『必殺仕事人2010』 感想
必殺仕事人2010を観ました。
主水抜きでの「仕事人」。時の流れを感じますね。まずは改めて、藤田まこと氏に合掌。
主水は登場はしませんでしたが、エンドロールには藤田氏のお名前が。過去ビデオとかで登場させるのではなく、登場人物たちの言葉や行動で「主水は生きている」 次の任地への旅の途中なのだと自然に感じることができ、心憎い限りでした。
主題は、事業仕分け。勘定吟味役の右京乃助は、幕府の財政を立て直すため、不要な事業を次々に中止にするが、これが原因で仕事がない人が多くなり、世間の不満は大きくなる。涼次は、家族を失った少女からビタ銭で仕事を受けるが……。
途中までは、どうにもモヤモヤした気分で観ていました。表では辣腕をふるいながら、裏にまわって平三郎という変名を使い町民のために炊き出しを行っている右京乃助。「理はどちらにあるんだ?」と涼次に問う小五郎。思うに、仕事人は涼次の言う通り理なんてもとめちゃいけない。世の中というのは様々な事情を抱えた人々が様々に生きているわけですから。晴らせぬ恨みを晴らす。そのために銭をもらっているんだ。主水であればそう言うでしょう。だから、正直に言えば、あのビタ銭だけでやってほしかった。物語だけを観れば、右京乃助を途中から判りやすい悪役にしすぎたのではないでしょうか?彼とお咲の事情とかも一切語られなかったし。
ですが、この事業仕分けというテーマについて考えるのであれば、ちょっと事情が違うかもな、とも思うのです。だいたい、某国政府が行っているあれを「必殺仕分人」などと呼ぶのを、必殺スタッフが快く思ったはずもないではないですか。だから、右京乃助は、賢しらなことを言っている人ってじつはこうなんじゃないかという皮肉がこめられたキャラクタなわけです。「変わり身が早くなければ」やっていけない。「理」について、考えているのは小五郎だけだというわけです。だから「どっちにあった?」という涼次の再度の問いかけに対し、「俺だ」と答えるわけですね。理は「仕分人」じゃなくて「仕事人」にあるわけです。
サイドストーリーとしては、ふくの懐妊がありました。けっきょく間違いだったわけですが、あれは『必殺商売人』へのオマージュですよね。殺しをしている自分が子供を持ってよいのか悩む小五郎がいたましいです。シリーズが続くのであれば、この点はやはり永劫回帰的に扱うのでしょうか?子供ができないことは、仕事人である主水の業であり、小五郎の業であるわけですものね。
あと、今回は歌留多を使う童山がよかったです。シリーズが続くのであれば、ぜひレギュラー化してほしいです。
彼の放った最後の歌留多は「み」の札。「身から出た錆」にならぬよう、政治家の方々にはこのドラマを膝を正して観ていただきたいものです。
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