばらしいものなのだ。『戦国アッパレ』は『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲』と双璧をなす、涙なくしては観ることのできない物語である。
これが実写でどのようにリメイクされるのか興味津津であっただけに、公開への影響は極小に抑えていただきたいものである。

2009/04/20

【訃報】J.G.バラード氏

J.G.バラード氏の訃報を知る。

スピルバーグが映画化した『太陽の帝国』が有名なんだろと思う。ぼくにとっては、SF読み始めた頃に読んだ『結晶世界』のバラードさんです。数々の作品、楽しませていただきました。

ご冥福をお祈り申し上げます。


2009/04/18

『ザ・クイズショウ 第1話』 (感想)

『ザ・クイズショウ』第1話を観ました。全7問のクイズに答えると賞金1000万円。その1000万円を賭けて夢をかなえるためのドリーム・チャンスに挑戦できるが、クイズの問題は回答者個人の悪事を暴く方向に……という趣向。
土曜21時の日テレにしては、えらくサイコな内容だが勝算があるのか?と疑問に思ったら、昨年深夜枠で放映した同名のドラマのリメイクらしい。そっちは観てないので比較はできないが、どんなもんなんでしょ?クイズ司会者を務める神山悟役の櫻井翔のキレっぷりは、すばらしく良かったと思うのだが。
このクイズ構成は『クイズミリオネア』のパロディなのだろうが、白い部屋に軟禁された状態の司会者が一転はなやかに登場するところなど、『国民クイズ』のK井K一を彷彿とさせるなあ。
かなり面白かったので、次回も観ようと思います。


好きな『戦隊モノ』……何をもって戦隊モノというのだろう?

コネタマ参加中: 好きな『戦隊モノ』、教えて!

ここで『忍者部隊月光』ですとか『トリプルファイター』ですとか(笑)とかオオボケをかましてもいいのであろうか?ふたつとも好きな作品だが、このお題の<戦隊モノ>ではないか。

冗談はさておき、お題がお題なので、『ウルトラマン』『仮面ライダー』等の系統は外して考えるが、それでも戦隊モノの定義は難しいのかもしれない。『秘密戦隊ゴレンジャー』から<スーパー戦隊>とカウントしてよいのであれば、思い入れがいちばんあるのは、じつは『ジャッカー電撃隊』だったりする。
『ジャッカー電撃隊』は全員がサイボーグであり、強化カプセルがないと変身もできない。この限定されたハードさが好きなのである。サイボーグであるという設定は、同じく石ノ森章太郎原作の『サイボーグ009』を彷彿させるし、メンバたちの後戻りできない感じはもちろん初期の『仮面ライダー』にも通じる。そして、『バトルフィーバーJ』にはじまる<スーパー戦隊>ものとの最大の違いは、巨大ロボが登場しない点。ここ重要(笑)。戦隊モノの面白さは、メンバたちの個性によるドラマ性と協力しないと発動できない「いいわね、いくわよ」(by モモレンジャー)的な決め技にあるのです。巨大ロボはいなくてもドラマとしては成立するわけです。いや、巨大ロボはもちろん大好きなのですけれど(笑)。そして、ビッグワンの登場!戦隊もののメンバ増員の歴史はここに始まっていると言っても過言ではありません。演じたのが宮内洋さんであることも、強烈な印象を残しました。
そういえば、『忍風戦隊ハリケンジャー』にはハムスター館長というキャラクタがいましたが、ジャッカーの長官が飼っているペットもハムスターなのですよ。戦隊モノにはハムスターがよく似合う (笑)




2009/04/17

『必殺仕事人2009 第12話 冤罪』 感想

『必殺仕事人2009 第12話 冤罪』 を観ました。
源太の後任の仕事人が出るのかと期待していたのですが、次週に持ち越しですか。それに、作太郎の消息はあっさりスルーになってしまうのかなあ。ちょっとさびしい。
物語自体は、ある意味で必殺の黄金パターンでした。あまりにもお約束通りでひねりもないのに逆にびっくりしてしまったよ。ちょっと気になったのは、主水は終盤の宴席には呼んでもらえなかったのですかね。
貧乏浪人に松村雄基さん、そして盗賊の六右衛門にはなんと本田博太郎さん。仕舞人・直次郎が敵役とはなあ。なんか感慨深いものが。

2009/04/15

田中文雄氏の訃報

田中文雄氏の訃報にふれる。

『竜神戦士ハンニバル』にはじまる「大魔界シリーズ」や『夏の旅人』、とても楽しませていただきました。
「異形コレクション」での短編もたいへん楽しませていただきました。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。


2009/04/14

眞鍋かをりさんと「今夜もハッスル」

眞鍋かをりのココだけの話 2009/04/12のエントリ 大阪ラバー

タイトルだけ見て、Dreams Come Trueの曲のことかな。あれは、ええ歌やもんな、と思ったら違うのであった。大阪に泊られて、宝塚観劇されて、夜はサンテレビを鑑賞とのこと。

眞鍋さん、わざとなのですか?宝塚もサンテレビ(親局は神戸)も兵庫県なのです。いや、まあ千葉にあっても東京ディズニーランドというがごとし、ですけれど。兵庫県民のぼくとしては、なんだかちょっとうれしいです。

ちなみに、「レイザーラモンさんが出てる番組」とは今夜もハッスルのことですかね。「めっさエロス!!!」とのことですが、あの時間は二十数年も前からあの調子です。最初は「おとなの子守唄」という鶴光師匠の番組だったですよ。Wiki サンテレビ土曜深夜アダルトバラエティ枠 参照。だから、むしろ、最近は落ち着いた感じになったかも。いや、そう思うのは、むしろぼくが年をとっておっさんとなり果てているからなのでしょうか。

2009/04/12

水色のランドセル

人気のランドセルは水色?
なんていう記事。通勤時間帯がかみあわないので、小学生と行きかうことはないのだが、たしかに売り場とかで見ると最近のランドセルはますます色数が増えておるような気がする。

はて、水色のランドセルってどこか他でも読んだような気がするなと思ったら、ランドセルは女子一色?というのがそうだった。漫画家の須賀原洋行さんのマンガ家Sのブログの1月のエントリ。たしかに、男の子が黒以外のランドセルを背負っているのって見たことないですね……。

『創竜伝13 噴火列島』 (田中芳樹) 感想

気を持たせる『創竜伝12 竜王風雲録』から早くも2年。いや、それでもコンスタントに続編が出るだけよいか。あいかわらずの毒舌満載。いや、もちろんそういうのが好きだから読んでるんだけれど、度がすぎるとまたストーリーが進捗しないぞ(笑)。作中に出てくる「かんじぼくめつどうめい」というのが笑わせてくれる。読み仮名ふってる感覚でしかなくて、それはどこまでも漢字でしかないよな。それをやるなら、清水義範の「言葉の戦争」くらい徹底的にやらないと。このキャラクタはどこかにモデルがいるのかと興味深い気も……。
小早川奈津子との大同団結という、いささかとんでもない展開にものけぞったが、征夷大将軍というのはやりすぎではなかろうかな(笑)。この場合の<夷>はあの国のことを指すことになるのだろうなあ。「春秋に義戦なし」という言葉は、どこぞの国の誰かさんにぜひにも聞かせてやりたいですよ。もちろん、わが国のあの方にもね。政治に関するニュースを見ると、あの方は何だか大きなかんちがいをしているのではないのかと、かなり不安になってきますよ。同盟国だなんて思っているのはあの方だけだったりして(笑)。あの国の内実がこの物語ほどにはひどくないことを心のどこかでは信じていたいですねえ。
をーっほほほほほほほほほほほほ!と雄たけびをあげながら、たぶんまた2年ほどは後になるであろう続きを待つとしましょう。(2003/06)

『グイン・サーガ90 恐怖の霧』 (栗本薫) 感想

ついに90巻。当初の予定からすると残すところわずか10冊。いや、当然、今となっては100巻で完結するなどとは誰も思ってもいないのでしょうが、このところの急展開を見ていると、案外に100巻でいいところまで行くのではないかとも思ってしまいます。アモンとグインの直接対決がはじまりますが、ちょっと不満なのは、アモンがこのところ意外に人間的なところ。やはりここは、人智も及ばぬような恐怖の雰囲気を醸し出してほしいものですが、まあそれではクトルフ神話みたいになってしまって話のテンポが失われてしまうでしょうか?手段はともかくとして、アモンの戦術はやりかたが悪い意味で人間的すぎます。
さて、この巻の山場は何といってもあそこでしょう。これでシルヴィアが売国妃と呼ばれるきっかけはできあがったと考えてよいでしょう。しかし、なんというか、どこまでもフツーの女性ですよね、シルヴィアは。というか、あまりにグインらしくないミスではないでしょうか?シルヴィアはやはりグインにとってはアキレス腱であるのでしょう。重大なエピソードが展開中だというのに、ここは早く切り上げて、シルヴィアのその後がどうなったのか早く読みたいと思ってしまうぼくはいけない読者でしょうか。(2003/06)

『半身』 (サラ・ウォーターズ) 感想

カヴァーの絵に強く魅かれるものを感じて購入。アルステルダム王立美術館に収蔵されているカルロ・クリヴェッリという画家の「マグダラのマリア」だそうである。bk1のリンクから表紙を確認していただくとおわかりだろうが、とても神秘的な表情と視線。このイメージは、じつは作中で重要なキーワードとして使用されているものである。物語は、1874年、ミルバンク監獄を慰問することになった婦人マーガレット・ブライアの独白で進行する。マーガレットにはどうやら何か精神的に不安定な要素があるらしく、それゆえに19歳の年若き女囚シライナに感情的に傾斜していくことになるのだが、マーガレットがシライナに対して抱くイメージこそこのクリヴェッリの絵画なのである。
通常社会から隔絶された監獄の陰鬱な描写が延々と続き、そして霊媒師であったというシライナの前身に由来する妖しさが徐々にマーガレットの、そして読者の理性を絡め取っていく。交霊会……支配霊……ところどころに挿入されるシライナの過去のエピソード。途中からこの物語がミステリであるのかホラーであるのかその境界がぼやけていく。そう、19世紀のロンドンの薄暗い霧の中に。そして、やがて気づくだろう。読者もマーガレットと同じように、シライナの一挙手一投足に煩悶していることに。そうだ、これが霊媒の力なのだ。
半身……。人は自らの半身たる者に必ず巡り会えるものなのだろうか?原題の"Affinity" とは、密接な関係にある異性といったような意味であろう。半身はうまい訳だと思う。それなくしては存在しえない自分を表すエゴイスティックな感じだろうか?よく似た魂であるから離れられないのであろう。それは、とても幸福なことであり、そしてとても不幸なことだ。マーガレットが、そしてシライナが見出す己の半身とは……。
ラストのほんの数ページの謎解きがあんなにも驚愕を与えるのは、やはり物語の構築がすばらしいからである。しらずしらずに、読者はマーガレットとともに霊媒シライナの美しくそして妖しい魔力に虜にされているのだ。(2003/06)

『花あらし』 (阿刀田高) 感想

・「迷路」 頭の中が迷路のようになっている男の話、と思ってよいのでしょうか?母の愛は偉大だけれど、偉大すぎても困りものかもしれませんな。
・「白い蟹」 ロシアが舞台ということに、唐突さを感じるのだが……。蟹とか蜘蛛とかもぞもぞ這う生き物は怪奇もののモチーフになりやすいのかもしれないが、その隠され方がなかなか秀逸。
・「暗い金魚鉢」 金魚を飼うことならば、ぼくも禁じられたことがある。というか、子供の興味などというものは長続きするものではないから、親としては金魚の後始末を思えば禁じざるをえないのではないか?妄想がたくましすぎるのではないかと読みながら思うが、<いないでもない>読者だって少なくはないだろうから、この妄想が成立するのでしょうね。
・「予言の研究」 予言は研究してはいけないものではなかろうか?無邪気に信じておくところにこそ不可思議さがある。お祖母さんが何を思って予言してきたのかというほうが気になるのだがな。
・「明日の新聞」 よくある未来の新聞もの……ではない。そうだな、とくに賭け事などする人は未来の新聞が見れたらなあというようなことを一度は考えるのでしょうかね。皮肉の効いたラストが秀逸。
・「杳として」 山中で仙人の碁を見る話。『陰陽師 太極ノ巻』の「棗坊主」と読み比べてみると面白いかも。この手の話で棋譜が残っているようなパターンのものは今までに読んだことがない。棋譜を解析できれば、人が本来踏み込んではならない領域の何かがわかるのでしょうか?
・「大心力」 こういう何ともいいようのない落語のような話が、じつは大好きです。ブラックユーモア仕立ての洒落た一編。
・「花あらし」 表題作、美しい優しい話です。カバーの紹介文にある<泣ける純愛ホラー>なのがこの一編だけなのがちょっと看板に偽りありのような気もしないではありませんが……。(2003/06)

『青二才の頃 回想の70年代』 (清水義範) 感想

もちろん、70年代をモチーフにした著者の青春回顧録として単独で読んでも面白い。しかしですよ、清水義範で70年代ということは、よくよく考えながら読まないといけないのではないかいなあ、などと思ってしまうのだ。どうしてかって?例えばノンSFでいうならば氏の自伝的作品『青山物語1971』、またはその続編の『青山物語1974』がまさにこの時代を取り扱っている。SFならば「国語入試問題必勝法」と並んでぼくが氏の作品を読み出すきっかけとなった「また会う日まで」、またはちょっと時代を遡ることになるが「イエスタデイ」や「続・イエスタデイ」。そう、清水氏は、物語に自伝的要素を取り込んできた人なのである。そのほとんどを、どこまでほんとうでどこからフィクションなのかなあ、などとニヤニヤしながら読み、学業や仕事の合間に投稿作品や同人誌を作っていたというような話に大いに共感してきたのです。それで、このエッセイ集。つまり、これって今までの作品のモトネタというかネタバレというか、そういうものが含まれているのですよ。
あ、これがあの話に出てきたあのエピソードのほんとうのところか、などという読み方をするエッセイじゃないのかな?うーむ。とりわけ、師匠である半村良氏との出会いのエピソードは興味深い。このエッセイ、70年代初めから、氏が作家としては作品集『昭和御前試合』を出版するまで、個人としては『青山物語1971』にも登場するあの女性とのご結婚が決まるまで、である。あと、余談ではあるが、この範囲だから、清水義範といえばインド、インドといえば清水義範だとはいえ、ノンフィクションだと80年代後半のこのエピソードは出てくるはずはないわなあ、と思っていたのだが、ちゃんとインド旅行のエピソードも入っているのだ。清水義範おそるべし(笑) (2003/05)




『北野勇作どうぶつ図鑑 その4 ねこ』 (北野勇作) 感想

なんだか構成が無理矢理だよなと3巻まで読んで思っていたのであるが、この4巻目はいい、いや構成は別にして。同じく『異形コレクション8 月の物語』に入っていた、あの「シズカの海」が収録されているのだからいいのだ。今のところ、北野作品では、ぼくはこの話がいちばん好きなんですよ。なんだか物悲しい話ではありますが、ネットで流布している例のミもフタもない話をよく昇華させたものだと思います。夢のような現実のような……そしてぼくたちが住んでいる世界は、彼女の思うどの世界なのでしょう?それを思う時、やっぱり悲しい気分になってしまうのはどうしてなのでしょう?(2003/05)

『北野勇作どうぶつ図鑑 その3 かえる』 (北野勇作) 感想

え?純真無垢だからああいうことをするんじゃないんですか?と思わずまたカバーの前書きに突っ込みを入れてしまう。北野作品を読む限り、このように氏が考えておられるとは思えないんだがなあ。冒頭の「螺旋階段」は『異形コレクション9 グランドホテル』の一編。独立した話として読むのもいいけれど、異形コレクションでもこのグランド・ホテルものに関しては通して読むとなお味わい深いと思う。古書で探すべし。他にも異形コレクションから二編。あれ?ということはかえるを表題にする理由がないような気がするんだがな。同じ長さなんだから、「蝉時雨」からとってセミの折り紙が欲しかったなあ、などと勝手なことを思ってしまうのだが……。(2003/05)

『蔓の端々』 (乙川優三郎) 感想

剣をもって立身をはかる禎蔵、しかし彼が思いを寄せていた隣家の幼馴染である八重は、どうやら知友の黒崎に伴われて藩を出奔したらしい。黒崎には家老暗殺の嫌疑までかかっていて……。いったい、どうしてこのようなことになったのか?
読み進むごとに、藩の内情や禎蔵自身の身の上が、信じていたところから食い違いを生じていく様が面白い。物事というのは一面的ではないものだ。まあ、この物語のような場合、ただ単に一面的でないではすまないのかもしれない。けっきょく、禎蔵は長い時間をその食い違いに振り回される結果になってしまうのだから。彼が物事の真実に到達していなかったのは、もちろん情報が隠蔽されていたからというところが大きいのではあるが、その隠されているということを察しえず、深くは追求してこなかったその性格にもよるのではないか?そういう物語だと言ってしまえばそうなのであろうし、上意に逆らえぬ一藩士という立場もあろう。しかし、後手後手にまわりすぎである、と思ってしまうのだ。とりわけ、物語の結末は、何となく悲しいものがあって、どうも納得がいかない。禎蔵という人物、受身にすぎるような気がする。男として物足りないと言ったらよいか?八重のある種の力強さと好対比である。まあ、ここまで受身に徹し切れるということは、もしかしたらすごいことなのかもしれないが、ぼくなどはこういう心境にはどうにもなれそうにないものだ。(2003/05)

『北野勇作どうぶつ図鑑 その2 とんぼ』 (北野勇作) 感想

<ヤゴゲルゲがトンボゲルゲにならずにそのままあっさりやられてしまうのは、たぶん番組の予算の関係>と言う北野氏。それならば、このシリーズが六冊に分かれている理由はいったいどこに由来するのだろ?しかも、カメのあとがトンボなのはどうしてなんだろ。そのうえ、トンボがほとんど出てこないのは何でなんだろ?そこに大きな陰謀を感じるのはぼくだけだろうか?(笑)。トンボは出てこないけれど、一編目の「新しいキカイ」という話が、かなりしぶくていい感じ。古き良きSFっていうテイスト。無理矢理に動物を頭にもってきてまとめなくてもいいのにと思うのだけれど、いかがでしょう?(2003/05)

『北野勇作どうぶつ図鑑 その1 かめ』 (北野勇作) 感想

最初、こういう本が出ると聞いたときは冗談かと思っていたら、ほんとうだったとは。『かめくん』はたしかにいい話だったけど、二番煎じじゃないのかと……。それにしても、レプリカメというのがいったい何なのか、これを読んでもやっぱりさっぱりわからない。わからないままでよいという一種の強引さを感じるのはぼくだけだろうか?折り紙を付録につけたりして今(それとも、ちょっと前か?)はやりの癒し系に見せかけているが、北野作品というのはけっして癒し系なんかではないのだ。不条理な哲学ものではないのかとも思えてしまう。不条理で、作中の何かにちょっと躓いて意味をとろうと模索していると、おそろしく消耗している自分に気づいてぞっとする(笑)。<カメリ>が第一話になっているので、きっと続きもあるのだろう。カメとは何なのかをさぐるため、続きを読まねばなるまい。あと、気になるんだけど、カバーに書いてある<対象年齢12歳以上>ってのは何なのさ?折り紙の本だと思って間違って子供に買い与えるなってことかなあ。(2003/05)

『陰陽師 太極ノ巻』 (夢枕獏) 感想

・「二百二十六匹の黄金虫」 冒頭に有名な法華経がおぼえられない話が出てくるので、ネタはあれだなということは容易に推察できる。だから、あのネタが陰陽師的にどのように処理されているのかというところに興味を持って読んでいたのだが、なるほどこうくるか。だからわざわざ「黄金虫」なんだなと思う。<ネタバレ>

ポーの「黄金虫」では"e"という文字をキーにしていたと思うが、おなじようにここでは"無"という字をキーにしているわけだ。なるほど経文であれば"無"という字が多く含まれる。これを足四本の虫としたところが
<ネタバレおわり>じつに陰陽師的で秀逸
・「棗坊主」 読んでいる最中に頭にあったのはリップ・バン・ウィンクルである。よく浦島太郎の引き合いに出されるようだけれど、それはちょっと違うのではないかとも思っている。リップが山中で出会った小人たちがしていたのは、たしか九柱戯というボーリングのようなゲームだった。この話では碁になっている。はて、仙人が碁を打っているところに出会う話も何かで読んだ気がするのだが、何だっただろう?時間というものがわかったような気にも、わからなくなったような気にもなる、そんなお話。
・「覚」 この話に<さとる>という題をつけてしまうのは、いささかストレートにすぎないか?晴明と博雅のかけあいはいつものごとく楽しいが、怪異としてはどうも……。あと、晴明が覚を退治するやりようも、なんだかストレートにすぎる。まあ、さとるといえばあの方法というのが有名なので、あえてこうしたのかもしれないが、どんな方法を使うのかと楽しみにしていたので、ちょっと肩透かしをくった気分だ。
・「針魔童子」 性空聖人といえば、ぼくの住んでいるあたりでは有名である(と思う)。西の比叡山とも言われる西国第二十七番札所、姫路の書写山円教寺を開いた人である。書写山といえば、ぼくにとっては何度も訪れたかなりなじみ深い場所。なんだか、こう不思議な気持ちのまま読み進んだ。あの山道が、そのまま古の京へと続いているような……。(2003/05)

『おちゃっぴい 江戸前浮世気質』 (宇江佐真理) 感想

・「町入能」 江戸城を間近に見ることにあこがれる大工の初五郎と浪人の花井のふれあいを描く。勅使の接待のため江戸城では能が催されることになるが、その舞台の見物に庶民もまた招かれることになり……。江戸の身分社会というもののたてまえと本音が見え隠れして面白いです。ちなみに、庶民を開放された江戸城の舞台に招くという町入能は本当にあったものだそうです。
・「おちゃっぴい」 表題作。川柳に「おちゃっぴい へそからでたと おもってゐ」というのがあったなと思っていたら、まさにそういう話。駿河屋のお吉は親からすすめられた手代との祝言話がいやで裸足のまま家を飛び出すが、そこで偶然出あったのは絵師の英泉であった。もちろん英泉とはあの英泉、どうなることかと思っていたら、これが思わず頬がゆるんでくるようないい話。かわいいなあ、などと思ってしまうのは、ぼくがおっさんになった証拠でしょうか?この話に出てくる北斎やお栄、そして英泉こと善次郎は、杉浦日向子の『百日紅』のイメージに近いなあ、と思いました。そういえば、この川柳も同じく『風流江戸雀』でおぼえたのでした。
・「れていても」 これも川柳ですね。「れていても れぬふりをして られたがり」 惚れた女のためにと菊次郎が啖呵を切る様が<いっちすげえ>。江戸の男だねえ。心地よいではありませんか。しかし、読了してから自分の無知ぶりを露呈。馬骨って実在の人物ですかね?あと、玄伯って、ほんとうにそういう意味なのかな?歴史を暗記するだけでは、こういう生きた面白さは味わえないよな。
・「概ね、よい女房」 これは「町入能」の後日譚。甚助店に新しい店子が入ることになったが、この浪人者の夫婦じつに変わったふたりで……。<概ね>ってのはいい表現ののろけ方だなあ、と思いました。(2003/05)


『サニー・ランドル・シリーズ 束縛』 (ロバート・B・パーカー) 感想

<サニー・ランドル・シリーズ>も早いもので三冊目。しかし、いきなり冒頭から「わたしはリッチーの手が好きだった」と来るか?そんなに元夫が好きなんだったら再婚すればよいのに……。この摩訶不思議なバランス、女性の読者はどう受け止めているのだろう?とても気になるところです。今回のサニーの仕事は精神分析医の元夫にストーキングされているベストセラー作家の身辺警護。同じ元夫でもこういうのは願い下げですね……。
サニーはこの精神分析医に近づくためにセラピーを受ける患者になることにするのですが、逆に彼女自身の心理的問題点を指摘されることになります。そう、テーマがこうである限り、これはある意味もちろんスーザンとスペンサーの関係の再話、それも女性の視点からの再話であるわけです。けっきょく、完全な人間であること、独立した人間であること、というのはもっとも信頼する対人関係においてとても困難であることを、物語はパラドクシカルに語っていくことになるのでしょう。「きみが泣いたのは、おれがすべてを支配していたわけじゃなくて対等な関係だったから」というリッチーの言葉はとても含蓄深いものです。
以前の感想の繰り返しになりますが、自分自身で何かを成し遂げるということと、誰かにある範囲を任せるというのは両立できることなのです。どうやら女性というのは一般的にこれが両立しないものだと考えているようにぼくには思えてなりません。「ほんとうの私自身」なんて幻想であることを男性はたいていは気づいているはずです。というか、男というのはそういう他者との関係性を抜きには存在できない生き物なのかもしれませんが……。(2003/04)

『髪結い伊三次捕物余話 さらば深川』 (宇江佐真理) 感想

シリーズ第三弾。さて伊三次とお文の恋模様の次なる展開が気になるところですが……。
・「因果堀」 やるね。同心の不破友之進はさすがな男だ。こういういい上司に恵まれている伊三次がうらやましいと思うサラリーマンは掃いて捨てるほどいるはずだ。それにしても、事件のほうはかなりやりきれない。こういう岡っ引とは何かを考えさせるような話をまず持ってくるところが心憎いやり方だ。これにて振り出しに戻る。
・「ただ遠い空」 祝言をあげることになったお文の女中おみつ。後釜に決まったのは……。前話でひとくぎりということもあってか、インターバル的な話。事件らしい事件は起こらず、ちょっとユーモラス。ここまでけっこう緊迫してきただけにほっとする感じ。
・「竹とんぼ、ひらりと飛べ」 <何も考えず竹とんぼを飛ばしていりゃ、ごきげん>とはお文が子供を評しての言葉。そうだな、大人は考えることが多すぎる。でも、きっと何も考えずに竹とんぼを飛ばしていたような思い出のひとつふたつがあるからやっていけるんだろ?ここにきて、いきなり語られるお文の事情。それでもゆるがない伊三次の心。
・「護持院ケ原」 このシリーズに幻術なんてものが出てくるとは思わなかったので少々面食らう。この幻術使いの鏡泉という名前とか術のイメージはなんだか、杉浦日向子の『ニッポニア・ニッポン』の「鏡斎まいる」の鏡斎に似ている。というか、たぶんよくある挿話で、どちらももともと中国のそういう話がモデルなのかもしれない。
・「さらば深川」 え?深川から離れてしまったのでは、もう辰巳芸者とは言えないじゃないかと一瞬思ったのだが、よく考えればお文が主人公なわけではなし、それはそれでよいのだね。これでまあ、伊三次とお文の間に(いや、主に伊三次の前にか?)立ちはだかっていた最大の障害物は消えてなくなったわけです。もう少し格好よく決めて欲しかった気もするのですが、こういう展開はこういう展開で、じつにこのシリーズらしいとも言えましょう。次なる展開に期待したいですね。(2003/04)

『グイン・サーガ89 夢魔の王子』 (栗本薫) 感想

やっぱり、マリウスという男は物語のふしめふしめに出てくる。そう、まるで歴史のすべてを記録し、後にすべてを語ることを運命付けられてでもいるかのように。グインの勇猛さよりも、ぼくにはそのほうがよっぽど謎のような気がするんだがな。まず重要場面を外したことがない。しかもグインに劣らぬ事情通だよね。本人にはあんまり自覚がないような感じだけれどさ。「もう、おそばを離れませんよ」って……あのなあ、妻子のことはいったいどうするつもりなのさ?この人を見ていると、人生のあれこれに悩むのが何というか馬鹿馬鹿しくなってきません?
ところで、表題にある<夢魔の王子>はもちろんアモンのこと。地獄の王子ですな。キタイの竜王みたいに怪物怪物しているよりも、こういう人間の形をしている化け物のほうが何というか怖ろしいです。しかし、こういうふうに展開するとレムスは出る幕がありませんね。どうやってレムス君が<中興の祖>になるのか、ほんとうに心配です……。(2003/04)

『薔薇盗人』 (浅田次郎) 感想

なんだか暗い話が多い……。こういうのを読んでカタルシスみたいなものを感じられるようになったら、大人ということかな?表題作他5編。
・「あじさい心中」 昭和30年代くらいの古い映画を深夜放送で観たような感じ。リストラされた中年のカメラマンと流行らない温泉街の年増の踊り子。ストリッパーという言葉も文中に出てくるのだが、なんだかそういう派手やかなイメージとは違うような。リリイといえば、寅さん映画のどれだったかに浅丘ルリ子が出ていて、その役どころがストリッパーだった。いや、ためしに「リリーストリッパー」で検索すると他にも山のようにヒットする。代名詞みたいなもんだろうか?いずれにせよ、話として美しすぎて、現実の心中とはかけ離れているのだろうな。<三国一じゃ、われは仏になりまする~>とか囃子が聞こえてきそうな気がする。
・「死に賃」 大金を払えば安楽な死を約束してくれるという会社からのダイレクトメール。<中国五千年の秘術>とくるといかにも怪しげな感じもするが。死期が近いとこういうことが気になりだすんだろうか?そういうことに大金を使おうとするから金持ちというのはわがままだと思うのだがな?しかし、男というのは最後の最後までこういうもんかいな?
・「奈落」 冒頭3編までが死ぬ話ですね……。高層エレベータが到着しない状態でのぞきこんだ、ぽっかり空いた暗い穴。たしかに奈落だ。でも、そうであるのならば、およそビジネスビルというものはあちこちに奈落を抱えているものらしい。ちなみに、うちの会社のエレベータは、長時間運転してないと照明がオフになるように設定してあるようだ。どこでもそうなんだろうか?あの暗い空洞はたしかに何か怖ろしい感じがする。
・「おひなさま」 どう読めばいいのだろうね。もはや現代にはないような寓話として読めばよいのか?死ぬ話ばかりが続いたので、かえってとまどうというか。これで純粋な話だなあと思えるのは時代設定が古いからなんだろう。現代だとこうはいかない。つらいことだね。
・「薔薇盗人」 表題作。作者曰く<三島由紀夫への嫌がらせみたいな>話なんだそうだ。それで、解説によるとその三島作品というのが『午後の曳航』。どうなんだろう?ことさらにここに写しはしないが、たぶん文芸的には解説の通りなんだろう。でも、ずいぶん昔に読んだので間違っているかもしれないが、ふつうは表面化しない少年という存在の残酷さを自覚的に描き、前面に押し出しているところに三島の怖さがあったように、ぼくは記憶しているのだがな。そして、その残酷さと限られた時間のゆえに少年というのは美しいのだろうな。対して、この編は無自覚の残酷さを描いているようにぼくには思えるのだが?少年ってそんなに利口でも美しくもないよ、というか……。読み方が浅いのだろうな。何にせよ、父親にこういう手紙を書く六年生の少年を気持ち悪いと思ってしまう時点でこの話の読者失格なんだろうなあ。(2003/04)

『ドリームバスター2』 (宮部みゆき) 感想

前作『ドリームバスター』に続く第2弾。『ブレイブ・ストーリー』という大作も間にはさまったし、そろそろ宮部みゆきファンタジーというものに読者は抵抗がなくなってきただろうか?ストーリーは前回に続き、シェンとマエストロ、ふたりのドリーム・バスターの活躍を追います。1の「DBの穴」からの続きというイメージですね。冒頭から<血まみれローズ>がらみのエピソードがマエストロとの出会いも含めてかなり長く続くのには驚きました。もう少し微妙な感じで進むのかなあと思っていたもので。でも、これは何というか、シェンの側からした事実というか、そういうものの羅列でしかないですよね。ローズ自身の肉声が聞けるわけではもちろんまだないので、どちらかといえばシェン自身の持っている情報を冒頭にあたって整理し、読者に彼と同じ立場に立ってもらおうとしているのでしょう。
思うに、けっきょくのところドリーム・バスターという職業に就いたことで、シェンは自分の内面とより深く対峙せざるを得なくなったということですね。今回の「目撃者」事件にしても、そういう意味ではDP自身の問題点、あるいは逃亡者の事情を探っていくうちに、自分をみつめなおさざるを得なくなっています。これは、どのような職業につき、どのような人生を歩んでいようと多かれ少なかれそうなのかもしれませんが、つまり、よりそれが直接的になっているということです。人は一面的な事実だけではカテゴライズできない難しい生き物だという発見、これは一般的に少年たちにとって重要であるようにシェンという少年にとっても大事なことです。これらの経験は、やがてシェン自身の問題<血まみれローズ>との対決に向けての準備になっているはずです。だから、このシェンというキャラクラーは、宮部氏の平常描く「少年」のイメージからかなり逸脱しているようにも見えるのですが、おそらくそれは表面的にそうであるだけなのでしょう。
物語がその構造上ずいぶんと精神分析的になっているので、ときどき描写がそういう教科書で読んだもののようになっているような感じもしますが、これもだから最初に掲げているローズとの対決というテーマが、精神分析的にいえば人口に膾炙したあれだからでしょう?シェンとマエストロの活躍はまだまだ読んでみたいのですが、どちらかといえば、そこのところに対する宮部氏の解釈はどうなのよ、という点について早く知りたいなあ、と考えています。
そうそう、マエストロと直接やりとりしている研究所”檻”の所員の通称が”ディープ・スロート”などというお遊びもいいですね。すばらしい。そのうち、敵に”スモーキング・マン”とか出てきてくれると、なお面白いのですが……。(2003/04)

『停電の夜に』 (ジュンパ・ラヒリ) 感想

以前、単行本で出版された時にちらりと立ち読みして興味をおぼえた一冊。なにやら著名な賞を数々受賞しているようだけれど、読了してみてなるほどね、と思う。ただ、やはりそうであれば、原文にあたってみたいなあ、という気もする。まあ、英語で読んでみたいと思ってもそれだけの読解力がないので果たすことはできないのだが……。作者はインド系ということで、そういう題材の話が多い。
・「停電の夜に」 日本語版の表題作。5日間続く夜の1時間の停電のあいだ、インド系アメリカ人の夫婦が互いの秘密を打ち明けるという話。奇妙な味わいと静かな緊迫感がある。こういうのを解かれることが誰にも望まれてない謎というのかもしれない。
・「病気の通訳」 原本の表題作。日本語にすると何だか地味な感じのタイトルだが、内容はむしろコミカルと言ってもよい。インドの観光地を案内する通訳の男が、アメリカのよくいるタイプの一家族に対して考える様々な事柄。男の内心の動きがだんだんと家族の行動とちぐはぐになっていくような感じが面白い。
・「三度目で最後の大陸」 じつは、この本についてはいつもとかなり傾向も違うし感想も書きづらいので、やめておこうかとも思った。しかし、この最後の一編、これが泣けるほどいいのである。やはり書いておくことにしよう。他の八編について言えば、どこか変わった視点、あるいは状況から物事を書いているのだが、これについては違う。主人公は例によってインド系アメリカ人だが、彼がアメリカにやって来た最初の6週間をごくふつうにさりげなく描いているのだ。そして、そうでありながら、この編がいちばん驚きに満ちているように思える。物語のしめくくりの言葉は「どれだけ普通に見えようと、私自身の想像を絶すると思うことがある」となっている。この短さに封じられた時間と距離を思う時、この言葉がしみじみと胸に響くのである。いい本を読んだなあ、と思っている。(2003/03)

『ブレイブ・ストーリー』 (宮部みゆき) 感想

宮部みゆき版<剣と魔法の物語>。ファンタジーだということで、どういう処理がしてあるのか出版前からずっと気になっていました。もちろん宮部作品はSF的題材を数多く扱ってきたし、最近作『ドリーム・バスター』は本格的なSFでした。しかしながら気になるものは気になるのです。ぼくがした心配というのは「宮部みゆきはRPG好きということだから、ファンタジーとなると当然そういうものべったりな異世界ものになって、現実味に乏しいかな」ということでした。はっきり言えば杞憂。この長大な物語の上巻半ば、つまりふつうの長さの長編1冊分までは、ぜんぜんRPGじゃないんです。現実の<大人の世界>に傷つき戸惑うひとりの少年の物語なんです。途中まで読んで思いました。なるほど、これは新聞連載だったっけ。だから、どんな読者が読み始めてもついて来れるようにしておくのは当然だよな、と。半村良の『岬一郎の抵抗』がやっぱり途中まではぜんぜんSFじゃなくて、新聞連載なんだから下町人情ものなんだよなと思って毎日読んでいたのをちょっと思い出しました。
主人公である小学校5年生亘(ワタル)は、やがて<幻界>への扉をくぐり、自分の<願い>をかなえるために<運命の塔>を目指す<旅人>となるのですが……。この旅路はRPGそのものですね。願いをかなえる旅というと、ぼくなどはエンデの『はてしない物語』を思ったりもするのですが。ゲームに縁のない大人の読者には、なるほど子供が夢中になっているRPGってこういうものなんだと思って読んでほしいです。また、ふだんは本なんか読まないゲーム少年少女は、自分たちにほど近い位置にいるワタルを通して、物語を読むという醍醐味を存分に味わってほしいですね。そうそう、小中学生くらいでこのこの物語を新聞連載で読んだなんて人はいますか?もしそうならば、それはなかなかに得がたい、すばらしい体験をしたと言ってよいでしょう。毎日、連載部分だけ切り取って、スクラップなんてしませんでした?それは宝物なので、大事にしたほうがよいです。ワタルが物語の中で手に入れた<宝玉>に匹敵するものですよ。ぼくは、昔そうしてスクラップしていた井上ひさしの『百年戦争』を、途中でとる新聞を別のに変えられてしまったために最後まで読めなかったという苦い思い出があります(笑)。
ともあれ、原稿用紙2300枚分。人々との出会い、別れ、そしてライバルとの戦い、すばらしい冒険の旅が、読者を待っています。もしも映像にするならば、映画じゃないほうがよいです。毎日15分ずつ連続TVドラマにならないでしょうか?なんだか、そういうスタイルが似合うような気がするんです。連続TVドラマ『ブレイブ・ストーリー』。よいと思うのですがいかがでしょう?
さて、これから亘と旅に出る方には、「いい旅を」と言いましょう。そして、読了したあなたには、やはり、こう言わねばならないでしょうね、「ヴェスナ・エスタ・ホリシア」と。




『石に刻まれた時間』 (ロバート・ゴダード) 感想

円を基調とした奇妙な胸騒ぎを誘う家<アザウェイズ>、そこに住まう人々はやがて夜毎の奇妙な夢に支配されるようになり……。面白いよ、とてもすばらしい。ホラー風ながら、ぼくの嫌いな「いわゆるホラー」には陥らず、その奇妙な現象をもとにして起こる事件と、それに人生を翻弄される男を重厚に描いていて飽きさせない展開はさすがゴダード。死せる妻に語りかけるという形の告白調も読むほどに味がある。物語としては、これで充分なんだがな。ゴダードだってことに期待しすぎるのかな?この<アザウェイズ>っていう家の処理方法がやっぱり中途半端でしょう。奇現象の理由を明確に説明しないことで玄妙な感じを出そうとしたのかもしれないけれど、説明しないというやり方はやっぱりオカルトとかホラーとかにしか通用しないもんだと思う。人間には理解できないんだけれど、そういうこともあるんだってやつね。でも、これはあくまでミステリなわけでしょう。ならば、<アザウェイズ>というホラー風素材についても、やっぱり一定の解釈を示してほしかったなあ、と思う。「キングを連想する向きもあるかと思うが」と解説にあるけれど、奇妙な家に精神を蝕まれていくというのは、つまり『シャイニング』のことだよね。同じ題材を扱っているけれど根本的に違うと言われればその通り。解説者はキングを「漆黒の闇」、ゴダードのこの作品を「透明の闇」と表現しているけれど……。問いたいのは、じゃあその場合軍配はどちらにあがるのですかね、ってこと。少なくても、キングの『シャイニング』は純粋に怖ろしいと感じるための作品だからね。恐怖を描くのであれば、その闇はやはり漆黒でなければならないんじゃないだろうかな?まあ、漆黒にしてしまうと、そもそもミステリでなくなってしまうんだが。奇妙な表現かもしれないけれど、一般的にみれば佳作だがゴダードにしては少し物足りない、というところですね。(2003/02)


『グイン・サーガ88 星の葬送』 (栗本薫) 感想

カバーイラストは、花に囲まれて今や静かな眠りについた彼の人。この花はアムネリアなのだろうか?思えば、遠く異郷の地では、かつては彼の人の花嫁なることを夢見た佳人も時を同じくしてこの世を去った。主要な人物が次々と世を去っていくな……。あらゆる意味で服喪の悲しみにつつまれる一巻。ヴァレリウス、リンダ、マリウス、そしてイシュトヴァーン……。それぞれの悲しみはあるのだろうが、性格べつにうまく描き分けているなあと思う。ヴァレリウスがもうちょっと彼とナリスの関係において冷静だったら、マリウスがああも周囲を見ない人間でなかったら、リンダが今少し自分の感情を優先させるタイプだったら、そしてイシュトヴァーンがあんなにガキではなかったら。そう、すべては違っていたであろうに。でもしかし、それはそうとしかなりようがなかったのだということも、各人のこの反応が如実に物語っておりますな。彼の人を失ったことで、それぞれの運命はまたどのように流転していくのでしょうや?(2003/02)

『さみしさの周波数』 (乙一) 感想

・「未来予報」 予測でも予知でもなくて予報。<天気予報のように、絶対確実ではないから>
子供の頃、そうだな、それこそ小学生くらいの頃だろうか、未来という言葉には何か意味もなく幸せな響きがあったような気がしないか?世界の情勢も、地球の環境も、なんとかの大予言も、自分とは別世界のお話だったような気が。未来というのが単純な絵空事ではなくて、今現在自分のいる時間と場所から地続きのどこかだと身をもって知ったのはいったいいつのことだったろうか?ありえたかもしれない時間とか世界を頭の中に浮かべて、せつなさとか懐かしさという言葉ではくくりたくない。知ろうとすれば知ることができた何か、変えようとすれば変えられたかもしれない何かに対し自分が罪ある者であると悟った時に生じる欠落を、そんな言葉で表してもよいのだろうか?でも、それならばこの読後感を何と表すのかと言われれば、やはり悲しいくらいにせつないとしか言えないだろう。未来など見えなければよいのに。
・「手を握る泥棒の物語」 人生は喜劇だったり悲劇だったりする。より精確に言うのであれば、往々にして悲喜劇な場合がある。それでも、ある時に、捨てたものではないと感じることができるのも人生だろう。一編目を読んで気持ちよく泣ける人ばかりではないだろうが、そういう人もこの二編目に救われるにちがいない。
・「フィルムの中の少女」 ほとんどの読者が作者に望んでいるのは、じつはこういう傾向の作品なのだろうか?写真とかフィルムにまつわる怪談というのは数多いが、この設定もかなり怖い。ただ、ラストは、この短編集の中の一編としてみるとこういう方向にいくのかもしれないが、独立した作品として読んだ場合はちょっと弱いのではないかとも思った。
・「失はれた物語」 いいなあ。この短篇集の中ではいちばん好きですね。妻と喧嘩した翌日に事故に遭い、右手の他には外界とのつながりを絶たれてしまった男。もと音楽教師の妻は、男の腕を鍵盤にみたててピアノ演奏を行う。すばらしい。こういう作品をせつないというのではないか?陰惨で、せつなくて、しかもブラック。最初は乱歩の「芋虫」を思い浮かべていたのだが、途中でいやいやこれはある意味では筒井康隆の「生きている脳」だな、とも思う。同じ身体の喪失をテーマにして、乱歩は陰惨に、筒井はあくまでブラックに、となるのに比べそれらの要素が絶妙にまじったこの匙加減は凄味さえ感じる。(2003/02)


『街の灯』 (北村薫) 感想

単行本はHONKAKU MYSTERY MASTERSの一冊。上品なカバー写真と装丁はこのラインナップ共通のようだ。ちなみに装丁は京極夏彦。

舞台が昭和初期であることに最初は少々とまどう。人物配置としては”円紫さんと私”のシリーズに類似しているだろうか。両家のお嬢様で女学生の主人公と、お抱え運転手のベッキーさんのコンビ、どちらがホームズかといえば副題にmemories of my Beckyとあるから明らかだろう。出すぎずに年少者を導くホームズ……。彼女がなにゆえに運転手になったのかがシリーズの縦軸になるのだろうが……。
・「虚栄の市」 『虚栄の市』というのはイギリスの作家サッカレーの作だそうです。不勉強にして未読。だから、その登場人物にベッキーさんが擬されているのがはたしてほんとうに妥当かどうかは判断いたしかねます。ただ、この編での文武両道な活躍を見る限り、かなり複雑な背景を持つ女性であることは確かですね。シリーズの冒頭を飾るにふさわしく、盛り沢山な面白さがあります。
・「銀座八丁」 前編のラストからの気分を引き継いだからか、主人公である英子の何というか知ったかぶりが少々鼻につく。ティーンエージャーにありがちな、あの感じである。まあ、そこはそれ、きっと作者の計算通りなんだろう。鼻につくといっても嫌味には感じないが……英子と同じようなあやまちをしたことあなたはありますか?そう、あの赤面するような感じですな、どちらかといえば。心理的年齢的にもはや英子の立場には立ちにくいです。
それにしても、<御数奇屋坊主でも、河内山は直参>か……。いずれも20代そこそこと思われるのに、昔の青少年は皆こんなに博識だったのでしょうかね?それとも、良家の子弟だから?うーむ。時代というフィルタをいい感じのめくらましにしている。英子の視点で見ていると、だからやすやすとだまされるような気がするな。この期に及んでも、<ベッキーさんは、まだ村上開新堂のお菓子を食べたことがないだろう>というのはその典型か?本質が見えていないのであるよ。
・「街の灯」 いわずとしれたチャップリンの名作の題名を引いてあります。物語といわず映画といわず、人は自分の心を何かにうつして見てしまうものですね。「街の灯」をそのように見てしまう感性がおそろしいというか、そのように見てしまう人もいるのだろうということに思いが及んでいる作者がおそろしいというか……。英子はこれをはじまりに、人の本質たるものにじょじょに触れていくことになるのでしょうか?ベッキーさんの謎と英子の成長が、この物語をひっぱっていくのでしょう。次巻が出るのが待ち遠しいですね。(2003/02)

『インフィニティー・ブルー』 (平井和正) 感想

<21世紀エイトマンDNA>と下巻の帯にあるが、サイボーグ(この物語ではマシナリーと称される)を扱っているということ以外には、『エイトマン』とも『サイボーグ・ブルース』とも何らストーリー的連続性があるわけではない。ヒロインのひとりである記憶をなくした少女がサチコという名前ではあるが……。だから、エイトマンと連続しているのは、むしろその精神なのだといえるかもしれない。
さて、もっとも最近の平井和正の諸作品から入った読者は、けっこうとまどいを覚えたのではないだろうか?『ボヘミアンガラス・ストリート』や『月光魔術團』とは明らかに方向性のちがう重厚な物語が展開する。イメージ的にはむしろ『黄金の少女』や『犬神明』に近いものがあるだろうか?暴力的な背景と純粋な愛情の奇妙な同居、そしてそれゆえに起こる出会いと別れ。こう書いてしまうと陳腐かもしれないが、ひとりの若者が真実の愛を求めてさまよう物語である。昔からの読者であれば頁をめくるにつれ、平井和正を読んでいるんだよなあという満足感に心地よくひたることができるだろう。
そして、最終的には、ぼくの興味は『サイボーグ・ブルース』のラストシーンではけっして解決したとは思えない、異質な者であるゆえの疎外感をどう解決するかということだった。東八郎はその正体が露見した時、去らずにはいられなかった。アーネスト・ライト警部も、最後までそこが自分の居場所であると確信することはできなかった。この物語の主人公ジョナサンはどうか?サチコとの出会いは彼に何をもたらすのか?そればかり考えながら読んでいたものだから、ラスト近くのジョナサンの台詞<ネタバレ反転>

「サチコは夢の女だ」
<ネタバレおわり>には頭を殴られたようなショックをおぼえた。<ネタバレ反転>
「夢の女」
<ネタバレおわり>が何を意味するのかは長年のヒライストにはあまりに明白なことだったからである。こうは考えられないか?<ネタバレ反転>
サチコが数十年前に失った愛しい男とは、じつは東八郎なのだと。サチコはけっして帰らぬ男を待つ「夢の女」なのだと。だからこそ、この物語のラストシーンこそが、サチコにとっては止まったままであった時間を動かす始まりになるのだと信じたい。この物語のサチコにこそ平井作品に数多く登場する「待つ女」として、最初に幸せをつかんでほしいものである。
<ネタバレおわり>

しかし、これだけの作品が、最初はネットでの限定販売予定だったのだから驚く。けっこう高価だったので、万年金欠のぼくとしては涙を飲むしかなかったのだが、ほとんど待つことなく集英社で文庫されたので、とてもありがたかった。限定版もせめてふつうに書店で売っているハードカヴァーほどの値段であれば、ぜったいに買うのだがな。あと、できれば一冊ずつ分売してほしいです(泣)。
だから、集英社さん、次はぜひ『幻魔大戦DNA』の文庫化をお願いいたしますよ!!(2003/01)



『虚空の逆マトリクス INVERSE OF VOID MATRIX』 (森博嗣) 感想

シリーズ完結のあとに入る短編集ってくせものかもしれない。冒頭の「トロイの木馬」が短編としては長いかなという感じ。読みごたえのあるSFタッチでぼくとしては好印象。ふたつめの「赤いドレスのメアリィ」がよい。いつも同じ赤いドレスで何か誰かをバス停で待ち続ける老婆。ちょっとハードかなっていう一編目のあとにこういうのを持ってくるところがすばらしい。四編目「話好きのタクシードライバ」に思わずニヤニヤする。タクシーの運転手は無口なほうがよい、とぼくも思うぞ。ぼくのようなペーペーのサラリーマンがタクシーを使う時って、かなりやむにやまれぬ緊急性の高い用事だったりするので、できれば話しかけないでほしいのだよなあ。あれ?タクシーはタクシィではないのだな。長音のイを小文字に変えるのって森博嗣の法則ではどうやるんだっけ?まあ、いいか。
そして、やはり何よりシリーズ読者には「いつ入れ替わった?」がうれしいよね。S&Mはこれにて完結なのかしら?どうもそうとも思えない。

「私……。どうしたら良いですか?」「クラッチを踏んで、ローにギアを入れる」

このためいきをついて首を左右に振るしかないような会話にロマンティックなものを感じることができる方は、シリーズ読者を宣言して差し支えないでしょう(笑)。
あと、次の刊行予定が『四季』って題名なのが気になるといえば気になる。巻末の惹句もあまりにストレートすぎるので、真賀田博士とはまったく無関係かもなあ、などと勘ぐってしまうのだが(笑) (2003/01)

『ねじの回転』 (恩田陸) 感想

1936年2月26日、2・26事件を再生しようとしている人々がいた。未来世界では、時間に介入したがためにある種の歪みが生じ、奇病が発生していたのだ。彼らの任務は史実を記録したコンピュータ<シンデレラの靴>を用いて2・26事件をその<史実>の通りに<再生>し、歴史を修復することにあった。重厚なる時間SFにして恩田版『地には平和を』だとぼくは思う。現時点では他のすべてより頭ひとつ抜けて恩田陸の代表作といっても過言ではなかろう。
歴史を修復するために、現地、つまり本来その時間に属する人々の協力が必要というところにまずは唸る。<シンデレラの靴>に記録された以外の行動を彼らがとると<不一致>になり、途方もないやり直し作業が発生する……。何と救いがなく心に重くのしかかる設定だろう。すべてをカウントダウンされる正規残存時間のうちにやり直さねばならない、己の愚かさもあやまちも、すべてを知っている上でやり直さなければならない栗原中尉と安藤大尉の焦燥と孤独が冒頭からひしひしと迫ってくる。どうして別のことをしてはならないのか?なぜ違っていてはいけないのか?歴史とやらにとって自分はいったい何なのか?ほんとうに歴史にとってIFは許されないのか?歴史改変テーマのSFが始まってから何度も何度も繰り返されてきたこれらの問いが、今新たに恩田陸により問われている。そして、合間合間に挿入される短い断片的なエピソードに見える歴史の歪み……。歴史の再生に秘められたほんとうの目的とは何か?息もつかせぬ展開である。これを書いている今日、2003年3月23日であるが、TVでは<海の向こうでの戦争>のニュースが流れている。開戦、小泉首相のコメント、と内容を知ったとき、じつは最初に頭に浮かんだのがこの物語のことであった。どこが?と問われるのであろうか。きっと、この物語を読んだ方々すべてに納得していただけると思うのだが、それは<ネタバレ反転>

日本などアメリカの一州であっても何の不都合もないという考え方だ。だって、今だって属国と変わりはないのではないか?アメリカにとってはどうであるかしか歴史には重要ではないというのは何とも空しい
<反転終わり>
さて、そして物語の結末部、ひとりの少年が汚れた雪の中から拾いあげるピリオドと呼ばれる懐中連絡機が、あの小松左京の名作「地には平和を」の黒桜隊のマークとだぶって見えるような気がするのは、ぼくだけなのだろうか?(2003/01)


『仮面ライダーディケイド 第12話 再会 プロジェクト・アギト』 感想

『仮面ライダーディケイド 第12話 再会 プロジェクト・アギト』を観ました。
アギトの世界。プロジェクトG4じゃなくてプロジェクト・アギトなのね。G3-Xを指揮するのは、小沢さんじゃなくて八代さん。クウガの世界の八代刑事とは別人のようです。名前も藍と淘子で違うし。でも、これではユウスケの心が千路に乱れるのも無理はない。グロンギも絶滅してないし、どうなっているのかな?ここはクウガが存在しなかった世界なのだな。
それにしてもG3じゃなくて、なぜにいきなりG3-Xなのだろう?それに、アギトの世界といいながら、アギトは登場せず。エクシード・ギルスに変身するのが芦河ショウイチ?ショウイチってショウイチか?ギルスはアギトになれなかった者なんだけど、エクシード・ギルスはその不完全性を克服してアギトと対等だったのでは?うーむ。やっぱり、このショウイチがエクシード・ギルス→アギトに変身するのかな。G3-Xも不完全だし、ギルスも不完全。アギトの世界のテーマは不完全性の克服ってことか。


『真マジンガー 衝撃!Z編 第2話 始動!!マジンガー!』 感想

『真マジンガー 衝撃!Z編 』 第2話 始動!!マジンガー! を観ました。
なぜ、第2話が「始動!マジンガー!」なのかといえば、第1話が「大団円」という、たぶんZ編の終盤あたりのエピソードだったからです。ストーリーは大団円じゃなくて、謎が謎を呼ぶ伏線てんこもりのままで終わってしまいましたけれど……。このやりかたって、『真(チェンジ!!)ゲッターロボ 世界最後の日』なんかとも通ずるものがあるなあ、などと思いましたよ。ゴッドマジンガーまで出てきてびっくり。いや、というか、もっとびっくりしたのは、ガミアQが……(笑)。
ともあれ、第2話からが物語の始まりです。やっぱり燃えるものを感じますね。パイルダーオン一歩手前で<続く>とはこころにくい演出です。
上記のリンクは「テレビ東京 あにてれしあたー」です。無料配信されている上に、TV放映ではカットされたシーンも入っているとかいう情報もあったりします。ちゃんと見比べてないのですが、そうであれば同日視聴可能だし、無理して録画せずに配信バージョンを観ようかな、とも思っています。
ちなみに、下記はTV放映時にCMの入っている超合金魂マジンガーZです。超合金35周年で「完全新規金型によるフルモデルチェンジ」なんだとか。なんか、物欲がムラムラとわいてきますね(笑)。もともと、超合金ってのは、マジンガーのボディーに使われている<超合金Z>という架空の金属を表しているのですよね。

2009/04/11

『グイン・サーガ87 ヤーンの時の時』 (栗本薫) 感想

ついにこの時を迎えてしまったのだな、と思ったのはきっとシリーズ読者のすべてであろう。合掌。他の誰がシリーズよりいなくなるよりも、存在の喪失を感じてしまう。そう、思えば人として何と満たされない人生を彼は歩まされたのか。いや、なまじ人としての望みをあまり持たない彼であるがゆえに、これこそがつまるところ満ち足りた人生であったのか?古代機械の謎、ただそれをグインに伝えるためだけにヤーンに定められたこれは宿命だったのだろうか?彼のきらびやかではあったにせよ薄倖な年月が、ただただこの一日の会見のためにあったのだとすると、それこそが真実いちばん強い彼の願いであったにせよ、やはり人の子としては同情を禁じえない。ついに弟とわかりあうこともなく、最愛の妻に手を触れることもなく世を去らねばならないとは……。しかし、この別離こそがもっとも彼に相ふさわしいもの。ここにヤーンの時は満ち、すべての世俗の悩みより解き放たれたる彼に、黄泉路にての幸いこそをと祈らずにはいられない。(2002/12)

『黄泉がえり』 (梶尾真治) 感想

映画化作品ということで、ほとんどの書店で長期に平積みになっている。しかも主演がSMAPの草彅剛だものなあ。しかし、何というか、それでも書店で見かけるカジシン作品のはエマノンのシリーズを除いてはこれだけだという、ちょっと理解できない現象なんだけどな。こういう時こそ出版社は便乗するべきじゃないのね?あのすばらしい短編の数々をすぐに書店で入手できないなんて、どうかしているとしか思えない。長編に限っても『未踏惑星キー・ラーゴ』と『サラマンダー殲滅』は外せないでしょう?映画はつまり今回のところ主演で売っているので作家で売っているわけではないと?うーむ、それは長年カジシンのファンである我々に喧嘩を売っているわけだね。
さて、映画は未見なのでどの程度原作を取り入れているのか知らないけれど、もし見て気に入ったなら原作も読むべきでしょう。はっきり言いますがカジシンをSFファンにだけ独占させておくことがいかにもったいないか、この作品を読めば一目瞭然なはず。泣かせるSFを書かせてカジシンの右に出るものはいないことを、今回も輻輳するエピソードの数々でこれでもかこれでもかと証明してみせてくれます。死者が蘇ってくる話というと『異人たちとの夏』とか『回転扉』とか、何となくあちら側の色調をベースに書かれたものが多いような気がするのだが、これはこちら側、すなわち我々のいるこの世の側の事情をベースに書かれているのだな。まあ、なんといっても還ってくる人々が理屈ではともかく感覚的に自分が死者である自覚に乏しいのだものね。ひとつの限られた時間の中に過去の複数の人間関係が破綻なく存在するという、どこか不思議でまるで思い出そのものが目の前にあるような感じ。よいですよねえ。(2002/12)




『行きつ戻りつ』 (乃南アサ) 感想

旅をするのに理由がいるのだろうか、というじつにくだらないことを読みながら考えていた。収録されている各編の主人公たる女性たちは、いずれも何やらわけありで、わけありなゆえに旅をしている。旅をするのに理由がいるのかと考えてしまうのはぼくが男であるからだろうか?たぶん、同性からは同意してもらえると思うのだが、男の旅にはたぶん理由とやらはない。あるのは目的だけだ。その目的は仕事だったり家族サービスだったり自分の遊びだったりする。男の旅は目的地にたどりつくための旅だ。しかしながら、こうしてこれらの物語を読んでいると、女性にとってはそうではないのだな、というような漠然としたものを感じる。何やらわけありげで、どこかに向かっていたとしても、女性の旅はただ目的地に行くための旅ではないのだろう。旅をする理由とやらがあるらしいのだ。だから、旅をすることで癒されたりもするのだろう。考えてみれば、傷心旅行とやらをするのも男性の場合にはあまりないではないか?それは、要するに目的地と不一致な行動になってしまうからなのではないだろうか。そういえば、どこに行くかより誰といくかが云々というようなことを言うのも女性であるように思う。そういうふうに考えながらこれらの物語を読んでいくと面白くもあり怖くもあった。このように書かれてみなければ、しょせんぼくなどに女性の心理はおしはかれないのだと思い知らされるからだ。(2002/12)

『ロミオとロミオは永遠に』 (恩田陸) 感想

読み手を選んでしまう物語というのは是か非かということを読みながら考えてしまう。テイストが二十世紀サブカルチャーでテーマが大脱走だとなんだろね、という感じ。学生一般にとって学校なんてしょせん牢獄と同じなんでしょうかね?だとすると悲しいじゃないですか。
どうやら崩壊しているらしい世界、なぜか取り残されている日本人たちといったハードな背景から始まるのだが、悲壮にはならずになぜか戯画的に見える。受験戦争のカリカチュアかなあ、などと思いながら読み進めていくと、どうもそう単純でない。まあねえ、気に入らないというと全寮制の男子校(?)が舞台というところでして、そこでもう乗れないというか……。でも、考えてみれば全寮制の学校というのは恩田陸のお家芸なわけで、それが男子校だったらいつものようには乗れないと思ってしまうのは、ぼくの許容範囲が狭いのか。いやいや、この作品の場合は、せっかくそういう舞台なのにまったく耽美なところがないからいかんのだよ(笑)。好きな恩田作品にしては、読み進めるのにかなりの時間がかかってしまったし、これの感想をこんなふうに素直に書いていいのかどうか迷ってもいたのでこのページのUPが遅れに遅れたという。言い訳だなあ。こんなブロークンなことを書いている時点で、もはや何に悩んでいたのかもわかってもらえそうにないし。とにかく、ある意味においてハヤカワJコレクションだからこその作品ということは言ってもよいかもしれない。それと、試験シーンでは『国民クイズ』のK井K一の顔が浮かんできたりもしたのだが、まあ国家による歪んだ体制というところでは通じるものもあるかな?(2002/12)


『まろうどエマノン』 (梶尾真治) 感想

エマノン・シリーズ第4弾。巻頭には鶴田謙二の描くショートコミック「エマノンのおもいで」を収録。
1969年、とある事情で祖母のところにあずけられた小学校4年生の少年の視点で物語は語られる。やがて少年の出会ったエマノンは何か目的を持っているようだが……。
エマノンにとってすべての事象が「おもいで」であるように、例え一瞬の生をしか生きることのできないぼくたちふつうの人間にとっても、エマノンはたしかに「おもいで」なのです。人生の1頁にしっかりと焼き付けられた大切な「おもいで」。こういうふうな作品を読むと過去から連綿と続く時間の流れというものについて改めて考えさせられますね。アポロが着陸した夏、少年の日の輝かしい夏、しかしそれは人々が暗い過去の時代をなんとか通り過ぎてきたからこその夏でもあるわけです。この今という時間に我々が生きているということは、なんと不思議なことなのでしょう。
もちろん、エマノンは記憶者として時代の光も影も見てきた存在で、姿を少しずつ変えながら時代に寄り添い生きているわけですが、このシリーズの主人公たちが脳裏にえがくのは、あくまでも自分が会ったエマノンであることも、なんだか面白いことだと思います。この物語のラストで父と子が話し合っているのは同じ人物についてでもあり、またそうでないとも言えるのですから。
さて、あといくつエマノンの物語を読むことができるのでしょうか?エマノンの旅路は、人類という種の旅路は、いったいどこに行き着くのでしょう?いつかエマノンが人ではない種になる日がやって来るとしたら、そこで語られる「おもいで」は、はたしてなつかしいものにすることができるのでしょうか?(2002/11)

『グイン・サーガ外伝17 宝島』 (栗本薫) 感想

若き日のイシュトヴァーンの物語も完結編。時系列的にいえば、彼が傭兵になってスタフォロス城に現れるのはそんなに遠い未来の話ではないはず。しかし、なんというか、このイシュトヴァーンというのは異例ずくめの男ですよね。もともと『十六歳の肖像』の一編として作者が考えていたという『ヴァラキアの少年』が長編化したことが、このイシュトヴァーンのサーガに加速度をつけたような気がぼくはするのですが、いかがでしょう?そして、ついにはこの物語では上下巻になってしまいました。外伝の17、18ではなく17の上下……これはこのシリーズにおいては今のところ唯一の構成の仕方です。しかも、あとがきに作者本人が登場。中島梓名義ですらなく、堂々と栗本薫です。そもそも、このシリーズでは本編はあとがきをつけ、外伝は他の方が解説を書くという様式を守ってきたのですが……。作者の中に彼が占める割合としては、もしかするとグインより、ナリスよりよほど大きいのかもしれませんね。
それにしても、ほんとうに若きイシュトヴァーンの物語はこれで終わりなのでしょうか。本編での彼のかなり悲惨な境遇を知るだけに、こうして若く恐れ気のない彼の勇姿を読むことができるので、けっこうシリーズの救いになっているように思うのですが。まあ、とはいえ、今回はけっこうハードな物語だったかも。(2002/11)

『ハッピー・バースディ』 (新井素子) 感想

暗い。まあ、なんとなく想像はしていたんだけれど、これほどとは。ある意味『あなたにここにいて欲しい』より、『おしまいの日』より、『チグリスとユーフラテス』より読んでいてつらいのだな。小説の書けなくなった作家の話など読むものではないなと身にしみます。すくなくても精神的に不調な人は読まないほうがよいでしょうね。
しかし、あれだな。読者のほぼすべてが思っただろうけど、作中とはいえよりにもよって新井素子が一人称の物語を評して「かなりの確率で、”下品”になる」などと言うとは。いや、まあそれはその通りなのだろうけれど、新井氏はご自分が書かれてきた物語をどのように思っていらっしゃるのかとちょっと不安になった。一人称だけれど主人公は無意味な自己主張なんてしないのでとっても上品なのよ、とは思っておられないだろうな?
いや、誤解なきように改めて言っておくが、ぼくは新井作品の一人称な自己主張が大好きである。なぜかといえば、そこには登場人物の語る本音が生々しくあらわれているからだ。妙な言い方だけれど、新井作品の地の文は作者がかなり前面に出ていて、だから作者が作品に対して施している計算が見え隠れし、時にげっそりした気分にさせられるよね。<あ。ここでは○○さん、△△だから××って思ってるのね>というのが代表例か。これなどは計算とも言えぬ作者の声でしかない。しかし、これと一人称主人公の生々しい肉声が、何というか絶妙のバランスを保っているのだな。キャラクタと作者の幸福な共存とでも言ったらよいか。このバランスを楽しめるかどうかが素子ファンであり続けられるかどうかの境界線ではないかな?
まあ、そういう意味で、この物語の主人公のひとりである<あきら>がかなりの度合いで作者新井素子を反映しているのでは?という読み方をするとけっこう面白いかもしれない。もちろん、作中人物なのだから、まるまる100%(笑)というわけではないだろうが……。なに?(笑)の意味がわからない?いや昔々そういう特集誌があったのだよ。まあ、どうでもよいだろうが。(2002/11)

『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』 (J・K・ローリング) 感想

この巻を含めてですが、これまでの話は壮大なプロローグにすぎなかったわけです。これでやっと役者が揃ったような感じでしょうか。きっと、次を執筆中の作者はかなりのプレッシャーを感じているのだろうな、と思います。次巻『ハリー・ポッターと不死鳥の勲章(仮題)』は出版が遅れているそうですし。何しろ読む方にしてみればほんの数時間のことだけれど、書く方、またそれを訳す方はたまったものではないです。好きでなければできないことですね。願わくはこのテンションが最終巻まで持続されますように。
この巻は冒頭から波乱の展開。なにしろ章題が「リドルの館」ですものね。ハリーの夏休みシーンから始まるというお約束がここでもう破られています。3巻続いたいろいろなお約束がこれを手始めに破られていくのですが、みなさんはどう感じられましたか?この巻でそこまでやってしまってよいのかなと、ぼくなどは思ったのですが。まあ、これまでもあっと驚く伏線を多々はってきた作者のことですから、先の先まで計算済みなのかもしれないですね。
それにしても、3人組も14歳、それぞれにいろいろとあります。自覚していることも自覚していないこともね。読んでいて大人は回想モードに入りませんか?自分がその年齢の時はどうだったろう?とか。魔法使いであろうとそうでなかろうと14歳の悩みは14歳の悩みですよね。そして、どうなのでしょう?そろそろそのあたりが、子供たち、とりわけ低年齢層にはついてこられなくなっていませんでしょうか?それとも、そんなこともないのかな?うーむ。小学生の感想をぜひに聞いてみたい気分ですね。
しかし、ハリーはあいかわらずよくやります。けっして有利な立場にばかりいるわけではないし、本人もだいぶ自覚が進んでいるようですが、目立つということがけっしてプラスの要因ではないことを理解し、かつそれを乗り越えないとならないわけですからね。14歳という年齢には、それはかなりつらいことではないかと思うのですが。まあ、だからこそ読者皆が声援をおくるわけでしょう。最初に憂慮したように、力を持つことで力に寄りかかるタイプのいやな少年にはならないようです。でも、次かその次あたり、力を行使する誘惑に何らかの形で彼をさらしてみても面白いかもしれません。ヴァルデモート側につきそうになるハリーというのも見てみたいと思うぼくは、いけない読者でしょうか?
何にせよ、まだ物語は始まったばかりです。きっと、次巻では更なる波乱が待ち受けることでしょう。何しろ、最終章の章題は「始まり」なのですからね。(2002/10)

『張込み 松本清張短編全集3』 (松本清張) 感想

表題作は作者の<推理小説への出発点>とされているらしい。ミステリというよりは巧みな心理劇の体裁で興味深く、女の台詞が1行もないのが、緊迫感があってよい。また、杉田久女に材をとった「菊枕」が面白いと思った。こういう佳編も、もしかすると時代の波に飲まれて読むことができなくなったりするのであろうか?それとも、昔の価値観を類推する好資料として残るのであろうか?妙な心配かもしれないのだが、どうだろう?「断碑」、「石の骨」、「父系の指」と理由はともかくとして報われない者を主に据えたものが続いて読んでいてつらくなる。特に「父系の指」は自伝的作品だそうだが、事実関係の虚実よりもこれらが作者のどのような心理を反映して作品化されたのかと読みながら考え込んでしまった。(2002/10)

『沙羅は和子の名を呼ぶ』 (加納朋子) 感想

ミステリに超常現象の類を持ち込むことを嫌がる人は案外に多いかもしれない。少なくても、持ち込まれたそれらの現象が科学的に説明されなければだめだとされる向きは多いと思う。ところが、ぼくはどちらかといえば逆なのだ。数学の方程式のようにきれに謎が解けてしまうことに、ちょっとばかり不満なことがある。たまには解なしというのでもよいと思うのだが。
そういう意味では面白い短編の構成だと思う。思うけれど、だからこそ、肩すかしをくったような気分にさせられたものもある。どうだろう?例えば『エンジェル・ムーン』や『天使の都』は、読了してちょっといやな気がしたのだが?逆にもっとも気に入ったのは『橘の宿』とか、『商店街の夜』である。とりわけ、『商店街の夜』は河野典生の『街の博物誌』の中の一編のようですばらしい。さて、こんなことを考えているぼくはひねくれ者なのだろうか?そして、表題作。こういうテーマが物悲しいものになってしまうのは、どうしてなのだろうか?文庫の解説にふれられている藤子・F・不二雄の作品にもそれは言える。しかし、これが例えば<ネタバレ反転>

夢の10セント銀貨』(フィニイ)
<反転終わり>であればどうか?確かに同じテーマを扱っていながら、楽天的に仕上がっている。それをあこがれとみるかそうでないかの差なのだろうか?それとも、ミステリをベースにこういう味付けをすると、ミステリが肯定する世界、すなわち数式で割り切れる世界を是とせざるを得ないから、こういう展開になるのだろうか?難しいものだと思う。(2002/10)

『覘き小平次』 (京極夏彦) 感想

待望の京極怪談。もとねたは山東京伝の『復讐奇談安積沼』、かなり人口に膾炙した怪談話であるらしい。うーむ、知らないな。 『嗤う伊右衛門』に続く本格的な怪談と言ってもよいと思うのだが、四谷怪談の次に皿屋敷でも猫又でもなくこの題材というところが通なのであろうか?などとここに書いてしまうともしかすると笑われるのかもしれないけれど、ぼくはこの怪談はこれを読むまで知らなかった。読了してからさえ思うのだが、怪談噺の表面だけをとって、例えば京伝の書いた通りでやったとすれば、何というか地味な物語になってしまうのではないだろうか?
幽霊は誰だって怖いのではないかと思う。それは、未知のものに触れる怖さだ。もっと突っ込んで言えば、わけのわからない現象を分類したものの名称のひとつが<幽霊>なのではないか?変な言い方だけれど、あれは<幽霊>なのだと分類してやることで一種の安心感を人は得ているのだと思う。しかし、この物語の怖さは種類が違うと思う。わかっているはずのものがわからない怖さだ。小平次が幽霊だから怖いのではないのだ。幽霊役者だから怖いのでもない。<生きているから>、生きているのに理解できないから怖いのだ。分類不能である。人間でも幽霊でも妖怪でもないなら小平次というのは何なのか?このわけのわからなさは、関口に通じると思う。京極堂シリーズのあの関口だ。関口はあのような類の作品しか書けない作家、そして小平次は幽霊しかやれない役者。読みながら何度も、ああ同じだと思った。わかるのである。きっと作者も説明しないまでもわかって書いているはずだと得心できる。うまく説明できないのだが、世間の方々には理解していただけないであろう場所に己が立っているということを関口も、小平次も、作者もわかっているはずだ。世間というものに自分が関わっているという何ともいえぬ居心地の悪さ、ふと自分を消し去ってしまわねばならぬような思いに捉われる奇妙さ。うまく言えないな。言えないけれどそれを体感できる人にならこれで伝わるだろう。きっと、それでよいのだ。人によってはわかるようで怖いだろうし、わかりすぎて怖い場合もあるだろう。そう、ぼくは……。
あとはそうだね、京極怪談ファンであればお楽しみの展開もあるよとだけ言い添えておくことにする。(2002/10)

『臨機応答・変問自在2』 (森博嗣) 感想

前作に続くQ&A集。あいもかわらず、へそまがりな一冊である。きっとファンでなければ怒りだしてもおかしくはないのではないかと。前回は大学の講義の中で出てきた質問に対する回答であったが、今回はQにあたる部分を一般公募しているところが大きく異なる。ぼくも応募しようかといくつか考えてはみたのだが、けっきょく出さなかった。しゃれた質問を考えつかなかったためである。しかしながら、本書を読んでみると質問がしゃれている必要はまったくなかったのだということは一目瞭然ではあるな。本書に限らず、回答者の心を動かすのは、真摯な質問であると言えるかもしれない。少なくても、森氏ならこう答えるだろうと予測できるような質問はNGだと思うのだが。それにしても、こういうふうに質問に答えて本を一冊つくるというのは、なまじすべてを自分で構築するより難しいのでは?ぼくならすべての問いに「好きにすれば」とか「どうでもいいでしょう」で答えてしまいそうだ。
そういえば、WEBではQ&Aを専門に扱っているサイトなどというものも存在するが、そこで質問されていることというのは、ほぼどうでもいいようなものが多い。いったい何を回答に期待してそういう方々が質問を行っているのかというのは、かねてからの大きな疑問である。だいたい、調べれば自分で答えを発見できるであろうことを、どうしてわざわざ尋くのであろうか?<聞くは一時の恥>なのだそうだが、一時も積もればずっと恥をかいていることにはならないか?わざわざ恥をかくこともあるまいに。(2002/10)

『壬生義士伝』 (浅田次郎) 感想

今でもそうなのかどうかは知らないが、ぼくが同人誌即売会場に出入りしていた頃には、幕末物をテーマにした一画があったものだ。立ち読みなどしていると、「あなたは勤皇派ですか佐幕派ですか」などと真面目な顔で聞かれて返答に窮したこともある。まあ、そうしたあまた幕末物同人誌が、たぶんいちばんテーマにしたであろうもの、そうそれは新撰組である。沖田総司、土方歳三、このふたりを知らない日本人は子供を除いてはちょっといないのではないかとも思う。じつに語り尽くされた物語ではなかろうか。
さて、そんなわけで、書店で何気なくこの物語の紹介文を読んでみてちょっと面食らった。吉村貫一郎?それいったいどんな立場の隊士だったっけ?というわけである。しかも、物語の冒頭は鳥羽伏見の戦いの雌雄が決したあと、つまりもはや新撰組の命運もこれまでというタイミングなのである。全身に傷を負い、自ら脱藩した南部藩の藩屋敷にたどり着いた吉村貫一郎の胸中述懐をあいだにはさみながら、物語はさらに吉村を知る人間たちにより慶応を遠く離れた時間から回想をもって構成される。それによって、読者はどうやら吉村という人間について調べてまわっているらしい作家らしき人物と同じように、ポツリポツリと背景を知るようになる仕掛けだ。
新撰組がほんとうのところどのような組織だったのかということは、だから考えずともよい。なぜなら思い出というのは時間が経てば美しいものだけが残るようになっているからだ。人々の記憶の中に残る吉村貫一郎を、読者は許せてしまうし、またその立場にたって思いを同じくすることもできるはずだ。吉村の思う武士道にどのような決着がつくのか最後まで息をつかせない。そして、物語が美しく、泣けることは、浅田作品であるのだから保証済である。また、そんな人は浅田作品の読者にはいないと思うが、巻末の大野次郎右衛門の手紙、漢文だからといって読み飛ばさないで欲しい。そこにはもちろん、この物語の読者すべてにおそらく冒頭からとりついて離れない謎の答が示されていると思えるからである。(2002/09)

『赤緑黒白 Red Green Black and White』 (森博嗣) 感想

Vシリーズ完結編。「世の中には残念なことと、そうでないことがある」というのが今回の出だしであるが、ぼくの場合で言えばそれはほぼイコールの事象である。矛盾しているか?例えばこのシリーズが完結したことは、物語読者としてはよろこばしいことであると同時に残念なことである。はて?<残念なこと>と<そうでないこと>というのは日本語的に考えてみれば確かに排反事象であるけれど、僕が思うところの<よろこばしいこと>と<残念なこと>というのはそうではないのか?うーむ、日本語って難しい。せっかく違和感なく読むことができるようになってきたところだったのに……。まあ、しばしば別れというのはそういうものでしょう。ちょっと違うかもしれないけれど、<人生別離足>といったところかな。読者のみなさん、そういうわけでみなで完結に乾杯。
さあ、では、年来の謎についてはやはり記しておかないとならないね。9月の日記につけておいたコメントのコピーですが
<以下ネタバレ反転>


やはり、林というのは姓ではなかったのだ。姓の2文字目が川で1文字目は難読な字としかわからないが、もはや犀川としか思えない。犀川林ってしかしどんな名前なんだ……。そして大学に現れた少女は真賀田四季……えと、これ考えてみるとこの長篇だけ読んでもさっぱり面白くないのでは?やはりエピローグ的位置づけ。ということは「ぶるぶる人形にうってつけの夜」の令嬢は萌絵の叔母ということだな。建物の形がMOEなのは萌絵の父の趣味としか言いようがないけど、ちょっと苦しくないか

<ネタバレ終わり>
いずれにせよ、次はいったいどのような物語がはじまるのか?もはや読者の興味はそちらに移っているのかな?(2002/09)

『青のある断層 松本清張短編小説全集2』 (松本清張) 感想

続いての第2巻。8月末のみ2冊同時刊行であとは毎月1冊ずつ出るようである。あとがきにもあるように地道な作品が多い。
表題作の「青のある断層」は、ある才能の枯渇した画家をテーマにしているが、さてその執筆時に念頭にあった<作家>とは誰のことなのか?こういう横道を考えるのがぼくとしてはたいそう面白いのだが、やはり読み方としては邪道の部類なのかな?
この巻も「権妻」、「梟示抄」、「酒井の刃傷」、「面貌」、「山師」、「特技」とほぼすべて歴史小説の体裁である。何というか味わい深い作品が多くて好みである。変な言い方だけれど、「面貌」なんかは伏せられたままで井沢元彦の新作だと言われればそうかなと思ってしまいそうだ。清張に連なる歴史ミステリの研究なんていうものもやってみると面白いかもしれないな。清張ミステリといったものをはじめから読んでみるつもりではじめた購読であるが、これが意外な収穫というか嬉しいことである。しかし、ということはこれらの短編をほとんど時系列に読んでいくことで社会派と称される清張ミステリへとどのあたりから変貌を遂げていくことになるのかということも、興味のひとつに加えられたということである。(2002/09)

『西郷札 松本清張短編小説全集1』 (松本清張) 感想

カッパノベルズ版は、没後10年記念企画復刻版。デビュー時から昭和37年までに発表された主要短編を網羅、全11巻。
松本清張はほとんど読んだことがないなと思っている。こういうものが復刻出版されるのはよい機会であるからほぼ時系列に読むことができてありがたい。しかし、読んだことがないと書いたが、知っている話は沢山あるのだ。購入するにあたって他の複数の出版社で出ている短編集の目次を追ってみたのだが、題名におぼえがあるもの、さらにはストーリーに記憶のあるものも多々ある。TVドラマや映画で見知ったのであろう。例えば第1巻に入っている「火の記憶」などは今年の1月にNHKアーカイブスという番組で再放送したのを見たところだ。まあ、知っている話だからといって興がそがれるかといえば、そんなことはまったくない。むしろ記憶を辿るのが面白いくらいである。
第1巻に収められた作品は、歴史をテーマにしたもの、あるいは歴史小説の味わいを持つものが多い。「西郷札」、「或る「小倉日記」伝」、「啾々吟」、「戦国権謀」、「白梅の香」がそうである。なるほど、松本清張作品の出発点というのはこういうところにあったのだな、と思いながら読むことができてたいそう興味深いものであった。(2002/09)

『イカ星人』 (北野勇作) 感想

今度はイカだよ。なんだか、一気に難解になっていないか?いきなりここまでやってしまって、読者はきちんとついてくるのか?というか、これから買った人は絶対に次を読まないのではないか?SFの危機とやらをあおってはいないか?いや、べつに読者に媚びろとか言っているわけじゃないんだけど、これはちょっとアレじゃないのかな。
ごめんね。はっきり言って読めば読むほど何を主張したいのかわからなくなってしまったのだよ。不条理なのはかまわないと思うのだけれど、不条理には不条理の何かルールのようなものがあるんじゃないの?何がイカソーメンで、何がイカリングで、何がイカメシなの?うーむ。オレ頭が固いのであろうかな?まああれだよ、SFっていったい何なのさ、というのをメタに茶化してみているの?だからって、イカメシの部のラストの台詞はないんじゃないの?やっぱり、オレ頭固いのかな?
この物語は、北野SFの世界を構成する何らかの部品なのであろうとは思う。でも旧作すべて読まないとつながりのようなものが見出せないのであれば、それはちょっとかんべん願いたいのだ。小技としてのそういうものは、もちろんぼくも読者なんだから大歓迎なんだけどさ。そこのところはニヤニヤしながら読んだりね。でも、なんか、今回は全編が一見さんお断りみたいな書き方のような気がするのだよね。例えば、徳間デュエルで新作だけ追っている読者がいたとして、<かめ>でおお、とか思って<ザリガニ>で首をひねって、<イカ>は投げ出すような気がしない?それはあまりに惜しいでしょう!!好きな作家さんなんで、あえてかなりの苦言を呈しました。でも、あれだけイカを全編に出しながらクトルフという文字がまったく出てこなかったのはすばらしい、なんて妙な感心の仕方もしてるんですけどね。(2002/08)

『グイン・サーガ86 運命の糸車』 (栗本薫) 感想

思わずここまでのアムネリスの運命というものを回想してしまう。彼女の敗因は、自分というものをあまりにも知らずに来たということに、やはりあると言わざるを得ないのだろうか?なんというか、そう言ってしまうと、ふつうの人間がそんなことをほんとうに理解した上で行動しているのかと抗議したくもなってしまう。グインだのナリスだのならばともかく、それはあまりに酷ではないか?あまりにふつうでない人々が居並んでいるので、アムネリスとかシルヴィアは割りを食うことにもなるのだよな。アムネリスのアムネリスらしからぬ言葉によってひとくくりつけられたわけだけれど、いずれにせよ、不幸なことではある・・・・・・。
また、このあとのカメロンの動きは気になるところ。イシュトヴァーンとの間に一波乱ありそうな予感。イシュトの性格はやはり強情というか、とりわけグインが絡むとよけいにそうなるようだな。この巻のラストあたりイシュトとグインの一騎打ちシーン。なんだかイシュトがかわいそうな気がするのはぼくだけであろうか。(2002/08)

『ウォッチャーズ』 (ディーン・R・クーンツ) 感想

世のすべての犬好きに捧ぐ。うん、捧げてしまってよいよね。クーンツを読む知人の多くが、かなりの確率でこの作品をいちばんに推す。まあ、だからこそひねくれもののぼくとしては、ここまで読まずにきたわけだけれど・・・・・・。
森で出会った一匹の犬、彼にはなにかふつうの犬にはないものが感じられた。その犬をアインシュタインと名づけ、孤独な中年男はともに暮らしはじめるが・・・・・・。彼方から迫り来る恐怖、それに対抗し得る力とは何か?犬とのコミニュケーションという、犬好きにはたまらないであろうテーマを内に含み、そして<アウトサイダー>という恐怖に立ち向かうキーとしてそのコミニュケーション、ひいてはアインシュタインとの対話をきっかけに形成されていく新しい家族を用いるところがすばらしい。息をつかせぬ展開の妙はなるほどクーンツ。クーンツを読むと人の善意を信じることができるというところが、やはりぼくは好きだな。きっと、この物語は読み継がれていくにちがいないと思う。そう物語末尾で示されるように「犬たちがいるかぎり、そして犬たちといっしょに歩いていける人間たちがいるかぎり」(2002/08)

『首切り』 (ミシェル・クレスピ) 感想

リストラ・サスペンス、だそうだ。カバーには男の首が転がり落ちる、まあなんというかそういうイラスト。帯に「本書に関する契約事項」というのが3点あるけれど、これはハヤカワがつけたものなのかな?本文中にその記述は見受けられない。「リストラに脅えるすべての会社員必読」とあるけれど、それはいったいどういう意味なのか?ストーリーはむしろリストラの過程についてはほとんど触れておらず、主人公が再就職を目指して斡旋業者のテストを受けるあたりから始まる。主人公を含めた複数の男女が孤島に集められ、就職のためのテストを受けることになるのだが・・・・・・。
孤島という設定がまず必然性がなくて怪しい。なぜ都内のビルの一室ではいかんのか(笑)。たしかに登場人物たちを狂的な状況に落とし込むには有効な装置なんだろうが。そうそう、その狂的状態がどんなものなのかを冒頭に明かしてしまっているところが、この物語の場合あまり成功している効果だとは思えないし。というか、リストラされた人ってのは、この作者にはこういうふうに見えるわけなんだろうか?なんというか、愛が感じられないよね。世間の評価はなんだかいいようだけれど、どうにも乗り切れない。孤島での研修で扱われている経済シュミレーションゲームみたいなものも、臨場感に欠けると思うのだけれど。あと、蛇足ながら登場人物のひとりの名前がブリジット・オベールなんだけれど、これも意味不明。単なるおあそびなんだろうか?
そうだなあ。個人的にはリストラとかをテーマにするなら、救いになるようなのがいい。例えば、『面接Q』(秋月めぐる)なんていうのは大いに参考になると思うのだけれど。この物語の主人公も『面接Q』を読んだほうがいいのではないかい?(2002/08)

『深川恋物語』 (宇江佐真理) 感想

悲しい恋のほうが人の心を打つものだろうか?短編で恋を語ろうとすれば、やはりそれは悲恋が勝つのであろうか?一話一話味わう恋の物語。
・「下駄屋おけい」ストーリーがどんなに気をもませようと、タイトルがタイトルなだけに安心して読むことができる。せめて初手はこのくらいでないと、あとを読むのがつらかろうという按配か。
・「がたくり橋は通らない」師走も近い大川沿いを歩く花火職人。これだけでもわびしい気分にさせられる。人の世にはままならぬものもあるというのは若者にとってはあまりにつらいこと。でも、それとひきあうかのように、であいもあるのではないか?
・「凧、凧、あがれ」西瓜の絵の描いてある凧など見たこともない。盆休みの夏空に西瓜の凧。いっそ夢か幻か。淡くせつなく、そしてまた、かなわなかった恋のようにそれは甘く悲しい。
・「さびしい水音」男というのは勝手なものだと思いますか?なんとなく判るような気がするのだよ、この男の気持ち。いや、だからそれでいいと言っているわけじゃないのだが。男が最後に見ることになる絵、ぼくとしてはあんまりではないかとも思う。それとも、それを描かずにはいられないことこそが絵描きというものの性なのか?
・「仙台堀」縁などというのは無理矢理につくりだせるものではない。成らぬものは成らぬ。しかしながら、成らぬであろうことを他の何者かのせいになどできようはずもないではないか。すべてをいやしてくれるのは時間だけか?
・「狐拳」因果は巡るものだというけれど、巡り方にも多種多様あるのではないか?すべてが三すくみでかたがつくものか?あいこでしょ。あいこでしょ。いつもでもいつまでも、因果の勝負などというものはつかぬものであろう。(2002/07)

『レンズマン・シリーズ 1 銀河パトロール隊』 (E・E・スミス)

あのレンズマンの新訳決定版、説明不要、読むべし。とこれだけでも充分な気もするけれど、まあ念のため。まずことわっておくけれど、このみずみずしい物語、1950年の作品である。なのに、ぜんぜん古びた感じがしないのが何ともすばらしい。まさにスペースオペラの代表シリーズにしてSFの代名詞のひとつ。いまだにこのレンズマンという設定を使って別の作家が作品を創ったりするのがよくわかる魅力的世界である。日本では80年代にアニメ化もされましたね。ぼくもすでに抄訳を含めて何度も読んでいます。今回の訳は小隅黎こと柴野拓美氏。日本初のSF同人誌『宇宙塵』の創刊者にして翻訳家です。読みたいでしょう?ぼくは目にした瞬間、激しく読みたいと思いましたよ。
銀河文明を守る銀河パトロール隊隊員には何星人であろうとその身分を表すレンズが与えられる。これによりどのような言語を持ち生物学的差異のある者とも正義の目的のために共同戦線をはることができる。そして、じつはこのレンズには特別な秘密があって・・・・・・。息もつかせぬ冒険に次ぐ冒険。もってまわった理屈っぽい作品じゃなくって、こういう活劇もまたSFの醍醐味だよな、と改めて思う次第。もったいないから、次をすぐ読むかは考え中だけれど、小学校の図書室で抄訳のレンズマンを初めて読んだ興奮をまたふたたび味わえるとは思ってもいなかったわけだし、大事にいきたいですね。(2002/07)

『ぼっけえ、きょうてえ』 (岩井志麻子) 感想

怪談の怖さの大きな部分を語りが担っていると思うのです。ほんとうに怖い怪談には、語りとその間が絶妙なのです。言葉を発していない時にさえ、奈落に通じる闇がぽっかりと読者を待ち受けている、そういうのがほんとうの怪談です。
さて、この短編集、表題作は岡山弁で<とてもこわい>という意味です。ぼくの出身大学は岡山にあるので、4年のうちに岡山弁にはいささかなじみになりました。ぼくのそのイメージはどちらかといえばコミカルといったものなのですが、この集を通読してみて自信がなくなりました。あの岡山弁を(すいません岡山の方々)ここまで怖く語れるというのが、まずぼくには信じられなかったのです。そして、内容は・・・・・・どうもこの生理的嫌悪感をもよおすところがどうしても好きになれません。スプラッタではないにせよ、この生々しさ。再読する自信は到底ありません。そう、なんというのでしょう、この感覚はラヴクラフトの「ダゴン」を読んだ時の感覚と酷似しているのです。自分の肌を思わずかきむしりたくなるような、そういう生理的な違和感が強烈におそってきます。表題作通りの意味の作品集です。読み進むごとに、まるで自分が呪われているような、幻惑的な気分に陥ってしまいます。(2002/07)

『死にぞこないの青』 (乙一) 感想

教師というものは独善的になりがちなのでしょうか?現職の先生方にこそ、この物語は読んでいただきたいものです。教室というものは教師という王様に支配された一種の独裁国なのですよね。もし、そうではないと反論されるならば、その思いこそが錯覚であるかもしれないと疑ってみていただきたいのです。そう、"先生"と呼ばれるからには、あなたはいわゆる"できるタイプ"のはずです。そして、賭けてもいいけれど、"できないタイプ"のことなど、まるで理解できていないのでですよ。
この物語は、ひとりの小学五年生の鬱屈した思いを<死にぞこない>という存在に託して描いたものです。荒唐無稽ですって?さて、先生、あなたにこの少年の思いが理解できますか。理屈はわかる?いやいや、肌で、心臓で、そして髪の毛で感じていただきたいのです。この、集団の中での"できないヤツ"の孤独を。
先生、もちろんぼくは、あなたがこんなにイヤなやつだと言っているわけじゃないんです。でも、イヤな教師なんていないとあなたがおっしゃるならば、それは誤りです。あなたは絶対にこんなイヤなやつじゃありませんか?すべての生徒に対して?もちろんだ、などとおっしゃるのですか?信じてもよいのですか?ほんとうに信じてもよいのですね。ほんとうに、ほんとうなのですね。あなたの前にだって、アオはいつか現れるかもしれないのですよ。それはあなたが……。(2002/07)

2009/04/10

『必殺仕事人2009 第11話 仕事人、死す!!』 感想

『必殺仕事人2009 第11話 仕事人、死す!!』を観ました。
「おいらには簡単に殺れたんだ」とか失敗した後に言っているからこそ半人前なのだよ、源太。主水の言うように、「鬼は人にはなれない」のだからさ。一度踏み込んだら覚悟を決めなきゃいけない。覚悟がないとえらいことになるよ。それは、どんな仕事でもそうだろう?脇が甘すぎるよ。作太郎のほうがよっぽど冷静だと思う。
「疑うより信じたい」?いやいやいや。源太、おまえが信じるべきなのは、作太郎だろう。ぽっと出てきた母親を名乗る女より、血縁こそないものの確かに結ばれた親子の絆があるじゃあないか。
そして、その作太郎が血の滲むような思いをしてためた金で請け負った仕事ならば、果たさねばならぬと初めに思わねば嘘だろう?「奉行所に行って」とか説得にかかるあたり、どこまでも仕事人にはなりきれなかったのだな。「もう誰も殺したくない」なんて言った仕事人は初めてだよ。
前回の引きから期待した、仕事人内部の確執のようなものを前面に出した展開ではく、問題がすりかえられてしまったような気もするが、源太らしい幕引きか……。「愛に生きて愛に死ねたなら」……それは仕事人の見果てぬ夢なのだな。
どこまでも、もやもやとした感じのままで観ていたのだが、エンディング ふくの「掃除は別の日に」には深く感動したし、救われる思いがした。いい奥さんだよね。小五郎だってさ、ただ仕事に厳しいだけの単なる鬼じゃあないんだよね。だから、鬼のままでもいいんじゃないかと思える。人にはもどれないけれど、鬼にだっていろいろとあるのだよ。
それにしても、作太郎はどうなっちゃうのでしょうか?

(追記)
浅野ゆう子さんが悪女役というのもめずらしいと思って観ていたのですが、以蔵は村雨良こと菅田俊さんだったのですね。言われないとわからんです。

« 2009年3月 | トップページ | 2009年5月 »