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2010年2月の14件の投稿

2010/02/18

藤田まこと氏の訃報

藤田まこと氏の訃報にふれる。
『必殺仕事人』の中村主水は言うに及ばず、『京都殺人案内』の音川音次郎、『はぐれ刑事純情派』の安浦刑事、『剣客商売』の秋山小兵衛、そうだ丹下左膳も観たっけなあ。ほんとうに、ほんとうに楽しませていただきました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

Kwaidan 第11夜 「針箱」

 ふと思い出したので、書きとめておく。
 
 小学校低学年の頃だったと思う。
 その頃住んでいた家の、四畳半の部屋にあった押入れには雑多なものが納められていた。例えば、母の裁縫箱もそのひとつである。今調べてみたら和針箱というものであるらしい。裁縫をする方であれば「ああ、あれか」と思われるのかもしれない。渋い色の木製で、小さな引き出しがいくつもついていた。それらの引き出しの中には、裁縫道具が整然としまわれていたものだ。きっと、母なりのルールがあったのだろう。ある引き出しには色とりどりの糸が、また別の引き出しには大小さまざまの針が入っていた。糸切り鋏や安全剃刀なども入っていて、「あぶないからさわってはいけない」と何度か注意されたこともあったように思う。
 ところで、いくつもの引き出し、というのが子供にはとても魅力的に見えたと言うと、同意していただけるだろうか?引き出しのたくさんあるその箱は、なんだか母の魔法の箱のように見えたのである。
 ある日、その針箱が、なぜか押し入れから出されてちゃぶ台の上に置かれていたことがある。なぜか、などとわざわざ言うのは、母がその時に裁縫をしていたような記憶がないからだ。そもそも、家には私だけしかいなかったと思う。だから、チャンスとばかりに針箱の引き出しを開けたり閉めたりしてみた。そして、自分も中に何か入れてみたくなって、買ってもらったばかりのミニカーを側面の引き出しに入れてみたのだ。
 よく憶えている。その引き出しだけは空だった。だからミニカーを入れてもそんなに怒られないだろうと、自分勝手にそう思ったのだ。母が驚くだろうな、と悪戯心を感じたことも。
 針箱が押し入れに戻されたのが、その日のいつ頃なのかは記憶にない。憶えているのは、夕食後に針箱のその引き出しを開くと、空だったことだ。母は、ミニカーのことは何も知らないと言った。ミニカーといっても、じつはふつうの車ではない。『キャプテン・スカーレット』の追跡戦闘車という特殊な形状もの。しかも新品なのだ。私は、買ってもらったばかりの玩具をなくして怒られるのかな、と思ったが、それもなかった。母は、ただほんとうに不思議そうな顔をしただけだったのだ。
 それから何度か、針箱のその引き出しを開けたり閉めたりしてみたことがある。しかし、ミニカーはおろか、糸くずの一本も入っていたことはない。あの頃は、そういうものだと思っていたのだが、そもそも、あの引き出しだけが使われていなかったのはどうしてなのだろう?あの針箱は、引っ越しの時に捨ててしまったのだと思う。母も今では、そんなことがあったなどとは、きっと憶えていないであろう。


2010/02/16

浅倉久志氏の訃報

浅倉久志氏の訃報にふれる。
海外作品を読む時は、どなたがその翻訳をしたのかって重要なことだ。その時は知らない作家であっても、翻訳者で次に読む本を選んだりもした。浅倉氏訳は、そうした指標のひとつだった。フィリップ・K・ディック、カート・ヴォネガット・Jr、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア、いったい、何冊を浅倉氏の訳で読んだことだろう……・。
たいへん楽しませていただきました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

2010/02/11

『もいちどあなたにあいたいな』 (新井素子) 感想

じつに久しぶりの新井素子の長編。7年ぶりですね。平成十四年から二十一年にかけて書かれたそうで「くらっときちゃう」と作者があとがきでコメントしてしまうほどに世に出るまでに長くかかっています。
読み始めて、素子節が健在であることに安心しながらも複雑な思いを抱いてしまいますね。物語は女子大生の澪湖・その母の陽湖・父の大介の主にみっつの視点で話が進みます。澪湖は、ごく近くに住む叔母の和(やまとばちゃん)が、娘の真帆を亡くしてから様子がおかしいことに気づく。まるで、よく知っている叔母とは別人であるような……。
ううむ。正直に言って怖ろしい。『あなたにここにいて欲しい』、『おしまいの日』、『くますけと一緒に』、『ハッピー・バースデイ』と作者のサイコものを思い返して、この物語は、そういう系統に連なるのか最後まで読んでじっくり考えてみたのだが、答えはYESでもありNOであるという、はなはだ歯切れの悪いものにならざるを得ない。初読では、物語の結論は明らかなように思ったんだけれど、冷静になるとそうでもないのか?どっちなんだ?作中に引いてあったフィニイの『盗まれた街』のように、やるべきことがはっきりしていればいいのに……。
和に子供ができにくかったのは「違うから」なのか?ほとんど記号としてしか登場しない、真帆こそが世界に和を繋ぎとめる者であったはずなのだが……。世界へのかかわり方は、女性と男性でかくも違う…というふうに、ぼくには読めてしまう。大介の視点は一般的な男性を象徴し、陽湖の視点は現代に増えている社会に出て働いているタイプの女性の視点なのだろうな。いっしょにいて、家族でいて、そしてそれぞれに異世界なのか?思えば、男性視点が和の夫ではなく、幼い頃からの彼女のヒーローであった兄なのも微妙だ。題名の「あなた」は、この大介のことですよね。幼い頃には自分を守って怪我までした<兄>にもういちど会いたい?これが世の男性に対する作者の思いを代弁しているのだとすれば、なんだか、頭を殴られたような気分になってしまう。読了して、ひどく居心地の悪い思いにとらわれてしまうのですよ。この居心地の悪さは、やっぱりぼくが男だからなんだろうか?
この本の感想は、ぜひ女性にこそ聞いてみたいものだと思うのである。

『ひとつ灯せ 大江戸怪奇譚』 (宇江佐真理) 感想

宇江佐真理版<百物語>。若い頃から働きづめだった平野屋清兵衛は、隠居してから急に死ぬことが怖くなった。ついには、そのため病に伏してしまう。霊感に長けた清兵衛の友人の甚助は見舞いにやってきて、清兵衛に憑いていた何者かを祓うのであった。清兵衛の気鬱を解消するために、甚助は自分が参加している<話の会>に誘う。それは、理屈では割り切れない世の中の様々な話を語り合う会であり、作り話だけはご法度であった……。
八編の連作短編になっており、毎回の不可思議な話に絡んで、清兵衛がじっさいに怪異に出会うという形になっている。が、後半にいくほどに怪異よりも話の会の参加者たちの人間関係の生々しい話が前面に出るようになってきて、せっかくの怪談なのにどうしてこんなことをするのかといぶかしみながら読んでいた。が、最後まで読んで得心がいった。要するに、語りたいのは清兵衛が死ぬことが怖くなくなるには、どうすればよいかということなのだろう。こういう境地には、年齢的にまだ至れないので、そういうものかと思うばかりなのだが……。
『新耳袋』から題材がとられているのは第四編の「守」であろう。登場人物のひとりである おはん が語る二階から落ちた時に現れる父親の手のエピソードや、「命取り」というしゃがれた声が聞こえてくるエピソードが、そうである。そもそも、「守」という題名そのものも、そうであろうと思う。

2010/02/10

立松和平氏の訃報

立松和平氏の訃報にふれる。
氏の作品で最初に思い出されるのは、やはり『遠雷』。永嶋敏行と石田えりの主演で映画になったのだった。TV放映されたのを、どきどきしながら観たのをよくおぼえている。たしか、続編の『春雷』が高校の図書室にあって、活字では最初にそれを読んだはず。たいへん、楽しませていただきました。心よりご冥福をお祈り申しあげます。


2010/02/09

ソレントの星

2/7放送の『サザエさん』のエピソード「父さんマンガの星」で、体調を崩した波平が珍しく休んで、布団の中でワカメが友達から借りた少女漫画を読んでいる。『ソレントの星』、全31巻。時代考証もしっかりしていて、感動的なのだそうだ。題名からすると、昔のアニメ『ラ・セーヌの星』を意識しているのであろうか? 読んでみたいなあ、と思ったのは、私だけではあるまい。
しかし、他に放映されたのは、春恒例のウグイス笛の話だったのに、いかにも唐突な感じがするのだが、いったい何があったのだろう?

『機動戦士ガンダム THE ORIGIN 20 ソロモン編・後』(安彦良和) 感想

「ララァから感じるものをあなたからは感じない」とシャアに告げるアムロ。ニュータイプっていったい何なんだろうなあ、といつも思ってしまう。この時点では、シャアはまだニュータイプじゃないのだな。では、何がシャアを覚醒させたのか?あるいは、アムロを。
あと、今回、あっと思ったのは、キシリアがギレンへの打電を指示するシーン。なるほどなあ。これで更に深くなるというものですね。

『バケルくん』 (藤子・F・不二雄) 感想

藤子・F・不二雄大全集 第1期の一冊である。予算の都合上、まことに残念ながら全巻購入はできないのだが、それでも欲しいものはポツポツと買っていくつもり。『バケルくん』は、連載時にリアルタイムで読んでいたこともあって、思い出深い作品。
宇宙人にもらった人形の鼻を押すと、その人形のキャラクタと入れ替わることができる。『パーマン』のコピーロボットとはちがって、キャラクタは人形に固定されている。バケルの人形の鼻を押すとバケルに変身できる、というわけ。家族の人形ワンセットあるのに、心はひとつだから、入れ替りでドタバタするのが楽しい。最後どうなったのか記憶になかったので読みたいと以前から思っていたのだが、とくに最終回らしきものはないのだな。

2010/02/08

『ラッシュライフ』 (伊坂幸太郎) 感想

五つの視点で描かれた、一見無関係な物語が微妙に交錯し、進むにつれて意外な繋がりを見せるという構成。冒頭にエッシャーの騙し絵"Ascending and Descending"が掲げられている。これを物語でやろうというのである。読み進むほどに面白くなっていく。
読むほどに、なにが豊潤な人生なのか、わからなくなってきますね。少なくても、冒頭で画商が言うような「金で買えないものはない」生活ではなかろう。金があっても経験できないような、複雑にねじ曲がった人生が織り成す物語は、それを教えてくれるではないか。いろいろ経験して、「生きていること自体に驚いて、拍手をすればいい」のである。

『重力ピエロ』(伊坂幸太郎) 感想

読むのにとても精神力がいる物語でした。理由は感情移入できなかったこと。語り手の泉水の立場で読もうと当然するわけですが、彼が置かれているところが微妙にすぎて、拒否反応が出てしまうのです。頭ではわかるんだけど、感情がついていかないというか、そういう感じ。うまく言えません。
「春は俺の子だよ。俺の次男で、おまえの弟だ」という泉水と春の父の台詞は「われこそが悲劇の主人公である、と自らを哀れむ様子もなければ、自分自身を鼓舞するような響きもなかった」と語られる。だから、泉水は、春と自分が半分しか血が繋がってないことに「怯まずに」すむ。なるほど、と思うがだめなのである。ふたりの父がもう少し利己的であれば納得がいったかもしれない。あるいは、ふたりの母の生の声が入っていれば。でも、それではこの話は成立しないであろうと思う。そんなにきれいごとじゃないだろう、と反発してしまうのだ。いや、きっと、春自身がだれよりもそう感じているのだ、と思うのだが……。

『死神の精度』(伊坂幸太郎) 感想

死神の一般的イメージというと、髑髏の顔・黒いフード・大きな鎌といったところか。タロットカードのNo.13 The Deathの図案の通り。西洋風である。でも、この物語に出てくる死神は、どうも違うようだ。CDショップで試聴するのが好きで、名前はどこかの都市名、世間とは語彙の理解が少々ずれている。主人公 千葉も、だからどこかとぼけた感じだ。
情報部からのデータに基づき、不慮の何かで死ぬ予定の人間を調査し、予定の可・不可を上に報告する。作中で死神の仕事とされていることは、かなりドライである。お役所仕事といってもいい。通読しても、何が可で何が不可なのか、さっぱりわからない。千葉自身にもよくわかってないのではないか?人間の生死のわかれめは、しかし案外にこんなふうに決まっているのかもしれない、と妙に納得もしてしまう。人間の生死を1週間くらいのいいかげんな調査で決めないでくれと怒りたいのだが、どうにも死神・千葉を憎めないのだ。
神と人間はわかりあうことができないのかもしれない。たぶん、それは作中でもふれられているように、時間の感覚が違うからなのだろう。人の一生は死神に比べてとても短いと言える。最終編が、「死神対老女」なのは、だから象徴的だ。老いることのない死神が老女にかなうわけはないような、そんな気がするのである。

『終末のフール』(伊坂幸太郎) 感想

もし世界が滅びるとしたら、というのはSFではよくあるテーマである。人々は災厄に立ち向かったり、また逃亡しようとしたりする。だが、災厄をただ待っている物語というのはどうか?短編ならばあるか。「世界の滅びる夜」(平井和正)とか、「めぬけのからしじょうゆあえ」(半村良)なんていうのもそうかな。では長編では?ネビル・シュートの『渚にて』だろうか?不勉強なので、他に思い出せない。
この物語が上にあげたいくつかの話と大きく違うのは、滅びが今夜でも3日後でも1年先でもないことであろう。八年後に小惑星が衝突すると予告されてから五年が経過、という絶妙な設定。起こるべきパニックはすでに起こってしまって、それでも人々は生活している状態。秀逸だなあ、と思う。
ぼくなどは悲観的なので、これだけ時間があって、打つ手がない状態なら、人類は衝突を待たずに自滅するのでは?とまずは思ってしまう。この状況で日常は継続するのか?その答えが、この物語に込められているのだ。きれいごとじゃない、よくも悪くも日常が続く。人間ってしぶとい……まあ、そういう意味で捨てたものでもないか、とか思ってしまうのだな。もっとも好きなのは二編目の「太陽のシール」。「オセロを二組に分かれて、できる」という一文が、とても心に残った。

『グイン・サーガ130 見知らぬ明日』 (栗本薫) 感想

グイン・サーガの最終巻である。この先、だれかがこの物語を引き継いで書いたとしても、同じようにはいかないであろう。正伝だけでも130冊。ひとりの作家が、ひとつの物語をこれだけ綴ったのだと思えば、いっそう感慨深い。最終巻のタイトルの、そして何と意味深なことだろう。この物語は、外伝『七人の魔導師』の時点に帰還して、ある種の円環となった時点で終りを迎えた。ヤーンの皮肉を感じるのは、けっしてぼくだけではないであろう。
発売日当日に買ったのに、いつもの半分の量しかないこの本を読み了えるのに、ずいぶんと長い時間を費やしてしまった。正直に言って最後の頁を読みたくなかったのである……。

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